第二章20

 がらんとした部屋の真ん中に景之亮は座っていた。

 蓮は女人にしては、物が少ない。丸や他の使用人の女人たちの部屋はいろんなものが溢れかえっていたが、蓮はそんなことはなかった。

 しかし、それでも、蓮の物が無くなった部屋は殺風景だ。これが三年前の自分の部屋だったはずなのに。

 寂寥が迫って来るのをぐっとこらえている景之亮に、庇の間に現れた丸が声を掛けた。

「旦那様、どうされました?」

 景之亮は丸の声に視線を上げた。

「いや、何でもないよ」

「……なんだが、旦那様……顔色が悪いです……熱でもあるのではないですか」

 丸に言われて、景之亮は下を向いた。自分の座っている胡坐をかいた足が見えたのだが、丸の声が呼び水になったのか、視界が揺れた気がした。

「旦那様!」

 丸の声が頭に響いて、景之亮は気がついたら天井を見上げていた。

「どうなさいました?」

 虚ろな視界に丸の顔が割り込んできた。

 座っていた自分は、その状態を保てず床に転がってしまったのだと分かった。

「どうしたことか……」

 景之亮はすぐに体を起こしたが、起き上がったときに額に丸が手を置いた。

「熱いですよ、旦那様。熱が出たのでは。おい!誰か!来ておくれ」

 丸は景之亮の背中に回って、景之亮の体を支えて人を呼んだ。

 真澄や他の男たちが足音を鳴らして部屋に入って来た。丸が褥を整えたところに、男たちに肩を借りて景之亮は褥の上に上がった。

「お疲れなのですよ。お休みなさいませ。後ほど、お食事やお薬を持ってきますから」

 体を横にした景之亮に丸は言うと、皆は部屋から出て行った。

 景之亮は言われてみれば、額は熱く、頭はぼうっとする。昨日からそんな感じがあったのだが、少し疲れているだけで、倒れ込むほど体が弱っていたとは思わなかった。

 景之亮は目を瞑ると、すぐに眠りに落ちた。

 次に目が覚めた時、あたりは真っ暗だった。

今は何時だろう……。

景之亮は体を起こした。そこへ、身じろぎする様子を感じ取った丸が灯りを持ってやって来た。

「よくお眠りになられましたね」

 景之亮は顔を右手で撫でて頷いた。

「よく寝たようだ。何時かな?」

「亥刻くらいでしょうかね。少しばかり、お食事をどうぞ」

 少しの粥が入った椀を差し出した。景之亮は受け取ると、椀の淵に口をつけて匙でかき込んだ。

「こちらは熱に効く薬湯ですよ。どうぞ」

 と言って、椀を差し出した。

「まだ熱いでしょうからゆっくりとお飲みください」

 景之亮は椀を両手で持って、口の前に上げると表面を吹いて冷ました。

「……薬湯がすぐにでるとはなぁ……」

「……それは蓮様が、教えてくださったのですわ。……それに、台所にはいつでも煎じることができるように、薬草がたくさん置いてありますから……」

 と言った。丸は言うべきかどうかと舞土居ながら蓮の名前を言った。

 景之亮は顔色を変えることなく薬湯の表面を吹き続け、一口飲んだ。だいぶ冷めたので一気に飲み干して、椀を褥の脇に置いた。

「また寝られますか?」

「……うん」

 景之亮が枕に頭をつけると、丸衾を引き上げて景之亮に掛けた。

 景之亮は顔に右手を乗せて、じっとしている。

 持って来た灯りを再び持って立ち上がり、丸は言った。

「しっかりとお眠りくださいませ」

 丸が部屋から遠ざかると、部屋は再び暗くなった。

景之亮は込み上げていたものを我慢することもなくなって、声を漏らした。むせび泣く自分の声が部屋に反響する。

 もう蓮のことは諦めなくてはいけないとわかっているのに、諦めきれない自分がいる。

 元来頑丈な景之亮だが、疲れがたまると体調を崩すことがあった。蓮がこの邸に来てからは、蓮の日々の気遣いがあって蓮が用意してくれた食事摂り、薬湯を飲んで一晩眠れば元気になった。

 眠る景之亮の額に、頬に、その体を悪くする根源を吸い取るように蓮は手を置いた。最後に手を握って、私が景之亮様の体をよくするわ、と言った。景之亮も、蓮の言葉はその通りだと思って、眠ったのだった。

 蓮は、もういない……。蓮が恋しい、恋しい。

 蓮が景之亮や鷹取の邸の者たちのために、たくさんの薬草を持って来てそのまま置いてくれていた。それがあれば、この邸での病には対処できるだろが、使い切ってしまえばこの邸はどうなることだろう。

 景之亮は蓮という女人が自分の全てを守ってくれていたのだと、改めて思った。

 部屋に反響する声は、すぐに収まり、代わりに外から聞こえる虫の声が響いた。

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