第21話 鈍感な男

「まったく何を考えてるんだか」


 まだ日も沈まない内に、露天風呂でビールを飲みながら佐藤は呟いた。


『何で私が妖怪なのよ』

『お前、処女なのか』


 佐藤の問い掛けに絵梨香は無言を貫いた、それはイエスと受け取って良いのだろうか、分からない。だとしたら何故、あれだけの器量で男にモテないなんて事はないだろう。


 恋愛に関しては愚鈍な佐藤もここまで来ると一つの可能性について考え始めていた、それは嬉しい反面、余計に佐藤を混乱させる事態になる。


「あいつ、俺の事が好きなんじゃ――」


 呟いて、いやいやと首を振る、そんなわけが無いだろう、十年以上近くにいてそんな素振りは一切無かった。しかし、そうだとしたら、いや、しかし俺には莉菜ちゃんが――。


 「もういないか……」


 佐藤は露天風呂に頭まで浸かると混乱した頭を整理した、つまり、もし絵梨香が俺の事が好きだと仮定すると。


 俺達は付き合う事になるのだろうか。


 ここは旅館で今日は二人きり――。


 「うわぁ!」


 なに勃起してるんだ俺は、佐藤は懸命に念仏を唱えると興奮した気持ちを無理やり抑え込んだ、冷静になれ寿木也、もし勘違いなら大変だ、姉ちゃんや母ちゃんにバラされて、一生笑い者にされるぞ。


「何を一人で騒いでるのよ」


 ジャケットを脱いだ絵梨香は肩が丸出しの、ピッタリとしたワンピースを着ているので体のラインが強調されて、裸をすぐに想像させた。


「おまっ、なんつー格好してんだよ」

「え、これ、可愛いでしょ」

「わかったから、あっち行けって、もう出るから」

「なによ、急に照れちゃって」


 まずい、誘っている、これは確実に誘っているぞ、佐藤はのぼせる前に風呂を出た、脱衣所で浴衣に着替えるとリビングに入る。絵梨香は佐藤とは帯の色が違う浴衣を既に着用していた。


「あ、着替えたんだ」

「うん、私も露天風呂はーいろ」

「ああ、うん、それが良い」


 絵梨香を見送ると冷蔵庫から二本目の瓶ビールを取り出してグラスに注いだ、柔らかいソファに体を沈めると彼女が持っていたトートバッグが目に入った、そういえば手ぶらの佐藤の為に薬局で替えのトランクスを買っておいたと言っていた事を思い出す。


 案の定、ドラッグストアのビニール袋が目に入りバックから取り出したがトランクス以外にも何か入っている。硬い瓶のような物を取り出してラベルを見た。


『夜の帝王 赤マムシ 精力十倍』


 二本用意された瓶を見て、飲んでいたビールを吹き出した。何でこんな物が、バスタオルで濡れたテーブルを拭くと、さらに小さな箱を取り出してみる。


『激薄くん 0.1ミリ 着けてないみたいだお』


 佐藤は辺りを見渡して部屋の中を物色し始めた、これはドッキリじゃないのか、新進気鋭の天才ボートレーサー佐藤寿木也を、盛大なドッキリに仕掛けようと。


『童貞レーサー美女にメロメロ』新聞のラテ蘭に並んだ活字を想像すると目眩がしたが、カメラの様な物は見つからない。


 そもそもこの旅館を予約したのは自分だ、ドッキリは不可能に思えた。袋に商品を戻すと何事も無かった様に、元の位置に置いた。


「気持ちいいねー」


 絵梨香が露天風呂から出てくると佐藤に緊張が走る、心の整理がついていないが、まさか真昼間からおっ始めようとは思うまい。


「ご飯何時からだっけ?」

 あくまで平静を装いながら佐藤は話しかける。


「えっとね、六時からかな、まだ少し時間あるね」


 そう言いながら佐藤の横に座った、物凄い視線を感じるが気のせいだろうか。


「ちょっと」

「え」

「私にもビールちょうだいよ」

 気がつくと瓶ビールを握りしめていた。

「あ、ああ、どうぞ」

「ありがとう」


 佐藤は自分のグラスに入ったビールを飲み干すとちょっと館内を探検してくる、と言って部屋を出て行った、この精神状況では明日までとても持ちそうも無い。


 館内をぶらつくが、昔旅館で見たようなゲームセンターや、卓球台は見当たらなかった。仕方なくお土産売り場に行くと心太ところてんが無料で振る舞われていた、夕飯前だが心太なら問題ないだろう。


 絵梨香の分も持って帰ろうと手を伸ばすと、反対側から手を伸ばしてきた髪の長い女性とぶつかりそうになった。フワリと甘い香りがする、何処かで嗅いだ事がある匂いだった。


「あっ、すみません、どうぞ」

 先を譲ると一瞬コチラを見てすぐに目を逸らした、そして何も言わずに小走りで去っていく。どうしたのだろう、しかし、可愛らしい雰囲気の子だったな、特に気にする事もなく佐藤は心太を二つ手に取り部屋に戻っていった。



 

「佐藤様、コチラの席でお願いします」


 鉄板焼きコースか和食懐石、どちらか選べるとの事で迷わずに鉄板焼きにした、正直まだ佐藤には懐石料理の美味しさが分からなかった。


 以前、小峠達と温泉旅館に泊まった時は懐石料理だった、謎の品々は味が複雑過ぎて何の味か分からなかった、結局、刺身以外は美味いと思わなかったが歳を重ねればまた味覚も変わるのだろうか。


 カウンター席は入口が別々の半個室になっている、と言っても席の横に仕切りがあるだけで、隣の姿は見えないが会話は聞こえてくる、左隣にはすでに先客がいて会話が聞こえてくる、どうやら老夫婦のようだ、右隣にも人が入ってきたようだ、真っ白なコックコートを着た料理人が挨拶をしている。


「本日は志乃にお越しいただき、ありがとう御座います」


 料理長と思しき人物が挨拶に来て、このカウンターの担当料理人を紹介するとその場を辞去した、料理人から苦手な食材を質問される。


「あの、サーモンとトリ貝が苦手です、もしかしたら他にもあるかも、思いつかないだけで」

「子供かよ」


 正直に告白すると絵梨香が呆れたようにコチラを見たが、料理人はニッコリと微笑んで「かしこまりました」と言って準備を始めた。


 同じ質問を両隣にもしている、老夫婦は「大丈夫です」と言っているが右隣の女性はくぐもった声で「貝が苦手です」と答えた。連れの声が聞こえないが、まさか一人で来ているという事は無いだろう。


 ビールで乾杯すると前菜の初鰹のお作りなんたら風、スモークなんたらの、が運ばれてくる。まぁ美味しい、美味しいが――。


『星野屋の方が美味いな』


 心の中で呟いた。

 恐らく高級で新鮮な食材を使い、有名なレストランで働いていたシェフを雇っているのだろう。しかし莉菜の父親と何が違うのか、佐藤は考えていると絵梨香が話しかけてくる。


「美味しいね」 

「あ、うん」 


 折角、高級料理を楽しんでいるので、余計なことを考えるのは止めることにした。


「なんで、急に温泉だったの?」


 当然の疑問だろう、しかし弟の武志が画策した事は言わない約束だったので返答に困った。


「ほら、ちょっとこないだの事故で右手に違和感があってさ、温泉とか良さそうじゃない」


 違和感があるのは本当だった、医者が言うには特に問題は無いので精神的なものなのかも知れないが。 


「良くないんだ、最近調子悪いのも右手の影響?」


 事故をしてからの佐藤の成績は惨憺たる結果だったが、それを絵梨香が知っているとは意外だった。レースをチェックしているのだろうか。


「いや、まあ病み上がりだし、あまり無理してないだけだよ」


 心配そうに目を潤ませる絵梨香、やはりコイツ、俺のことが好きなのでは、上がる心拍数を誤魔化すように質問を投げかけた。


「と、ところでお前は、好きな男とかいないのかよ」

「うん、いるよ」


 なんだ、やっぱりいるのか、誰だよ、と聞かれるこの流れで正直に答えるという事は少なくとも自分ではないのだろう。


 佐藤は少しガッカリした後に、先走らなかった事を安堵した、そう言えば病室に来た時もこれからデートがあると言っていた事を思い出す。


「最近、服装も変わったもんな、そいつの影響なの?」


 圧倒的に女性らしい服装に変わった絵梨香、元々美人なのに男ウケする格好なんてしたら面倒事が増えそうだが、好きな人の為に好みの格好をするとは中々可愛いところがある奴だ。


「まあね」

 鉄板焼きで美味しそうに焼かれた伊勢海老が目の前に提供された、何やら酸味のあるソースがかかっていて、プリプリの海老に良く合う。


『半分は刺し身で食べてみな、口の中でとろけるからよ、残りは焼いてあっから塩で食いねえ、結局、塩が一番うめえんだよ、元々塩水の中に居るんだからよ』 


 莉菜のお父さんなら言いそうだな、と考えていると、トリ貝を口に放り込んだ彼女の姿を思い出した。どうして自分がトリ貝が苦手か分かったのか不明だが、自分も苦手なはずの貝を佐藤の為に食べてくれた、お父さんにバレないように、優しい子だな。


「で、そいつとは上手くいきそうなの」

 自分では無いと分かった以上、興味は半減していた。


「うーん、どうかな、何考えているか分からない人だから」 


 料理人がステーキを焼き始めた所で、絵梨香がワインを飲み始めた、佐藤はレモンサワーが飲みたかったがメニューに無いのでビールを注文する。


「あれから、あの女から連絡ないわけ?」


 あれからが病室でキスをした日、あの女が莉菜である事は瞬時に察した、一応気にしているのか、だったらあんな事をしなけりゃ良いのに、明確な理由を未だ聞いていない。


「ある訳ないだろ、花束投げつけられたんだぞ」 

「ふふ」

「お前、自分はよろしくやってて人の恋愛は邪魔するなよな」 

「どうせ、ヤリたかっただけでしょ」


 はぁ、どうして女は男が好意を寄せると体が目的だと決めつけるのだろうか、あらぬ疑いをかけられるのは自分だけなのだろうか。


 確かにキャバクラで初めて会った時には見た目だけがタイプだった、しかし数日だが彼女と時間を共有すると気持ちは変わってきた、思い込みが激しくて自分を過小評価する。人の悪口を言わない、食べ方が綺麗、他人の為に自分を犠牲に出来る、彼女の良いところは会うたびに増えていった。


 そもそも童貞の佐藤は体目的で女性に近づくほど器用ではない。


「違うよ、いや、最初はそうだったかも知れないけど、今は彼女がちゃんと好きだよ」

「へー、どーだかね」


 急に不機嫌になったような気がしたが気のせいだろうか、もっとも絵梨香の感情は昔から起伏が激しいので気にも止めないが。


 コースの締めには何故かカレーが出てきた、少食の佐藤には終盤に来てのカレーライスは受け付けがたい、料理人には申し訳ないが断ることにした。


『もう、お腹いっぱいだろう、さらっと茶漬けにでもするか』


 観察力の違いか、きっと莉菜のお父さんなら一人ひとりを観察して、どれくらい食が進んでいるかを見ていたに違いない。


 しかし、それは自分の店だから自由に出来ることであって、こういったお店では勝手は許されないのだろう、決まったものを決まった量だけだす。


「ご馳走様でした、美味しかったです」


 料理人に挨拶すると部屋に戻る事にした、食後の散歩でもしようかと思ったが、どうやら絵梨香お嬢様のご機嫌がよろしくない、こんな時は放っておく、長い付き合いで学んだ知恵だった。

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