五章 白い鳥空へ
34 白き山の麓
「ねえ、ノア。ここ……」
ノアに連れられて飛んでみると、目の前に白い山があった。見覚えのある山をぼんやりと見上げたまま佇む。
アンペール領は北東にあって、白き山は連山で高く裾野を広げ、その頂きは夏でも雪を抱いている。
「マイエンヌの白き山の麓だよ。湖の近くに小さな山が連なった高地があって、この子がここがいいって言うんで決めたんだ」
周りを見渡せば似たような山々が連なっていてその向こうに湖が見える。ノアの家はその山の中腹にあって、頂上に大きな木が一本その枝を広げていた。
この辺りは馬車で麓を通ったことがあるだけだ。マイエンヌ侯爵家の領館は領地の中央にあり、別館が湖の畔に建っている。
結局、来てしまったのか。
「コルディエ王国の兵とか、帝国の兵とか来ないの?」
「帝国にはアレを置いたし、コルディエ王国は政情不安でそれどころではない」
オクターヴが答える。
「政情不安?」
「第一王子と第二王子が争っていて、国が二つに割れている」
ああ、そうなのか。クロード殿下は第二王子で正妃の子供だから王位を望み、第一王子は側妃の子供で長子だが温和な苦労人だと聞いた。
「この地はまだ静かだ。中央から遠いしな」
祖父は宮廷の権力闘争から離れて、領地経営に力を注いでいた。
ここは王国が潰れたらどうなるのだろう。
家は猟師小屋みたいな感じで、家の側には薪を山のように積んだ小屋がある。倉庫のような建物もある。
家の内部は広く、レンガで組んだ大きな暖炉があって椅子が並べられている。
片側に台所とテーブル、張り出した天井は中二階になっていて梯子で上がるとそこは寝床になっていた。
白い豹リーンが出迎えてくれた部屋の奥の方には、卵がとりどりの布に包まれて置いてあった。
「あら、どうしたのかしら。白く輝いて見えるわ」
「そうなの?」
「内側から輝いているのよ、見えない?」
「うーん、この前のくすんでいる時も見えなかったしなあ」
そうなのか。今は輝いているし、ごとごと動いているし。
「うふふ、元気そうで良かったわ」
リーンも嬉しそうに頭をこすりつけているし、アデリナが撫でてるし。
大人しかったミモも卵の側でぴよぴよ鳴いてるし。
帝国に行く前に村の市で買ったベーコンと玉ねぎを、残っていたパックのご飯でチャーハンにして、市場で買った卵でオムライスを作った。コンソメで簡単なスープを作って、市場で買った野菜でサラダを作っていただく。
みんな文句も言わずに食べている。
帝国に行ってから食事は提供されていたので、私が作ったのは久しぶりだ。
ちょっと帝国や将軍に対して申し訳なく思う。一宿一飯の恩ってあるからなあ。
こういうとこからして日本人なんだけど。
「この赤いソースは何?」
アルトが聞くので「トマトケチャップよ」と言うと「美味しい」と嬉しそうな顔をした。
くっ、可愛い。お姉さんはよしよししたい。
みんながうんうんと頷いている。こっちの世界ではまだ出来ていないのかね。
醤油とマヨネーズとケチャップが無くなったら、どうやって生きていこう。
食事の後、一服して話す。
「これからどうしよう」
「帝国の魔獣はキメラなんだ」
ノアが嫌そうにポツリと言った。
「キメラ?」
魔獣を掛け合わせて出来た生物だね。
頭がライオンで、体がヤギで、尻尾が蛇の怪物はゲームに居たけど。
「おいら可愛い方がいいし、そんなものいらないし」
ノアのちょっと拗ねた顔が可愛い。
熊は可愛くなかったと言ったな、無理して調伏したって聞いたし。
「俺はすでにお前の暗部として一族に了承されている。今更、帝国などに付かん」
オクターヴも気に入らない話だったか。
「我ら一族はお互いに情報を共有し、判断は話し合いで決める。主と決めた者を見限る事もあると、一族の歴史で習った」
「帝国の暗部はまた違うの?」
「彼らは帝国の犬だな」
うーん、伊賀と甲賀ぐらいの違いだろうか。
「わたくしはイスニ国の神殿で懲りました。小さな教会が良いですわ」
色々考えたのですがと、アデリナは溜息を吐く。
「俺はアデリナ様の護衛がいい」
側で守りたいとスヴェンは言う。小さな教会ならそれもいいわね。
「私はこの地で暮らしたい。もう怖いものを何も出したくないわ」
ため息を吐いて言う。
「僕はメリーと一緒に居る」
結局、皇帝の提案は誰もが気に入らないものだったか。
断れそうもない雰囲気だったし、逃げ出して良かったのか。
とんでもない置き土産をしちゃったけど。
「でもアルト、学校は?」
「まあ大体は教えてもらったし、大学はまたその内に」
「私、アルトの可能性を潰しているんじゃないのかしら」
「そんな事は無いよ」
アルトは即座に否定した。
「僕は焦っていたんだ。ここを早く手に入れたくて」
「でも、帝国に帰る予定だったんでしょ?」
アルトは何故か少し泣きそうな顔をした。
「母は帝国であの男の妾になって、虐め抜かれておかしくなって死んだ。僕は小さな時からセクハラされて、パワハラされて、死にそうになって見張り番の騎士が助けてくれて、逃げたんだ」
セクハラって、後宮の女官や妾に?
パワハラって、沢山の兄弟や皇妃に?
「あの小さな村に、見張り番の騎士と僕の教師たちが連れて逃げてくれて、ひっそりと暮らしていた」
アルトのお父さんが見張り番の騎士、アルトの教師があの老人たちか。
「僕は、メリーに会わなかったら、帝国に攻撃を仕掛けてお仕舞にしていた。あの燃える火の中で、僕はどうやって帝国を燃やしてやろうかと考えていた」
攻撃って、アルトが本気で攻撃したら──。
「そしたらメリーが水をかけてくれて、僕の心を冷やしてくれて……」
そうだったの?
あの村で私が一緒に行こうって申し出た時、アルトはなんて言ったっけ?
『嬉しいけど、お姉さん頼りなさそう』
あの時、すでに将軍と話がついていたのだ。
私が森で見たあの兵士たちは誰の差し金だったのか。皇妃か──。
将軍が来たのが分かってサッサと逃げたのか。
アルトは一人で帝国に行くつもりだったのか。
「僕の方がメリーに酷い事をしている。僕の方が資格がない。僕の方が──」
そう言ってアルトはエメラルドの瞳を暗くする。
「……でも、一緒に居て欲しい」
最後の言葉はぽつんと零れ落ちた。
アルト、私たちは独りぼっちの子供ね。
でも一緒だから独りぼっちじゃないわ。
「アルト、大丈夫よ一緒に居ましょうね」
「メリーは優しい」
「こいつは腹黒だ」
オクターヴが異議を唱える。
「どうして? こんなに可愛いのに」
「皇帝を見ただろう。今にこいつもそうなる」
「そうなの?」
アルトに聞くと首を横に振る。
「僕にはメリーだけだ。他の誰もいらない」
「そんなことは言わないのよ。皆がいてくれるでしょう」
「分かっている。でもそういう事じゃなくて──」
「私もアルトがいないと眠れないわ」
「どうしようもないな」
みんなが笑う。
私たちは行き場もなく、こんな人の領地の隅っこでひっそりと隠れているのに、どうしてこんなに和気あいあいとのんびりしているのかしら。
明日にも帝国が攻めて来たり、王国の兵士が捕まえに来たりするかもしれないのに。
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