1-3 初陣

「腹が減っただけであんなに悩めるもんかね」


 やれやれという仕草の門番を背にして城の前から離れたユシャリーノ。

 いよいよ城下町から勇者生活が始まるのだ。

 だがしかし、王都は彼にとって初めて目にする町。

 どこに何があるのかさっぱりわからない。

 城のある丘の前には街道がある。

 荷物を積んだ馬や道の端を歩く行商、母親に怒られている子ども、門番に追い払われている人、追いかけっこをしている猫、何に対して吠えているのかわからない犬――。

 その場に立ち尽くして見回すだけでも様々なことが起きている。


「とにかく食い物食い物。荷物を持つ力すら無くなっちまう」


 ユシャリーノは、地元名工製の鎌と鍬が揺れる鞄をぽんと叩いた。

 鎌と鍬は、どちらも祖母からせん別として渡されたものだ。

 続いて腰に携えた勇者の剣にも手を当て、ようやく道を歩き出した。

 村から城へ向かう時の半信半疑な面持ちとは違う。

 勇者として認証された後の少年は、どや顔を浮かべて道を渡る。

 城のある丘を下りると、敷地境界に設けられている門で止められた。


「次の人……剣を持っているということは志願兵の申し込みでもしてきたのかな?」


 高さは肩から腰まで、幅は上半身が全て隠れるぐらい、奥行きは肉付きの良い大人の男が一人背中に抱きついているほどある鞄を背負い、左腰には帯刀という見た目のユシャリーノ。

 出稼ぎのために村から城を訪れる少年は珍しくなかったため、同じ類だと思われたようだ。


「いや、勇者としての認証を受けてきたんだ」

「は?」


 ユシャリーノの言葉が門番の耳へと入り込むが、脳への入り口で止められた。

 門番の職業病が作り上げた『脳内不正侵入防止機能』が働いたのである。

 記憶の窓口へ問い合わせが入ると、脳内に保管されている膨大な記録を照会し、答えを返した。

 その内容は、とりあえず理解できる言葉を発したらしいというあやふやな情報だった。

 何語で返すべきか悩むが母国語しか見当たらないため、ひとまず聞き返した。


「今、何と?」

「だからさ、ゆ・う・しゃ。勇者だよ」


 門番は、ようやくユシャリーノが何を口走ったのかがわかり、一拍遅れて剣を振りかざした。

 そのまま斬りつけるのではなく投げそうになるが、すんでのところで抑えた。


「いやいや、それは冗談にならないからやめておいた方がいい。特にこの国内ではな。ほとんどの人に睨まれるぞ」

「いやいやいや、冗談ではなくてさ――」

「わかる、わかるよ。いわゆるブラックジョークってやつだろ? たまには言いたくなるよなあ。だがな、相手が俺だから許してやれただけだ。悪いことは言わない、今後はやめておきな」

「待て待て、ついさっき王様とも話をしてきたんだ――」


 必死に勇者であることをアピールするユシャリーノを見て、別の列に並ぶ子どもが、持っていた石を投げようとする。

 母親が子供の手を掴んで制止すると、子供は解放されている手でユシャリーノを指差して言った。


「母ちゃん、あの人、門番さんに文句言ってる! きっと悪い人だ」

「こらっ、人に指を差してはいけません。それにあの人のことを口にするのもやめなさい。お腹でも壊したらどうするの」

「え……やだっ!」


 ユシャリーノは首を傾げ、門番に何かを尋ねようとした。


「あのー」

「さあ、通っていいぞ。旅ってのはいいもんだが危険も多い。気を付けてな」

「あ、はい」


 後ろに並んでいる行列からの圧を感じて振り返ると、全員が様々な物を持って腕を振り上げている。


「……どゆこと?」


 奇妙な様子に驚いたユシャリーノは、門番への質問を切り上げて城の敷地外へと出た。

 城は城壁で囲まれ、町は町壁で守られている。

 それぞれの壁は通用門で出入りする、いわゆる城塞都市だ。

 ユシャリーノが城壁を出ると一気に騒がしさが増し、心なしか漂う空気の匂いも違うように思う。

 城壁内の人通りでも多いと感じていたが、桁違いの賑やかさに面喰った。

 ユシャリーノは町の山側、城の位置で言えば裏側から訪れたため、町の中でも比較的静かな所しか見ていない。

 それでも村とは明らかに違う賑やかさに心を躍らせるほどだった。

 そしていよいよ町の中へと入る。

 見慣れない物品が売られているお店や民の服装が目に映る。

 それらは村で体験したことのない高揚を感じさせ、心は狂乱のダンスを始めるのである。


「何なんだここは……まさか天国」


 それはない。

 天国と聞いてまず思い浮かべられるのは、死後の世界だろう。

 もしくは、何もわずらわしいことのない快適な環境。

 ひたすらに平和で、視界はうっすらとソフトフィルターが掛かり、花畑が広がっている……諸説あり。

 ユシャリーノもそれに似たような錯覚をした。

 前者ならば、成りたての勇者が何の功績も上げずに終わったことになり、誰にも勇者だと知られないままだ。

 実際のところ、まだ知られていないのだが。

 後者ならば、勇者としての仕事を完了した後に得られるかもしれないことなので、何もしていない現状ではあり得ない。

 天国を妄想しつつ、頑なに勇者気分を崩さないユシャリーノは道の上にぽつんと立っていた。


「営業妨害なら他でやっておくれ。それならうちが儲かるからね」


 野菜と果物を売っている仏頂面のおばさんが、腰に両手をやってため息をついた。

 人通りの絶えない道沿いに並ぶ小売店。

 売っている品物の種類は違えど、お店を営む者たちは皆同じ商人である。

 営業スマイルで隠された本性は、日間売り上げランキングでトップを狙う闘士だ。

 上位三店舗に入れば、城壁の一部と町角に設置されている掲示板での宣伝権が与えられる。

 商人コロッセオの真ん中で立ち尽くす者は、障害物以外の何ものでもない。

 いったん、戦うために必須の『スマイル』という武器を置いてまでユシャリーノに抗議するのは当然といえる。


「ほら、早く」

「す、すみません」


 おばさんから放たれる『威嚇』は、勇者の剣を以てしても太刀打ちできないと判断したユシャリーノ。

 ここで能力『機転』を発動することもできずにその場から退避した。


 ――――初陣、敗北。


 勇者ユシャリーノは、心の隅で感じる悔しさよりも、無事であることをひたすら感謝して止まなかった。


「あーびっくりした。あのおばさん、天国なんてあるわけないって顔してたな。これは手強いところへ来ちまったかもしれないぞ。にしても失敗したなあ。あの店、野菜と果物を売っていたのに怒らせちまった。食材を確保できる絶好のチャンスだったのに」


 かろうじて見える店の方をちらりと向いて、目に焼き付いている野菜を思い出す。


 ――――ぐう。


 『ねえ、まだあ?』と子供がねだるように腹が鳴る。

 野菜を想像したことで反応したらしい。


「わかってるって。お前を満たそうと思って奮闘してるんだろ。もう少し待てよ」


 ――――ぐうぐう。


「二度鳴らなくてもいいっつーの! 大事なことだって重々承知してっから」


 おばさんに圧をかけられ、腹からも急かされる勇者ユシャリーノ。

 もしかしたら、最初の窮地に立っているのかもしれない。

 まだ何に対しても奮闘はしていないが。


「あの店相手にリベンジするのか。でも野菜を仕入れるためにはやるしかない……いや待て。おばさんは討伐相手じゃないだろ。まったく、何を考えているんだ俺は」


 ユシャリーノは、両頬をぱちんと平手で叩いて混乱する頭をすっきりさせた。


「ただお客として行けばいいだけじゃないか。それならおばさんは笑顔になるはずだ。うん、一軒のお店を助けられるぞ」


 買い物を勇者の仕事として考え直し、無意識のうちに険しくなっていた表情を和らげる。


「そうか。勇者の仕事はどこにでもあるってことか。はっはっは、俺はわかったぞ」


 どうやら勇者について何か気付いたことがあるようだ。


「何気ない日常から勇者の仕事が見つかるっつーことだ。なんだ、簡単じゃないか」


 王様から、勇者と言ったらと聞かれて答えたのは、魔王討伐だった。


「勇者の敵は魔王だけじゃない。相手も敵とは限らない。人を救うことにつながるのなら、そのすべてが勇者のするべきことなんだ。もしかしたら、歴代の勇者たちもこうして世界の救い方を一つずつ知っていったのかもな」


 首が痛くなるのでは、と心配になるほど強くうんうんとうなずくユシャリーノ。

 彼にとって、陰っては晴れるを繰り返す忙しい感情の揺れは、前向きな姿勢を維持するのに必要なのかもしれない。

 謁見後に城を出た時、何をすればいいのか困り果てていた表情など、今では思い出せないぐらい微笑んでいる。



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