第12話 寿木也の安否

「莉菜ちゃん、ちょっと待って」


「早くしよ、我慢できないよ」


 莉菜はキスをすると強引に舌を絡ませてきた、初めての感触と甘い香りで理性が飛びそうだったが佐藤はギリギリ踏み留まり体を離す。


「急にどうしたの」

「なにが? エッチしたいんでしょ」

「いや、そりゃしたいけど」

「じゃあ、早くしよ」


 佐藤の首に手を回して再びキスをする。


「ん――、ちょっと待って、ダメだよ」

「なんで? 寿木也くんとエッチしたいな」

 佐藤は両手を使って体を離すと莉菜の目元にそっと触れた。


「じゃあ、なんで泣いてるの」

 莉菜の両目からは涙が溢れている、莉菜の感情が理解出来ない佐藤は性欲よりも戸惑いを感じていた。


「別に関係ないでしょ、ほら触って」

 佐藤の手を取って自分の胸に当てる、莉菜は今までに見た事がない辛そうな表情をしているが心の中は読めない。


「関係なくないよ!」

 少し大きな声を出すと莉菜はビクッとして佐藤の手を離した。


「関係なくない、好きな子が涙を流してたらほっとけないだろ」

 佐藤の言葉に一瞬目を見開いたが、すぐに視線を逸らす。


「フンッ、ヤレればいんでしょ」


「何言ってんだよ、急にどうしたの、おかしいよ」


「私みたいに見た目だけ飾って、中身が空っぽの女を好きになる訳ないでしょ」

 莉菜がニットを脱ぐと薄いピンクのブラに収まった形の良い胸が露わになる、短いスカートに手をかけて止まった。


「着たままの方が好き?」

 佐藤が呆けていると莉菜はしゃがんでズボンのベルトに手をかける。


「ちょっ、やめ」

「舐めてあげる、私上手いんだよ」

 佐藤は莉菜の両脇を抱えて強引に立たせるとベッドに座らせた、涙は流していないが目は真っ赤だ。


「ちゃんと説明してくれないかな」

「なにを」

「急にこんな事する理由だよ」

 莉菜は嘲笑うかのように鼻を鳴らした。


「こんな事も何も、男と女がホテルに来てヤラない方が不自然でしょ」


「でも、もっとほら、お互いを分かり合ってからさ」

「童貞じゃあるまいし」

 数時間前の彼女と同一人物とは思えない程冷めた目をしていた、自分が何かしたのだろうか、身に覚えがない。


「童貞だよ」

「え」

「悪かったな、童貞だよ、二十二にもなって童貞だよ、あと八年で妖精だよ!」

 三十歳まで童貞だと妖精になるという都市伝説が地元にはあった。


「えっ、でも彼女とは」

 莉菜は明らかに戸惑っていた。


「いないよ、ずーっと……」

 佐藤は高校時代は毎日野球の練習に励み、卒業するとすぐに競艇の養成所に通った、一年間の合宿で毎日地獄のトレーニングが課せられる、卒業するとはやく上達する為に毎日を訓練に費やした。努力の甲斐があって史上最年少で賞金王になれたが、女っ気が無いままに二十二年の歳月が過ぎていた。


「キスしたのも初めてだし」

「え、あの、でもお姉ちゃんの店に彼女と」

「幼なじみだよ、付き合うとか全然ない」

「そんな……」

 莉菜は急に恥ずかしくなったのか脱ぎ捨てたニットをを拾うと胸元を隠した。


「ごめんなさい、あたし……」

 莉菜は泣きながら何故こんな行動に出たのか話してくれた、その理由を聞いて佐藤は申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが混ざり合う。


「俺がお姉さんにちゃんと否定しなかったから」

「ううん、わざわざムキになって否定する人のが少ないよね」

 問題が解決すると別の問題が佐藤に襲いかかってくる、胸元を隠しながら座るミニスカートの莉菜は妖艶で、見ていると興奮してきてしまった。


『舐めてあげる、あたし上手いんだよ』


 あれか、エロ動画で行われている、あれの事なのか、こんな可愛いお口でアレをアレして――。


「寿木也くん……」

「あ、ああ、良かったよ誤解が解けて、じゃあ帰ろう」

 危ない危ない、これでやらせてくださいなんて言ったら彼女が言う通りの男になってしまう。


「うん」

 やっと笑顔になった莉菜をみて佐藤は正しい選択だったと満足した――。




 

「うーん、莉菜ちゃん」

 夢から目が覚めると真っ白な天井が視界に入った、見慣れない光景だったがどうやらベッドに寝かされているようだ、記憶が曖昧で何故ここにいるのか思い出せない、お腹の辺りに圧迫感があるので目をやると母の涼子が突っ伏して眠っていた、よだれを垂らしている。


「母ちゃん重い」

「ん、あら、目が覚めたのね」

 周りを見渡す限りどうやら病院のようだが小さい頃から病気も怪我もした事がない佐藤には確信が持てなかった。


「おれ、なんで」

「練習中に事故をおこして気を失ってたのよ、二日も寝っぱなし」

「え、二日も」

 そうだ、戸田競艇場でチルト3で回る練習をしていた、段々と艇のかかりが悪くなって最後は回りきれずに壁にぶつかった所から記憶がない。


「あなたの先輩、えっと、桐野くんが連絡くれたのよ」

 緊急連絡先に実家を記載しておいたので連絡してくれたのだろう、桐野さんに危ないから止めろと止められた事を思い出して申し訳ない気持ちになる。


「そっか、俺のスマホある」

 練習の後に地元の連中と飲みに行く約束をしていたので連絡が取れずにさぞや心配しているだろう、グループラインを開く。


『寿木也死んだか』

『死んでるな』

『刺されたんじゃねえか』

『やべー』


 だれも心配していなかった、そう言えば二、三日連絡を取らない事も、飲みをドタキャンするのも良くある事でさして珍しくない。


 舌打ちしながら他の未読を開く、広告ばかりの迷惑ラインの中で星野莉菜の名前を見つけて安堵した。


『お疲れ様、練習どうですか、あまり無理しないで頑張ってね』


 可愛い猫のスタンプが励ますような動きをしている、誤解も解けたようで良かった。


『返事遅れてごめんね、ちょっと練習中に事故っちゃって入院してる』

 病気で寝込んでるスタンプを付け加えた、時刻は午後の二時、なにより腹が減っていた。


「先生呼んでくるね」

 今年で幾つだったろうか、結構遅めの子供だったからもう六十歳は超えているだろうに、息子の目から見ても涼子は若々しかった。


 若さの秘訣はなにかと姉が尋ねてるのを聞いた事がある。


「パパが若い女好きだから、浮気されないようにね」

 なんだそりゃ、と姉の直子は呆れていたがそれだけ今でもラブラブな夫婦なのだろう、羨ましい。


 俺も莉菜ちゃんと――。

 

 坊主頭に白衣、やたらと目力がある先生が部屋に入ってきた、有名な歌舞伎役者に似ている。


「佐藤さん、どうですか気分は」

 声まで似ている、おそらく意識しているのだろう。


「いやー、よく寝たなぁって感じです」

 感じたままを伝えると歌舞伎の先生が微笑む、強面が笑顔になるとキュンとするな、参考にしよう。


「それは良かった、念の為に精密検査をしますが何もなければ二、三日で退院出来ますよ」


「どうもありがとうございます」

 涼子が深々と頭を下げると先生は部屋を後にした、それにしても腹が減った。


「母ちゃん飯は」

「病院から出ると思うけど、まだ早いわね、じゃあ私は夕飯の支度があるから帰るね」

 ちゃんと絵梨香ちゃんにお礼言っとくのよ、と付け加えて涼子は病室を後にした。


「絵梨香にお礼……」

 なんの事がわからずボケーっとしていると、病室の扉が開いて白いワンピースを着た女が花瓶に生けた花を持って入ってきた。


「キャッ!」

 上半身を起こして呆けていた佐藤を見て、絵梨香が小さな悲鳴をあげた。


「なによ、起きてたの」

「ああ、それよりお前……」

 いつもパンツルックで可愛らしい服装を好まない絵梨香が、ノースリーブのワンピースを着ている。


「デートか? これから」

「ま、まあね、そうなのよ」

「へー」

 爪先から頭までじっくりと観察する、スタイルが良いのでワンピースがよく似合う、それにしてもこんな男ウケするような格好する事が意外だった。


「もしかしてずっと」

 おそらく連絡したのは涼子だろう、ご近所なので家族ぐるみで仲が良い。


「ちょうど暇だったからね、それにしても御守りも当てにならないわね」

「いや、持ってたから軽傷ですんだのかも」

「具合はどうなのよ」

「腹が減った」

 お腹をさすると絵梨香が小さな鞄からラップに包まれたお握りを取り出した。


「あたしの残りだけど食べる?」

「いるいる」

 絵梨香が放ったお握りを右手でキャッチしようとすると、ポトリと布団の上に落ちた。


「何やってんのよ野球部」

「ああ、悪い悪い」

「じゃあ、あたし帰るわ」


 絵梨香はピンクのカーディガンを羽織ると、はにかんだ笑顔を佐藤に向けてワンピースの裾を摘んだ。


「これ、似合ってるかな?」

 淡い服の色のせいだろうか、クールな印象の絵梨香の顔が優しく見える、普段あまり見せない笑顔にドキッとした。


「ん、ああ、似合ってる」

「へへっ」


 照れ笑いを残して病室を出て行く彼女、さぞや良い男とデートなんだろうと考えると、佐藤は少しだけ嫉妬した。

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