カモミールの滝
カモミールの滝 1
カモミールの滝
橄欖(かんらん)さんが消えた次の朝、僕たちは宝石で出来た寺を後にした。薄い布団だけを背負っていくことにして、何度も読んだ宝石図鑑は置いていった。
爽やかな風が吹くなかで、静かな森を進んでいく。
「今は、五日目?」
「いや、七日目だ」
「えー!どこで数え間違ったんだろ。まだまだ慣れないなー」
僕は、寺を出てからの日数を数えている。「一日」という数え方はまだ慣れないが、昼と夜の数を数えるのは楽しい。
「この前聞いた時が三日目でしょ?そこから夜が来て昼が来て、夜が来て昼が来て、五日じゃないの?」
「どこかで数え忘れてるんだろうな」
「何でだろう。僕、別に数かぞえられるのに不思議だなー」
「毎晩ちゃんと寝ないからそうなるんだ。まとめて寝ようとするな。一昨日か忘れたが、日が落ちている間ずっと寝てたぞ。その夜の分も数えてないんだろ」
「華寿海(かすみ)はちゃんと毎晩寝てるよね」
「夜の間、目を閉じて身体を休めるのも務めだからな」
「そうだったんだ。『務め』ってどんな?」
「目を閉じて身体を休めている間は、力がだいぶ制限される。力を制限することで、夜の恩恵をより深く齎すことができるんだ」
「身体を休めてる時は、意識も眠ってるの?」
「ほとんど起きているな。たまに眠るが」
「だよね、華寿海は本当は起きてると思ってたんだ。たまにちょっかい出すと変な顔してるもんね」
「お前な、やめろって言ってるだろ…」
「良いじゃん、華寿海って花が本当に似合うんだよ」
「だからと言って、寝ているやつを花まみれにするな」
「『まみれ』って…、『飾ってる』って言ってよ!いつも駆け回って沢山集めてきてるんだよ?」
「お前な…」
僕は時々、寝ている華寿海の身体を沢山の花で飾る。
沢山の花に埋もれるように眠る華寿海は、とても綺麗だ。
華寿海には小さな花の方がよく似合う。
華寿海のやわらかい日差しと、よく似合っている。
華寿海(かすみ)は春の神様だ。春は、太陽と時間なのだという。
春は「季節」というものだとも教えてくれた。
「春の次はなんだったっけ?季節」
「…夏だ」
「ああ、それ!『なつ』だ」
道すがら何人かの神や精霊たちに出会ったが、彼らは皆、華寿海の訪れをありがたがり、そしてこわがった。
華寿海がずっと居ると、春が終わらないから。
そんなことが、怖いのだという。
僕たちは、そういう視線に弾かれるように進路を決めていった。
いつものことだ。
「なかなか良いところないねー」
何日もかけて、次の居場所を探している。
次もきっと、何日かしか居られないのに。
また少し歩くと、どこからともなく音が聞こえた。
雨音にも聞こえる大きな水の音。滅多に降らないが、僕は雨が好きだ。
「あれ、何か水の音大きくない?」
「ん、そうだな」
小川とは違う、轟々とした水音が林の間をすり抜けて来る。
「川の音じゃないよね?あっちかな?」
「絵都(えつ)、待て。そっちじゃない」
「あ、本当?」
「恐らくこっちだろう。行ってみるか」
「うん!」
道もない木々の間を、華寿海の後を付いて進む。風に揺れる草が足を撫でる。
「水浴び出来るといいなー。三日ぶりじゃない?」
「そんなもん忘れたよ」
「何かいい匂いもしてこない?花とか、草みたいな…」
風に乗って、爽やかで清々しい香りが運ばれてくる。
「確かに、何の匂いだろうな」
「花畑とかあったりして」
「うん、あるかもしれないな」
「何の花だろう…、小さい花だといいなー」
「山の花は大体小さいよ」
「そうじゃなくて…、本当に小さいやつ、もうほとんど茎みたいな…」
「茎?お前、何でそんな、」
「あ!」
前を向くと、木々越しに大きな水場があるのが見えた。
光が差し込む開けた空間、
崖から川が落ち、大きな池を形成している。
「あ、華寿海!!これ!ええと、…滝だっけ?」
「そう、滝で合ってる」
「すごい!前見たのよりずっと大きいよ」
「そうだな」
林を抜け、草が茂る原に出ると、爽やかな香りが一段と強くなる。
空気がひんやりと冷たく、飛沫がこちらまで飛んで来ているように思えた。
「匂いは、この花だね」
白い花弁を持つ花がまだらに咲いている。ひとつ摘むと、風と同じ香りがした。よく見ると白い花弁よりも、中央の黄色い花粉の部分が主張している。
「不思議なバランスだねー。真ん中の方が目立ってる」
「ああ」
「見たことないと思うんだけど、名前なんだろう」
話すたびに、涼しい香りが鼻を抜けた。
周りを見ると、大きく前に突き出した崖とそこから流れてくる滝、そして滝が流れ込む池を原っぱが囲んでいる。そこまで高くはない崖の上にも、草花が生い茂っているように見えた。
滝に近づくと水の音が一層大きくなるが、その一方で、流れる水の透明感や、水面の細かな波の色が一層綺麗に映り、むしろこの滝が繊細なものに感じられた。池の水は澄みきっている。
ごつごつとした大きな岩の表面
波紋を描いて広がる、水面の深い青緑
揺れる青い草
細かく跳ねる、白い水飛沫と白い花
点在する黄色
暖かい光を浴びて、きらきらと光っている。
「大きい岩だねー。水場なのに」
「水が当たってないところだけだろうな。それに、前見たのが小さすぎるだけで、この滝も大きくはない」
「そうなんだ」
大きな水音。
「滝が丁度落ちるところは、その真下の水底が抉れて窪んでいるらしい」
華寿海の声は、それでも綺麗に通る。
「へー!」
「その窪みを滝壺と言う」
きっと、特別な声をしているから。
「『壺』ってあの『壺』?」
「そうだよ」
僕は、話すごとについ大声になる。
何だか気恥ずかしくてふと目線を変えると、滝から少し離れたところに階段状に大きな岩が重なっていた。よじ登れば上まで行けそうだ。
「ねぇ、あっちの岩のところ、登ったら崖の上に行けないかな」
「…、行きたいのか?」
「うん。滝が流れていくところ見てみたいから」
「…布団は置いてけよ」
「そうだね。この辺置いてっていいかな」
丸めた布団を草の上に置いた。
「華寿海も行こうよ。飛んでいいから」
「…分かった」
華寿海は先に上に行き、僕は岩をよじ登っていった。遠くからは見えなかった細かい足場が多く、予想よりもすぐに辿り着いた。
「はぁ、着いた…」
「とんでもない早さで登ってきたな」
「そう?」
「……」
「え?」
「危ないからもっと奥行け」
崖の上の方が、匂いが濃い。
辺りを見渡すと、あの白い花が一面に咲いている。華寿海が危ないと言うので崖から離れて奥に進み、花畑の中を歩いていくことにした。
「うわー!本当にこっちの方がいっぱい咲いてるね」
「ここから風に乗って下に種がこぼれたんだろうな」
「なるほど。滝と一緒だね」
「ああ」
一面の花々に足を踏み入れながら、滝の方へと向かう。
花と草は何かが違う。花と思うと途端に足で踏みにくく、なるべく避けるようにしてゆっくり歩いた。
「どうした?」
「んー、この花を踏むの、何か申し訳なくて」
「まあ、何か主張強いもんな。この花」
先を歩いていた華寿海が静かに微笑んだ。
花畑の中を慎重に歩き、ようやく滝に辿り着いた。
まだ落ちる前なので、実際は滝というよりも浅い川に見える。川幅も広く、思ったより川の流れは穏やかだった。
空に向かって、そんな川が落ちていくように見える。
「あっち近づいて見ても良い?」
「…落ちるなよ」
川の流れに沿ってゆっくりと進む。
空の下から林が現れ、徐々に下の景色が見えてくる。僕たちが来たのとは逆の方向に、池から流れ出ていく小さな川があった。
川辺の平たい石に手をつき、崖の、水が落ちる瞬間まで這っていく。
下を覗き込んだ。
「わー!!すごいなー!!」
「っおい、危ない」
「大丈夫だって!それより、華寿海こっち!!」
「ああ、すごいな」
緩やかな流れの水が、
流れる方向を変えた途端に解放されていく。
自由に、
何にも囚われず、
伸び伸びと、
好きな速さで、
水が落下していく。
それが清々しくて、激しくて、この感情が良く分からなかった。
時々顔に当たる水飛沫と、遠く下の水面で湧き立つ飛沫が同じものだとは到底思えない。上から覗いて見ると、崖はずっと高く、滝は何倍もの迫力があった。
瞬きをするのも忘れそうなほど見入っていた。
「良い場所だね」
「…気に入ったんなら、次の場所、ここにするか」
「良いの!?」
「ああ、寺を出てからしばらく山の中歩いて来たからな」
「五日も歩いたもんね!」
「七日だってさっき言ったろ」
「あれ、七日が正しいんだっけ。間違えて覚えてた…」
「まあ、こういった水場には大抵、長くそこを棲家にしている主(ヌシ)が居る。そいつが許せばだけどな」
「そうだよねー」
それが中々難しい。
「主はどこに居るんだろう」
「多分滝壺だろう。大きな声で呼べば出て来ると思うが」
「じゃあ降りて挨拶しに行こう。こういう挨拶は早い方がいいもんね」
「いや、その前に寝る場所を探すぞ。そろそろ落ち着いた場所で寝たい」
「うーん、上は良いところが無さそうだけど」
崖の上は一面花畑が広がるだけで、これまでの野宿とさほど変わりが無さそうだった。
「あれ」
「ん?」
「そっちの下に入れそうな穴無い?…見える?あっち」
「…あるな」
華寿海も覗き込む。崖がせり出しているお陰で、僕たちが歩いて来た方向からは見えなかったが、滝が流れるすぐ近くの崖面に大きな穴が空いている。
「どのくらいの広さなんだろう」
「見てくるから待ってろ」
「気をつけてね。滝に当たったら痛いと思うよ」
「ああ」
華寿海が飛んで降りていった。
「中も十分広かった。布団敷いて寝られるぞ」
「本当に!?じゃあ後は主だけだね」
「それがな…、ついでに少し見てきたが、主は居ないようだ」
「居ない?」
「よく分からん、とにかく全く気配が無かった」
「んー、だったらあそこを借りても大丈夫かな」
「ああ…」
崖から降りて洞穴に荷物を運び、僕たちはやっと腰を落ち着けることができた。
洞穴は中も広く、光の届かない奥の方は真っ暗だった。
「蝋燭持ってないね」
「そうだな…。月が明るいだろうから、今夜は我慢してくれ」
「ううん、大丈夫。また必要になったらで良いよ」
あの光る寺のお陰で、僕たちは蝋燭を持っていない。少しでも明るい方が良いかと、洞穴の、入り口すぐのところに布団を敷いた。
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