第16話 約束

 佐藤が赤羽駅の駅前に着くとすでに武志が待っていた。細身のブラックスーツを着用していてスラリと背が高い、黒い髪はオールバックに撫でつけ、鋭い目がシルバーフレームのメガネの奥で光っている。


 傍から見たらインテリヤクザの様な風貌は、誰も彼に近寄らせない危険な雰囲気を漂わせていた。


「怖いよ武志」


「あ、お疲れ様です、怖いとは?」


「見た目だよ、なんでスーツなんだよ」


「すみません、この後、仕事が入ってまして」


「まあ良いや、飯どうする?」


「そうですね、贅沢を言えば寿司が良いですね」


「寿司かぁ、このあたりだとあまり良い店が――」


 そこまで言って星野屋の存在を思い出した。寿司の味がそこまで分かるわけではないが星野屋の料理は驚くほど美味かった、しかし莉菜と気まずい関係になっている時に行っても良いものだろうかと佐藤は思案する。しかし、もしかしたら仲直りのキッカケになるかも知れないと思い足を運ぶ事にした。


「ああ、ここですか、赤羽にしては高級そうな外観がミスマッチですよね」

「味は保証するよ」


 既に営業中のお店の格子戸をカラカラと開けると莉菜の親父さんの威勢のいい声が聞こえてくる。


「いらっしゃい、って、あれ、佐藤選手じゃねえか」

 目の前に座る老夫婦に寿司を出しながら声をかけてきた、どうやら彼女と険悪になっている事は聞いていないようだ、最も父親にそんな報告をする娘がいるとも思えないが。


「先日はご馳走になってしまったので、今日はちゃんと払わせてください」

「なに言ってやがんでい、そんな事、若者が気にすることねえよ」

「いえいえ、逆に次から来にくくなってしまいます、僕すごくこの店気に入ったので」

「かー! 聞いたか母ちゃん、若いのに礼儀までしっかりしてやがらあ」


 親父さんにお願いして座敷の席に座らせて貰うと、二名分のおまかせ料理と生ビールを頼んだ。


「これから仕事なのに大丈夫か?」 

「ええ、どうせ酔っ払いが相手の仕事です」


 すぐに熱々のおしぼりと突き出し、生ビールが運ばれてきた、小柱とキュウリの和え物にとびっ子が乗っている、一口食べた武志が目を剥いた。


「うまっ」

 佐藤は笑顔で応えると突き出しに手を伸ばした、本当に美味い、突き出しに手を抜く店は信用できない、一番最初に口にする料理がまずかったらその後の信頼度も大きく下がるだろう。 


「あれから色々分かりましたよ」

 生ビールを煽りながら武志が呟いた、座敷に他の客はまだいないが、声のトーンを落としているのは聞かれたらまずい話だからに他ならない。 


 武志はカバンの中からファイリングされたA4用紙を取り出すと佐藤に手渡してくる、イカサマの可能性に思い至った経緯を武志はわかりやすく説明してくれた。


「そこで直近三年で怪しい動きをしていた人間を、ランキング形式で抽出しておきました」


 A4用紙には個人名の横にポイントが付いている、武志独自の採点方法で点数化したのだろう、流石に仕事が細かい。思いのほか多い名前に辟易していると一番上に記載されているポイントランキング一位をみて硬直した。


「小峠さん……?」

 そう呟いた所で莉菜の母が刺し身の盛り合わせを運んできた、その切り方を見て前回との違いにすぐ気がついた。


「佐藤くん、ぶ厚いの苦手でしょ?」


 その通りだ、佐藤は刺し身は好物だがやたらと厚く切られたマグロやブリ、店からすればサービスなのだろうが薄く切るのが好みの佐藤にはありがた迷惑だった。


「ええ、でもどうして」

「食べてる所を見れば分かるんだって、お父さん」


 佐藤は親父さんの方に目をやると真剣な眼差しで慎重に何かを捌いている、どんな世界にも一流の人間が存在するがここの親父さんもまたその一人なのだろう。


 莉奈の母が席を離れた所で再びファイルに目を落とした、知った名前と聞いた事もない様な名前がランダムに並んでいる。


「この名簿の全員が怪しいと?」

 佐藤が小声で尋ねるとビールを飲む手が止まり首を横に振った。


「いえ、あくまでも怪しい動きをした回数が多い人間のランキングです」

 そう言うと、武志はランキング二位の男を指差した。


「例えばこの男、勝率3.15のB2選手です、ところがA1級のタースピードで旋回したデータが三年間で八十二回、偶然上手く回れた――、にしては多すぎます」


 佐藤は武志の話がすぐに理解出来なかった、イカサマの常識として上位級の選手がわざと負ける事で成立する物だと勝手に解釈していたからだ。


「えっ、じゃあコイツは実力があるのに普段はわざと下手くそなフリをしているって事か?」

 武志は軽く頷いた後に「その方が欺き易いですよ」と呟いた。


 佐藤は刺身をつまみながら考えを巡らせる、確かに上位級の選手がワザと負けたり、スタートが遅れたりすると不自然に思われかねない、しかし下位の選手が素晴らしいターンをしたならどうだろうか――。


「賞賛されても疑われる事はないな」

「ええ、僕もそう思います」


 佐藤はファイルを捲りもう一枚の紙に目を落とした、何やら暗号のような文字列の横に矢印が付いていて、その先に数字が書かれている、察するに暗号を解読した物だろう。


『0215』

『0217』


 それでも何の事だか皆目検討が付かないので武志に尋ねた。

「これは?」

 武志はさらにボリュームを絞り、正面にいる佐藤にギリギリ聞こえるトーンで話し始めた。


「ヘルメスのホームページに不自然な暗号文を見つけたので解析しました」

 推察ですが、と念押しすると武志は数字の羅列について解説してくれた。


「これはイカサマを実行する日付ではないでしょうか」 

 イカサマをする為には選手と接触する必要がある、しかし保険屋の人間がそう度々選手と会ってるのは確かに不自然だ、では電話やメールはどうだろうか。


「まず僕なら、証拠が残るような連絡方法は取りませんね」

「メールとかラインでは、後々証拠が残るな」

「電話も録音される恐れがありますのでNGです」

「じゃあ」

「やはり直接会います、盗聴器などがないように身体検査をした上で土手でも歩きながら伝えますね」


 しかし『ヘルメス』ではそれよりも安全かつ手間が掛からない方法として、自社のウェブサイトに隠し暗号を用いて選手とコンタクトを取る方法を採用しているのではないかと武志は読んだ。


「まず、ホームページのソースを見る人間がいません、さらに万が一見に来たとしても暗号化されていて何の事だか分からない」

 その上、暗号は数時間で削除されてしまうようで証拠も残り難いと武志は付け加えた。


「どうしますか?」

 どうしたら良いのか佐藤には分からなかった、その様な集団が実在しているとして、何故自分に近づいて来たのか。小峠が本当に詐欺に加担しているのか。


 右手の違和感、絵梨香の奇行、莉菜との関係、詐欺師集団、いつの間にか山積みになった問題をどれから解決すれば良いのか頭がいたくなった。


「少し様子を見てみるよ」

「わかりました、暗号が入ったらその都度、連絡します」

「ああ、悪いな」

「いえ、それより姉貴と何かありました?」


 頭を抱える四大問題の一つだ、佐藤は先日、病室で起きた出来事をかい摘んで話した。武志は声を殺して笑っているが佐藤に取っては笑い事ではない。  


「ついに実力行使に出たわけですね」

「俺はあいつが何を考えているか、全く分からないよ」


 運ばれてきた握りを見て武志は目を輝かせている、普段感情を表に出さないこの男も自分の姉と、美味い飯には反応するようだ。


「寿木也さんも、大概ドンカンですからねえ」

 ウニを口に運ぶと、武志は恍惚の表情を浮かべている、ウニからいくタイプか、佐藤は卵を素手で掴むと口に放り込んだ。


「一度、ちゃんとデートしてやってくれませんか」 

 武志がイクラに手を伸ばした、コイツ好きなネタから食うタイプだな。


「絵梨香と? ちょくちょく買い物に行ったり、飯を食いには行ってるけど」

「姉貴から強引に誘われてですよね?もっとデートっぽい、そうだなあ、夢の国とか、温泉旅行とか」


 佐藤から誘ってくれと武志は言う、それが今回の仕事の報酬ですとお願いされては断るわけにもいかない、これからも武志の能力は必要不可欠だ。 


「じゃあ、はい、今連絡してください」

 テーブルに置いてある佐藤のスマートフォンを手渡してきた、しかし目線の先には佐藤のウニがある、佐藤は慌てて口に放り込んだ。


「え、いまから?」 

 当然ですとばかりに頷いている、佐藤は瞬時に考えを巡らせた、夢の国――。ネズミがモチーフのあの遊園地は佐藤がもっとも嫌いな場所だった。乗り物が嫌いな上に何時間も待たされる、挙句の果てに五分ほどで終わる、考えられない。


 温泉旅行――。

 うーん、と佐藤は考える、温泉は好きだしのんびり出来る、もしかしたら右手の違和感にも効能があるかもしれない。

 とは言っても、流石に二人きりで温泉旅行ってのは、そもそも絵梨香が行くとは思えなかった。

 佐藤は形だけでも誘えば武志への義理が果たせると考えて、その場でスマートフォンを操作した、絵梨香へメッセージを送る。


『おつかれ、今週時間あれば一泊で温泉でも行かないか?』


 メッセージ画面を武志に見せるとその場で送信した、いくら幼馴染でも男と二人で旅行なんて行かないだろう、そう高を括っていたが返信はすぐに来た。


『うん、もちろん行く、楽しみにしてるね♡』  


 行くのかよ――。しかも何だこのハートマークは、何か変なものでも口にしたんじゃないか、心のなかで突っ込みながらスマートフォンの画面を武志に見せた、何がおかしいのか声を出さないようにして笑っている。


「いやー、いい仕事しましたよ」


 そう呟くと、最後に運ばれてきた赤だしとかっぱ巻きを口にする、何気なく口にしたかっぱ巻きが相当美味かったらしく、武志はこの日何度目か分からない控えめなガッツポーズをテーブルの下でした。

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