第14話 組織の勧誘

 競艇のレースにはグレード(ランク)があり一番低いレースから一般戦、G3、G2、G1、SGとなる。佐藤クラスの選手になるとお盆や正月、ゴールデンウィークに開催される地元の一般戦以外は殆どがG3以上のグレードレースの出場になる。


 すると自然に場所は違えど斡旋される面子は似たような顔ぶれになる、師匠の小峠、兄弟子の桐野もA1選手の中でもさらに上位の成績の為、三人は度々同じ場で時間を過ごした。


「小峠さん、女が何を考えてるのか自分には理解出来ないっす」

 明日からのG1レースの為に長崎県は大村のボートレース場宿舎で、小峠と暇つぶしにオセロをしていた。


「はぁ?」

「結婚してますよね、小峠さんは」

「ああ、まあな」

 なぜだ、こんなハゲでも結婚出来るのに、佐藤はG1で優勝するよりも結婚する方が遥かに難しいのではないかと本気で考えていた。


「あ、そうだ」

 小峠は思い出したかの様に鞄を漁るとパンフレットの様な物を取り出した。


『一般財団法人 ヘルメス』


「若いお前にはまだ必要ないと思ってたんだがな、今回みたいな事故もある」

 パンフレットの表紙には競艇界の王者、新庄朋也が笑顔でコチラを見ていた。


「なんすかこれ、新庄さんじゃないですか」

「まあ、保険みたいなもんだ」

 パラパラとページを捲ると競艇選手が病気や事故で出走出来なくなった場合の保証、引退した後のケアなどが綴られていた。

「へー、こんなんあったんすね、いくらですか?」

「一万円からだ、上限はない、額によって得られる保証は同じだ、選手同士の助け合いだな」

 小峠は正方形の盤面を睨みつけているが、すでに黒に占拠されていて逆転は不可能に思えた。


「小峠さんも入ってるんですか」

「ああ」

「いくら入れてんすか」

「まあ、十万だ」

 諦めた様に空いているスペースに白い石を置くと挟まれた黒い石を一つだけひっくり返す。


「すげー、さすが」

「フライング休みの時に助けられてな、興味があれば紹介してやる」

 確かに競艇選手に明日の保証はない、もちろんどんな仕事でも同じだろうが怪我と隣り合わせ、成績によっては首もありえる業界では将来の不安は付きまとう。

「引退してからの就職先なんかも面倒みてくれる」


 先程、白に変わったばかりの石を直ぐに黒くすると小峠は投了した。


「小峠さん、引退するんすか?」

「しねーよ、例えばだよ」

「わかりました、じゃあ入ります」

「お前、もう少し考えろよ」

「一万円だし、小峠さんも入ってるなら」


 師匠の小峠を佐藤は誰よりも尊敬していた、レースに臨む準備、華麗なテクニック、空気抵抗の無い頭――。


「ああ、じゃあ今度、担当の白石さんに言っとくよ、それよりお前左利きだっけ?」


 佐藤が先程からオセロを左手で置いている事に小峠は気が付いた。

「いや、聞き手じゃない方も使う事で身体のバランスが良くなるみたいです、メジャーリーガーが言ってました」

「ほー、今回はどうだ、大村はあまり走り慣れてないだろう」

「ちょっとエンジン不味いの引いちゃったんで」

 あまり知られていないが、選手が乗るボートとエンジンは大会毎に抽選で決められる。精密に作られたエンジンだが個体差が激しく、どのエンジンを引くかはレース結果を大きく左右する。極端な話、真っ直ぐに走るだけで、良いエンジンと悪いエンジンでは一艇進以上の差が開く、これではいくらテクニックがあってもどうにもならない。


「はは、まあ怪我明けなんだから無理するな」

「おっす」


 右手の違和感を佐藤は誰にも話していない、左程レースには影響があるとは思えなかったからだ、しかし大村での六日間開催で佐藤は一度も勝利することがなく予選で敗退した――。


 

 次節は一週間後の平和島の斡旋が決まっている佐藤は一度赤羽の実家に戻ってきた、小峠から紹介された白石が赤羽まで出向いてくれると言うので日程を合わせて待ち合わせをした。


 夕方の六時に駅前で待っていると、ロータリに一台の軽自動車が入ってきた、普通免許も持っていない佐藤は車に興味がない、それにしても白石の乗る車はボロボロで悲惨な外観をしていた。


「佐藤選手すみません、お待たせして」

 運転席の窓を開けると三十代くらいの人の良さそううな男が車内から声をかけてきた。


「あ、白石さんですか?」

「はい、どこか喫茶店でも、とりあえず乗ってください」

 ペラペラのドアを開けて助手席に乗り込むと、車は大袈裟なエンジン音を立てて走り出した。


「すみませんねえ、お忙しいのに」

「いえ、今週はオフなので、こちらこそ赤羽まで来てもらって申し訳ありません」

「いえ、とんでもない、あ、そこの駐車場に止めちゃいますね」

 軽自動車を赤羽駅南口のコインパーキングに止めるとファストフード店に入った。


「すみません、こんな場所で、なにせ予算が少なくて」

 冬なのに額に汗をかいているタレ目の男は誰が見ても人が良さそうな外見をしていた、保険の勧誘などはガツガツした営業マンといったイメージがあり不安だったが、目の前の男と対峙して佐藤は安堵した。


「全然構いませんよ」

「ありがとうございます、では早速なんですが」

 分厚い鞄の中から資料を取り出すと、一つ一つ丁寧に説明してくれた、その内容は小峠から聞いたものと概ね一致していたが、佐藤は初めて聞いたかのように相槌を打った。


「わかりました、では僕もお願いします、それで金額なんですが」

 佐藤が昨年の賞金王だということは当然知っているだろう、ならばそれ相応の額をふっかけられるかも知れない、小峠は毎月十万、もしかしたらそれ以上を――。


「一万円からですので、まずはそこからで如何でしょうか」

 白石は額の汗を拭きながら申し訳なさそうに提案してきた。


「え、一万円で良いんですか」

 拍子抜けだった、白石は続ける。

「百人が一万円出しても、一人が百万円も同じ金額です、しかし前者の方が会社にも個人にもリスクが少ない、その点でネームバリューがある選手が入会してくれるのはありがたいですよ、佐藤選手は若手の憧れですからね」


「いやでも、一万円じゃあ……。三万だします」

 仮にも昨年の賞金王が最低額の一万円じゃあ格好つかない、得意の見栄っ張りが顔を出すと白石はありがたそうに何度も頭を下げた。


 必要書類に署名して捺印を押すと、ほんの一時間程でファストフード店を後にした。




「寿木也さん、こんにちは」


 白井の止めた駐車場まで一緒に歩いていると、聞いた事がある声に呼び止められた。


「おお、武志か」

 そう言えば南口はキャバクラ街だ、キャッチの武志がいても何ら不思議はなかった、時刻は夜の七時、ネオン街が活気づく時間帯になりつつある。


「どうですか一件、お連れの方と」

 武志が佐藤の連れに水を向けると、白石は申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません、車で来ているもので、それにこれから会社に戻りませんと、では佐藤選手、本日はありがとうございました」

 白石は何度も頭を下げながら駐車場がある方に歩いて行った。


「何者ですか?」

「あー、保険屋さん」

 武志は耳に付けたインカムを軽く叩くと神妙な顔つきになる。


「盗聴器ですね」

「へ?」

「あの男、盗聴器仕込んでますよ」


 突拍子のない発言に佐藤は思考が追いつかない、どういう事かと武志に詰める。


「盗聴器は会話の傍受、つまり盗み聞きする為のアイテムですが、サラリーマンが不正をしない様に会社から持たされている、とは考え憎いですね」


 だとすれば何だと言うのか、考えても分からないので武志に先を促した。


「いや、それは分かりませんがあの男、カタギの人間じゃありませんよ」


「ちょっとまて、ちょっとまて、盗聴器とかカタギじゃないとか、お前の想像だろう」


 あいつは本物の天才だと、姉の絵梨香に言わしめる武志は佐藤が理解する前に話をどんどん進めてしまう。


「前に客から盗聴器を仕掛けられたキャストがいまして」

 キャストとはキャバ嬢の事だ、彼女らの安全を護るのもキャッチの仕事だと言う武志は、それからは探知機を持ち歩いていたが、邪魔になるのでインカムに内蔵したらしい、盗聴器の電波を拾うとアラームがなる仕組みだ。


「そのセンサーが反応したと?」

「ええ」

「それで、カタギじゃないってのは」


 見たところ小指もあったし、刺青はまあ、分からないが、あの風貌には想像出来なかった。


「はは、そう言う意味じゃないですよ、まともな仕事をしている人間じゃないって事です」


 益々わからくなかった。


「僕の方で少し調べましょうか?」


 佐藤は白石と接触した経緯と、先程受け取った名刺とパンフレットを武志に預けた。


「二日ください」

 それだけ言うと武志は夜のネオン街に颯爽と消えていった。

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