忘れられたテディベア

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忘れられたテディベア

 ランチの忙しさが一段落した。

 喫茶店内は、静かで落ち着いた雰囲気に包まれている。

 この店の近くには商業施設が多いせいか、平日でもそれなりに客がいるが、今は昼下がりだからなのか、アルバイトの少女とマスター以外にお客さんの姿はなかった。

 マスターの年齢は40代後半といったところだろうか。

 白髪混じりの髪をオールバックにして、口髭と顎鬚を蓄えており、細身だが筋肉質な体つきをしている。

 若い頃に格闘技をやっていたらしく、今でも趣味程度には続けているらしい。

 アルバイトの少女は、高校生だ。

 肩のあたりで揺れる毛先が大人可愛いワンレンミディアムヘアの少女。

 身長は高く、スタイルが良く顔も整っているため、美少女と言って差し支えなかった。

 ただし、目つきが悪い。

 つり上がった大きな瞳は、どこか攻撃的な雰囲気を放っている。

 名前をあん理紗子りさこと言った。

 そんな状況もあってか、理紗子はマスターと二人でカウンターに立ちながら、何気ない雑談を交わしていた。

 そして、ふとした拍子に、こんな話題になる。

「そういえば……最近、何か変わったことありました?」

 その質問を受けて、マスターが少しだけ考えるような仕草を見せる。

 そして、思い出すようにしながら答えた。

 理紗子の視線がわずかに鋭くなる。

 それは、彼女が警戒している証拠だった。

 この店の近くにある施設――ショッピングモールでは、少し前から奇妙な事件が起きているらしいのだ。

 死体が見つかったというニュースこそ流れていないものの、毎日の様にサイレンの音が響いている。それは救急車であり、消防車であり、パトカーでもあった。明らかに異常な出来事が続いている。

 学生の理紗子が気にするのも当然だろう。

 しかし、マスターは穏やかに微笑みながら言った。

 まるで、世間話のように。

「ああ……あの事件のことか」

 その反応を見て、理紗子は内心でホッとする。

 少なくとも、マスターはその事件について知っているようだったが、どうやら深刻な様子ではなかったからだ。

 もっとも、事件の概要くらいなら知っていてもおかしくはないのだが。

 それでも、こうして口に出すということは、あまり詳しい情報を知らないということかもしれない。

 それならば、理紗子にも話すことができる。

 彼女は少し安心して口を開いた。

「そうなんですよ。なんか変なことが起きてるみたいじゃないですか」

 理紗子は声を抑えながらも興奮気味に言う。

 すると、マスターは困ったように苦笑した。

 それから、ゆっくりと首を横に振る。

 どうやら、本当に知らないらしい。

 理紗子は思わず顔をしかめた。

 やがて店内にお客の入店が告げられるベルが鳴る。

 入ってきたのは二人の女性だった。

 どちらも20代前半くらいに見える。

 理紗子は、コップに水を用意すると注文を取りに行った。

 そして、そのまま接客を始めてしまった。

 つまり、今の会話はそれっきりだ。

(まあ……別にいいけど)

 そう思いつつ、理紗子は小さく息をつく。

 とりあえず、今は仕事に集中しようと気持ちを切り替えた。

 その後は何事もなく時間は過ぎていく。

 午後3時前になり、客足が途絶えたところで休憩に入った。

 理紗子はエプロンを外すと、裏口から外に出てスマホを取り出す。連絡する用事がある訳ではないが、友達から連絡が入っていないか確認するために取り出しただけだった。

 ふと、理紗子は店の角にクマのヌイグルミが落ちていることに気付いた。

 真っ黒なテディベアだ。

 誰かの忘れ物だろうか? それにしても不自然な位置に落ちている気がするが……。

 不思議に思って拾い上げる。

 クリクリとした黒い目が可愛らしいテディベアだ。

「可愛い……」

 理紗子は思わず呟く。

 周囲を見るが、人影らしいものは見当たらなかったので、少しの間だけ眺めることにした。

 両手で抱えてみると意外と大きいことが分かる。

 おそらく40cmはあるだろう。

 抱き心地も良く、触り心地も良い。

 ずっと抱きしめていたくなるような感覚に陥るほどだ。

 このまま放置しておくのも可哀想と思い、理紗子は店の中に戻ろうとした。

 そのときだった。

 背後でカタンッと音が鳴った。

 振り返ると、そこには誰もいない。

 だが、確かに音を聞いた。

 それは事実だ。

 理紗子は辺りを見回す。

 やはり、人の気配はなかった。

 理紗子がテディベアを抱いて店内に戻ると、マスターがコーヒーを飲んでいた。

 それから理紗子が抱いているテディベアに気がつくと、少し驚いたように目を開く。

「どうしたんだ。それ」

 訊かれて理紗子は答える。

「外にあったんです。汚れている様子もないですし、捨てられたんじゃなくて忘れ物かもしれませんね」

 理紗子の言葉を聞いて、マスターは納得するようにうなずいた。

 店の外にあったのなら、探しに来るかも知れない。

 理紗子とマスターは話し合うと、通りに面した窓際にテディベアを座らせることにした。

 これで持ち主も見つけやすいだろう。

 だが、その日は結局、誰もテディベアのことで尋ねて来る人は居なかった。


 ◆


 翌週の土曜。

 理紗子は店番をしていた。

 マスターは買い出しに出かけている。

 今日は、理紗子一人で店を回していたが、ピークを過ぎていた為に問題はなかった。

 カップルが一組居ただけで、お客は少ない。

 暇を持て余していたときだった。

「あれ可愛いですね」

 理紗子は不意に声をかけられた。

 女性客が窓際に置いてあるテディベアに視線を向けている。

 その表情には、かすかな微笑みがあった。

 理紗子は嬉しくなって言う。

 もちろん、声を抑えてだ。

 カウンター席に座っているお客さんだったので、理紗子も自然と顔を寄せるようにして話す。

 その女性は大学生くらいに見える。

 理紗子より少し年上といったところだろう。

 美人で大人っぽい雰囲気の女性だ。

「お店の看板キャラクターなんですか?」

 訊かれたので、理紗子は答える。

「いえ。実は忘れ物らしいんですよ。先週、お店の外にあったのを私が見つけたんです。そのままにしておくのは可愛そうなので、落とし主が現れるまで窓際に飾ってるんですよ」

 理紗子の答えに女性客は興味を持ったようだ。

「ねえ。一緒に写真を撮っても良いですか?」

 女性の頼みに理紗子は断る理由もないので了承した。

 女性は彼氏を伴って、テディベアを赤子のように抱き上げ、彼氏と並ぶ。

 女性のスマホを預かった理紗子は、カメラモードに切り替えて二人をフレームに収めた。

 それから、シャッターボタンを押す。

 すると、フラッシュが焚かれ、二人の姿が一瞬だけ光に包まれた。

 その瞬間、理紗子は表情が強ばる。

 無事に撮影を終えると、女性が嬉しそうに礼を言う。

 どうやら満足してくれたらしい。

 理紗子はスマホを女性に返し、カップルはお店を後にした。

 店内に一人になった理紗子は、テーブルに置かれたテディベアを見る。

 あれは、なんだったのだろう。

 フラッシュが炊かれる直前に見た光景を思い出しながら思う。

 テディベアの口元が薄く開いた感じがしたのだ。

 そんなことはあり得ない。

 光の加減による、表情。

 そう思い込む。

 そう思いながらも胸騒ぎが止まらない。

 理紗子は不安を拭い去るように、小さく首を横に振った。食器を片付けながら思い過ごしだと考える。

 気のせいだと思い込もうとしていると、どこか遠くで突然のブレーキ音のような音が聞こえてきた。

 何かがぶつかる大きな衝撃音のようでもあり、悲鳴にも似た叫び声のようなものが響いた気がした。

 理紗子は、反射的に振り返っていた。

 そこにあったのは、通りに面したガラス窓。

 理紗子は息を飲む。

 今の音は、まさか……。

 嫌な予感がして、理紗子は慌てて店の外に出た。

 道路を見ると、先程のカップルが道に倒れていた。近くにはトラックが停まっていた。


 ◆


 あれから数日が経過していた。

 理紗子はマスターから、気遣いを受ける。

「安さん。大丈夫?」

 訊かれて、理紗子は返事をする。少々、動揺が入っている。

 あの事故の後、救急車が呼ばれ、二人は病院に運ばれたが、幸いにも命に別状はなかった。

 しかし、男性は今も入院中だという。

 女性は軽い脳震盪を起こしていたが、こちらも意識がはっきりしており、大事には至らなかった。

 不幸中の幸いだ。

 命が助かって、本当に良かったと思う。

 けれど、一つ気になることがあった。

 それはテディベアのことだ。

 理紗子が救急車でカップルが運ばれ、お店へと戻るとテディベアは窓ガラスに顔面を押し当てた状態になっていたのだ。

 確か、テーブルの上に置いた状態にしておいたのにだ。

 あれはまるで……。

 事故を眺める為に動いたような……?

 理紗子は考え過ぎだと自分に言い聞かせた。

 そして、いつも通り店番をして過ごしていた。

 お客が居ないときにマスターが言う。

「実は、先日話しにあがったショッピングモールでのことなんだが、あの後、僕は気になって調べてみたんだよ。そうしたら、変なことがあってね」

 マスターは語り出す。

 毎日のようにショッピングモールでサイレンが鳴り響いていた件は、ネットでは話題となっていたそうだ。

 原因不明のボヤ騒ぎ。

 店内放送にラップ音が発生。

 犯人不明の刃物による傷害事件。

 などなどが、連日のように発生していたらしい。

 だが、その数日後にはピタリと止んだという。

 今では、すっかり静けさを取り戻しているようだ。

 マスターの話を聞き、理紗子は背筋が寒くなる。

 また近くの工事現場では、落ちていたテディベアを拾おうとしたそうだ。

 しかし、そのときに上から鉄骨が降ってきて、慌てて逃げたという。

 つまり、テディベアは偶然そこに落ちていたのではなく、誰かが意図的に落とした可能性が高いのだ。

 それなら、なぜそんなことをするのか。

 その理由は分からない。

 ただ言えることは、悪意を感じるということだけだ。

「テディベアって……」

 理紗子はテディベアに視線を向ける。

 もしかすると、あれが原因なのではないか。

 理紗子の不安そうな顔を見て、マスターが言った。

 優しい口調だ。

 安心させるように。

 その言葉は、とても温かく感じられた。

 きっと、自分の気持ちを察してくれたのだろう。

「まさか。ヌイグルミが不幸を呼び寄せたりしないよ。それに、あれは忘れ物だからね。落とし主が現れるまで大切に保管しておくつもりだよ」

 理紗子は、その答えを聞いて安堵した。

 そうだった。

 あれはただの忘れ物なのだ。

 落し物を預かっているだけに過ぎない。

 悪いものじゃない。

 そう思うことにした。

 それから数日間は、何事もなく平穏な日々が続いた。

 そんなある日のことである。

 お店が休みだった理紗子は、自宅で過ごしていた。

 テレビを見ようとリモコンを手にしたとき、テーブルの上に置きっぱなしになっているスマホが目に入った。

 そういえば、最近あまり見ていなかった気がする。

 理紗子は、ふと思い出した。

 SNSアプリを開いてみる。

 すると、ある人物からメッセージが届いていることに気が付いた。

 送り主は、以前喫茶店で知り合った女性・池内良子だった。

 あの事故に遭った女性。

 理紗子は、あれから病院に行くとカップルを見舞ったのだ。アドレスはその時に交換した。

 理紗子は内容を確認すると、急いで返信をした。

 そして、すぐに電話をかける。

 数コール後に相手が出た。

 もしもし、という声が聞こえてくる。

 理紗子は、相手の声を聞くなり驚いた様子で言う。

 少し興奮気味だ。

 思わず声が大きくなる。

 それは、待ちに待った返事が届いたからだ。

「良子さん退院できるようになったんですか!」

 理紗子は、つい大きな声で言ってしまった。喜びのあまりに涙ぐむほどだった。

 電話越しに良子が言う。

「あの時は、本当にありがとう。すぐに理紗子さんが救急車を呼んでくれたから私も彼も助かったわ。本当なら、もっと早く連絡を入れるべきなんでしょうけど……。いろいろあって遅くなってごめんなさい」

 理紗子は首を横に振る。

 謝られるようなことではない。

 むしろ、無事で良かったと思う。

「それでね……」

 良子は忘れていたことを口にした。


 ◆


 時刻は20時を過ぎていた。

 そんな時間であるにも関わらず、理紗子がアルバイト先の喫茶店を訪れたのには訳があった。

 それは良子が、喫茶店を訪れた際に忘れた傘を取りに行くためであった。

 良子が傘を忘れているのは、後になって気が付いたことだが、大きなものであるしスマホのように重要なものでないことを考えれば、病院に持って行くことはしなかったのだ。

 良子によれば、あの傘は大学の教授から借りた物で、どうしても早めに返す必要があったのだという。

 その為、理紗子は退院に合わせて取りに戻ることを決めたのだ。どうしても取りに行きたいとマスターに頼んだところ快く了承された。

 鍵を使い、裏口から喫茶店に入る。

 そのままカウンターを通り抜けて、奥にあるスタッフルームへと進んだ。

 傘は、そこで保管してあるのだ。

 照明を点けて傘を探すが、奇妙なことに傘が無かった。

 確か角の傘立てに置いたはずだが、そこには何も無かった。

 おかしい。

 理紗子は思った。

 どこか別の場所に置いたのだろうか?

 そう思って店内に行くと、入り口の傘立てに傘があるのを見つけた。別のアルバイト店員が忘れ物と気が付かずに、入り口に戻したのだろうか。

 傘を手にするが、落とし主である「池内良子様」と書いた札があった。理紗子が書いて取り付けたものだ。

「変ね。札があるのに、誰が入り口の傘立てに戻したのかしら?」

いぶかしげに思いながらも、理紗子は店を出ることにする。

 そして、再び裏口へと向かった。

 すると、そこで理紗子の足は止まった。

 信じられないものを見たからである。

 目の前の光景が理解できなかった。

「どうして……こんなことが……」

 理紗子の視線の先にあるもの。

 それは、喫茶店の窓際に置いてあるテディベアだった。

 先ほど見たときは確かにそこには無かった。

 それが今や、まるで魔法でも使ったかのように忽然と姿を現していた。

 理紗子は恐怖を感じた。

 全身に鳥肌が立ち、呼吸は荒くなる。

 心臓が激しく鼓動する。

 これは一体どういうことだ。

 なぜここにテディベアが現れたのか。

 誰かが意図的に置いたというのなら、その目的は何だ。

 このテディベアには何かあるのではないか。

 そんな疑問が湧き上がる。

 しかし、それを深く考える必要などなかった。

 なぜならテディベアは口を、ゆっくりと動かしながら笑ったからだ。

 理紗子は左脚を踏み出すと同時に両手は開掌して水月の高さで構える。

 日本拳法、中段の構えだ。


  【日本拳法】

 『古事記』『日本書紀』に登場する古代相撲を起源に持ち、昭和初期に体系確立された武道。古流の当て身を現代に活かし、突・蹴・投・極の技術を持つ総合格闘技。


 理紗子は小学生の時から日本拳法を習っている。

 その実力は高く、全国大会にも出場するほどの実力者だった。中学高校と主将を務めるほどの腕前であり、段位も取得している。

 危機に際して意識するよりも前に、身体が構えを取るのは当然のことだった。

 テディベアが立ち上がった瞬間、理紗子は動く。

 前に踏み込みつつ、構えた脚の後足になる右脚の膝を高く上げ足裏を遠くに蹴ることを意識し、膝を伸ばし蹴り込む。

 日本拳法・突き蹴りと呼ばれる技だ。

 確かな手応えを感じる。

 理紗子は勝利を確信した。

 渾身の一撃である。

 手応えもあった。

 これで決着だと思った。

 だが、理紗子は異変に気が付く。

 テディベアは微動だにしない。

 ただ、その場に立っているだけだ。

 理紗子の顔から血の気が引く。

(まさか効かなかったの!?)

 テディベアは腕を立ててチッチッチと、振り子のように振る。

 映画等で見たことがある外国人が行う、「それは、ダメでしょう」という意味合いのジェスチャーだ。

 理紗子は頭にきた。

「ふざけやがって!」

 怒りに任せ、理紗子は前へ飛び込んだ。

 同時に、右腕を引き絞り脇を締める。

 腰の回転と共に身体の中心線から、テディベアに向かって直突きを打ちを放った。


 【直突き】

 拳を縦にした縦拳にして握り、そのまま突きを打ち込む。

 手首を捻る必要がないため、初速で横拳(平拳)に勝り、脇が締まるため、容易に体重を乗せた拳を打つことができる。

 最短距離を最速で突く、この技は想像以上の威力を秘める。

 なお直突きとは、「足の踏み込み、腰・肩の回転力を総合して効率的に拳に速度(=威力)を伝達する一連の動き」を指しており、縦拳でも横拳(平拳)でも直突きは可能である。


 日本拳法の基本にして、理紗子が得意とする技の一つだ。

 テディベアの背丈が低いが、打ち下ろす形で、直突きは見事に命中した。

 理紗子は、そのまま畳み掛けるようにして連続攻撃を行う。

 左右の連打、そして最後に突き蹴りを放つ。

 一連の流れるような動きは、さすがの一言だ。

 並の格闘家ならば、確実に地に膝をつく。

 だが、やはりテディベアに変化はない。

 まさに人形のように、その場に立ち続けている。

 その時であった。

 理紗子の視界に映っていたテディベアが消えたのだ。

 理紗子の動きに反応するように、素早く動いたのだ。

 一瞬の出来事だった。

 テディベアは理紗子に近づき、その顔面に拳を叩きつける。

 強烈な衝撃を受け、理紗子は床に倒れた。

 痛みで頭がくらむ。

 すぐに起き上がろうとしたが、顔を上げると目の前にテディベアが立っていた。

 テディベアは自分の腹に手を付き込むと、何か棒のような物を引っ張り出した。

 ボタンを押すと、折り畳まれたブレードが飛び出す。


【飛び出しナイフ】。

 基本的に折り畳みナイフと似た形状だがハンドルの部分やヒルトなどについているスイッチを押すと刃が飛び出すナイフ。刃がすぐに飛び出すと危険なため安全装置のついた物も多い。種類としては折り畳みナイフと同じような挙動を行う回転式とハンドルから真っすぐ飛び出すタイプなどがある。

 飛び出しナイフは片手で操作できることから海外の警察や軍隊で使用している国もあるが、犯罪に使用されることも多いことから現在では多くの国や地域で所持が禁止されている。


 テディベアの手ではナイフを片手で握ることができない為、両手で抱えるように持つ。

 理紗子は恐怖を感じ、動けなくなった。

 テディベアがナイフを構える。

 飛び上がると理紗子の首を狙って刃を突き立てようとする。

 凶器を前に怯んだ理紗子だが冷静さを取り戻すと、テディベアの攻撃を躱した。

 転がるようにして間合いを取り立ち上がる。

 テディベアは走って理紗子との間合いを縮めると、再び攻撃を仕掛けてきた。

 理紗子は寸前で横に飛んで躱す。

 テディベアは壁にぶつかった。

 その隙を狙い、理紗子はテディベアに飛びかかる。

 テディベアを押し倒すと、馬乗りになった。

 左手でナイフの柄を掴んで押さえると、右手でテディベアの腹に貫手を付き込む。 そこはテディベアがナイフを取り出した箇所だった。

 理紗子はテディベアの体内に何か固いものを感じた。

 引き抜くと同時にテディベアから離れる。

 その手には赤い斑点を持つ濃緑色半透明の石が握りしめられていた。

 理紗子は目を見張る。

 これは一体何なのか。

 なぜこんなものが体内にあるのか。

 このテディベアは何者なのだ。

 様々な疑問が浮かぶ中、理紗子はテディベアを見る。

 テディベアは立ち上がり、こちらへ向かって歩いてくるところだった。

 理紗子は身構える。

 だが、テディベア事切れるように倒れ込むと、そのまま動かなくなってしまった。


 【悪魔のテディベア】

 2005年5月。

 アメリカ・オハイオ州にある骨董品店の前の歩道に、黒いテディベアが置かれているのを誰かに拾われた。

 しかし、テディベアを拾った人の周囲で、次々と怪奇現象が起きた。

 ラップ音が聞こえたり、部屋に幽霊が見えたり、飼い猫が殺されるなどの不幸が起きた。

 テディベアの目が光り、ナイフを手にして持ち主に襲いかかるという怪事件もあった。

 恐れた持ち主は、この悪魔のテディベアをインターネットオークションに出した。このテディベアの落札価格は、当時300ドル(約35000円)を超えていたという。


 その光景に理紗子は唖然とするしかなかった。

 突然、テディベアが襲ってきた。

 そして、今度は動かなくなった。

 一体、どういうことなのだろうか。

 理紗子は考える。

 だが、いくら考えても答えなど出るはずがなかった。


 ◆


 理紗子はテディベアの身体から抜き取った《石》を、友人の小西真美こにしまみに相談するのだった。

 真美は、セミロングがよく似合う小柄な女の子だ。

 子供の頃から勉強家であり、オカルト的な事象にも詳しい。

 理紗子は、テディベアから出てきた物体について、友人の知恵を借りることにしたのだ。

 理紗子の話を聞いた友人は、少し考えた後、こう言った。

「――これって、ブラッドストーンじゃないかしら?」

 理紗子は驚く。

 テディベアの中にあったのは、いわゆるパワーストーンの一つだというのか。

 だが、何故そんな物がテディベアの中にあったというのだ。

 その疑問に対し、友人は答える。

 古くから、悪い魔法使いたちは、自分の望みを叶えるために地獄と契約を結んで悪魔の力を借りるといわれた。

 地獄と契約する方法のひとつとして、ブラッドストーンを用いた儀式が『聖なる本』という魔法書に記されている。

 儀式の2日前に、一度も使った事のないナイフで、野生のハシバミの木から一度も果実のなったことのない一枝を、太陽が地平線から昇る瞬間に切り取ることなど、細かい条件が付けられている。

 儀式のなかでブラッドストーンは、魔法円を描くために使われる。

 この方法を使えば、悪魔は嫌でも現れないわけにはいかなのだと言われる。

「つまり、悪魔の力なり得体の知れないものが宿った、このブラッドストーンが入れられた為に、テディベアが動いたり不幸を呼んだりしたということかしら」

 理紗子が、そう言うと真美は、

「おそらく」

 と、理紗子の仮説を肯定する。

 それを訊くと理紗子は《石》が怖くなった。

 あんなテディベアの中にあったものが自分に向けられたらと思うとぞっとした。

 そのは知り合いの神社で、お焚き上げをしてもらうことになった。

 テディベアは未だに喫茶店に置かれたままだったが、二度と動くこともなければ、奇妙な現象がおきることもなかった。

 今では喫茶店の看板キャラとして、お客さんに可愛がられるようになっていた。

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