身代わり花嫁は旦那様から逃げられない。

友斗さと

第1話 憂鬱な日常


 嗚呼、今日もまた一日が始まってしまう。


 壁の隙間から冷たい風と一緒に朝日が差し込む。もうすぐ春だというのに、まだ肌寒い季節の隙間風は堪えるものだ。薄汚い布団の中で、式町しきまちつむぎはゆっくりと目を覚ました。ぼんやりする視界には壁いっぱいに置かれた物ばかり入ってくる。この埃っぽくて狭い物置がつむぎの部屋だ。

 つむぎは意を決して薄い布団から出て窓を開けた。するとそこには、いつもと変わらない爽やかな朝の街並みが広がっていた。朝もまだ早いと言うのに人やあやかし達が歩く姿がちらほらと見える。

 ここはヒヨノ帝国帝都・東都とうと

 人間とあやかしが住まう国の第一都市である。

 昔ながらの町屋敷が建ち並ぶ中に、煉瓦造りの洋館がいくつか異彩を放ってそびえたっている。


ーーあれからもう五年になるのですね。


五年前、島国であるヒヨノ帝国に見知らぬ国の使者がやって来た。そこでヒヨノ帝国は他国との文明の差を見せつけられ、必死の思いで新しい文化を取り入れ進化しようとしていた。

 世に言う文明開花である。

 その象徴とも言える煉瓦造りの洋館は、まだこの帝都の街並みには馴染んでいない。けれども少しずつ古くからの街並みが壊され、新たなモノが作られていく。そんな時代を象徴するかように変わりゆく街並みを眺めるのがつむぎは好きだった。

 しかし、そんな穏やかなひと時もすぐに幕を閉じる。


「つむぎ!」


キンキンと響く高い声がつむぎの名前を呼んだ。朝は早いというのに元気なものである。名前を呼ばれたつむぎは重たい気持ちになっていった。


「つむぎ!何してるの!」


急かす声が近くに聞こえる。このままではいけないと、つむぎは慌てて物置を飛び出した。

 すると何と物置の前に声の主がいた。

 黒くて艶のある長い髪が特徴的な可愛らしい少女だったが、腕を組んで仁王立ちする姿はとても高圧的だった。

 その姿を見てつむぎはさっと顔を青くした。


ーーまずいです……。


そう思ったものの、時はすでに遅かった。

 少女は大きく腕を振りかぶって、思いっきりつむぎをぶった。そして、ぱあんっと痛々しい音が静かな朝の屋敷に鳴り響いた。

 けれどいつもの事なので、誰も気にも止めず駆け寄ってくるものはいない。

 きよは苛立った様子でつむぎを睨みつけた。


「何ですぐに来ないのよ」

「す、すみません。きよお義姉ねえ様」


つむぎがきよの名前を呼ぶと再び平手打ちされた。そうしてまるで害虫を見るかのような目で睨まれた。


「お義姉ねえ様なんて呼ばないで」

「すみません。きよ様」

「朝から気分悪いわ。さっさとお茶をいれて」

「はい」


それだけ言うと、きよは怒りながら去って行った。

 そう。これがつむぎの日常なのだ。

 式町家は歴史ある由緒正しい術師じゅつしの家系で、古くからあやかしを従え、あやかしと共に生きていた一族である。

 両親を亡くし身寄りのなかったつむぎは、術師としての力を認められ、式町家に預けられることになった。

 それがきよには気に食わなかった。

 きよは式町家の長女として生まれた。長い歴史の中で栄華を誇った式町家だったが、最近では術師としての才を持つ者もほとんどいなくなっていた。そんな中できよは術師としての才を持って生まれた式町家の期待の星であった。幼い頃から英才教育を受け、式町家を継ぐ者として躾けられてきた。厳しい教育を受けつつも、それ以外ではかなり甘やかされて育ってきた。

 そんな時に術師の才を持つつむぎがやって来てしまったのだ。自分の地位を脅かす存在になりかねないつむぎの存在が、きよは疎ましくて仕方ないのだった。


ーー仕方ないことなのです。


つむぎもきよの気持ちを思うと複雑になる。住まわせてもらっているつむぎとしては、慎ましく平穏に暮らせればそれで良かった。だがそう上手くはいかない。きよの我が儘に耐えながら、つむぎはいつもそうやって「仕方ない」と自分に言い聞かせるのであった。

 お茶の準備を終えたつむぎがきよの部屋へと向かう途中、式町家当主である義父ちちと出会った。いつも空気のように扱われるつむぎは、今日も気配を消してこうべれて、通り過ぎるのを待った。

 しかし、義父はピタリと歩みを止めた。


「おい」


そして何とつむぎに声をかけた。つむぎが思わず顔を上げると、義父がつむぎをじっと見つめていた。信じられない出来事に、つむぎは言葉が出なかった。


「そのお茶は広間に運べ。きよとお前に話がある」


つむぎは何を言われたのか頭が追いつかなかった。しかし忌々しそうな義父の視線に我に帰り、慌てて頭を下げた。


「か、かしこまりました」


いつもと変わらない日常の始まりのはずが、いつもとは違う何かが始まろうとしていた。


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