ペリドットの寺
@hello_dosue
ペリドットの寺
ペリドットの寺 1
ペリドットの寺
或るところに、ペリドットで出来た寺があった。
鬱蒼と茂る森を走り抜けた。
着の身着のまま、何も持たず、
押し寄せる火の波から逃げていた。
どのくらい逃げていたか分からない。
月の明かりだけを頼りにして、東の方へと走った。
神の手を引いて、息を切らしながら辿り着いたその先、
森が開けたところに、緑色に光る寺があった。
「寺だ」
「……、寺か?」
「寺だよ!しかも綺麗に光ってる!!」
「まあ、光ってるな」
「ここに泊めてもらおうよ」
「待て、俺は神だぞ。寺になんか入れるか」
「今はそんなこと言ってられないよ!えー、中に人居るかなぁ…」
「引っ張るな」
「泊めてくれると良いねぇ」
寺に入ると、その内部は天井も床も、果ては仏像に至るまでが、外観と同様に美しい緑色の石で造られていた。光り輝く壁にはいくつもの壁画が彫られている。
「阿弥陀様だって、挨拶しとこう」
賽銭箱も無く、ただ大きな阿弥陀如来像が居るだけだった。
「これ何だ…、仏像が何個も、気味悪ぃ」
「これ、きっと『極楽』だよ。これもわざわざ彫ったんだよね。すごい…綺麗だなぁ…」
奥の方には大きな壁一面、半立体的に彫り込まれた浄土曼荼羅があった。
その寺には一人の僧がいた。
その僧はまるで仏像のように動かなかった。
石のように動かなかった。
何かを待つように、縁側で一人座禅を組み空を見上げていた。
何を話しかけても、身体を揺すっても動かない。
ただ脈拍だけが静かに続いていた。
「何か待ってるのかな…?修行中だったらどうしよ。申し訳ないことしたなぁ」
「知らない奴が入ってきても動かないんだ。構わないだろ」
「うーん、どうしよう。勝手に泊まっても良いよね?」
「もう眠い。早く寝よう、絵都(えつ)」
「布団とかあるかなぁ」
「…無いだろうな」
朝起きると、その僧侶は消えていた。
縁側にも、寺の中のどこを探しても居なかった。
「あんなにじっと待ってたものが、来たんだったら良いなぁ」
「お前、…昼にはここ出て行くからな」
「え!?ここに居ればいいじゃん!ここにしようよ!!こんな森の中、他の建物なんて見つからないよ」
「夜、お前をもっと強く止めとくんだった。だから嫌だったんだ、寺なんかに入るの…」
「えー、こんなに綺麗なのに。そうだ、掃除とかした方が良いよね」
「はぁ……、汚れてからで良いだろ…。それよりも食料と布団を何とかするぞ」
「そうだね。まずお寺の中探してみよう!」
僧侶は、夜になっても帰って来なかった。
こうして僕たちはこのお寺に居付くことになった。
食料はなかったが、調理道具と布団は隠すようにしまってあったし、他に最低限必要なものは華寿海(かすみ)に揃えさせた。いつものことだ。
寺は、「苦土橄欖寺(くどかんらんじ)」と言った。
境内の石に刻まれた寺の名前以外、僕たちはこの寺について知ることが出来なかった。
「やっぱこの寺、宝石とかで出来てるのかな?」
「…そうかもな」
寺は、昼も夜も美しく光り輝いた。
昼は日光の中で木漏れ日のように揺れ、夜は月光を浴びて神秘的に煌めいた。
華寿海が齎す光と、良く呼応しているように思えた。
光の中で寝るのは苦労したが、次第に慣れて以前のように眠りにつけるようになった。
寺は、穢れを知らなかった。
寺の中も外壁もその輝きが曇ることがない。
料理をしようが湯浴みをしようが、目を離した次の瞬間には綺麗になっている。
掃除をせずとも塵ひとつ落ちていない廊下。
その自浄作用の高さだけが、少し怖かった。
僕たちは、僕たちにしては珍しく、長い間この寺に居る。
もうどれぐらい経ったか分からなくなった、ある昼。
「ねぇ、こんなにひとつの場所に居れるの久しぶりじゃない?」
「まあ、そうだな。いつ出てっても良いけど」
「もー!こんなこと言いたくないけど、いつも追い出されるの華寿海のせいなんだから、そんなこと言わないの!」
「もっと他に良いところあるだろ」
「良いじゃん、ここすごく綺麗で僕好きだよ。それに、ここだったら追い出されないかもしれない」
「最初に来た時から割とそうだったけど、何でお前はそんなにここが気に入ってるんだよ…」
「最初来た時は綺麗だなってだけだったけど、今はほら、華寿海の……」
「何だ?」
「ええと、『はれ』…?」
「ああ、『春』だな。…良い加減覚えろ」
「だってそれ外の言葉でしょ?僕関係ないから」
「…関係あるんだよ」
「それでその、『春』とこの寺はすごく相性が良いと思うんだ。昼も夜も、変わらずずっと綺麗に光ってるでしょ?」
「それだけか?」
「うん、それだけ」
華寿海は春を司る神様だ。
春が何であるかは知らない。彼は太陽と時間だと言っていた。
華寿海は力が強く、居るところ一帯を春へと変えてしまうらしい。
昼夜よりもずっと長い時の巡りが僕たちの外にはある。
そういう循環の恩恵を受けている神は沢山いて、彼らにとって華寿海は、巡りを齎すと同時に、居付かれると停滞を呼ぶ存在なのだという。
そんな神様たちに、居場所を追われ続けていた。
春は太陽と時間、
ずっと居られる場所が、やっと見つかったのかもしれない。
昼は、近くの川や林に出かけ、魚や山菜をとって過ごした。
夜は、敷いた布団の上で、華寿海が買ってきてくれた小さな宝石図鑑を眺めた。
緑色の光が溢れる寺の中では、緑以外の宝石の色が良く分からない。
唯一「ペリドット」という名の宝石だけが、ページの上で綺麗に輝いていた。
「やっぱり華寿海も『ペリドット』だと思う?」
「ああ…、どう見てもそれだな」
「この寺は、ペリドットで出来てるんだね」
声に応えるように光が揺れた。
この寺は、半分くらい自分の力で光っているように思える。
また、いくつか夜を重ねた。
その晩も寝転がって宝石図鑑を捲っていた。
「あれ、ここの床ヒビ入ってない?あっ、こっちも」
「…何か落としたんじゃ無ぇの?」
「落としてないよ」
その夜寺じゅうを回って確認すると、至る所に小さなヒビが見つかった。
細かいヒビによって、一層複雑に光が反射する。
「まあ…、なんか綺麗だしいっか」
「……」
「もう図鑑は良いや。華寿海、共寝しようよ」
「……、分かった」
そうして、またいくつもの夜をこの寺で過ごした。
それからヒビが増えるにつれ、寺は太陽をより美しく反射させた。
華寿海の太陽を、美しく。
僕は今までになく満足していた。
最初の夜に僧が座っていた縁側、そこからの景色が一番綺麗だった。
太陽の光が目の前にある林の中に充満する。
「春って良いよねー」
「お前は春しか知らないだろ」
「『春しか』って、春以外にも何かあるの?」
「ああ、夏と秋と冬が居た」
「なつ、あき、ふゆ?」
「そう」
「居たって?」
「随分昔に会って以来見ていない。昔は皆、力が弱かったから会えたんだ」
「昔っていつ?」
「千年は前かな」
「千年って?今より千個前の昼?」
「それは千日前だ。そうじゃなくて、ええと…」
「ああ、ひと組の昼と夜が『一日』か。それより長い時間?」
「そう。ずっと長いよ」
最近は、天井からペリドットの欠片が落ちてくるようになった。
「ねぇ、一日より長い時間ってどういう感じ?」
「……俺らが、ひとつの場所に留まってられる時間があるだろ?」
「他の神様に追い出されるまでの時間?」
「そう。そのぐらいの時間を何回か繰り返すと季節になる」
「きせつ」
「季節には、春、夏、秋、冬がある。俺は春という季節の神だ」
「そうだったんだ。華寿海にも仲間が居たんだね、なんか良かった」
「仲間ではなくて兄弟だ。俺らの外では、時は春から夏、夏から秋、秋から冬に変わっていっている。そして春から冬まで移ると『一年』になる」
「それが千個で千年?」
「そう」
「思ったより短いね」
「お前な…、」
「え、何?」
「…いや、何でもない」
「冬になった後は冬がずっと続くの?」
「いや、春に戻る。季節は循環しているんだ」
「へぇ、大変だね。疲れちゃいそう」
「そうだな。皆疲れて死んでいく」
「ふふ、華寿海(かすみ)は死神だね」
皆、死神に対峙した人間のような顔をして華寿海を追い出した。
また、ぱらぱらと宝石が降る。
「死神ではない」
「華寿海を追い出さなきゃ良いのに」
「…、循環という物差で自分を計り出すと、循環から抜け出せなくなるんだよ」
「何で?」
「さあな」
「華寿海も分からないの?」
「……。一度循環の中に身を置けば『もう次の春は来ないかもしれない』という恐怖が生まれる。その恐怖が強い執着を生むんだろうな」
「そんなことが怖いんだ」
「循環が止まれば、死ぬからな」
「へぇ、そんなに循環は良いものなの?」
「……、美しいんだと」
「ふーん」
「……」
「春さえあれば良いのにね」
「……」
「みんな馬鹿なんだねぇ」
のどかな光が降り注ぐ
優しい光
頭に落ちてくる瑣末
手の中でキラキラと光った
捕まえた魚のように
死神の目に映る人間のように
それから、太陽が登るごとに、少しずつこの寺は崩れていった。
仏像が根元から折れ、壁画も原型が分からなくなった。
その頃には、僕たちがこの崩壊の原因だろうということはもう気付いていた。
「まあ、全部崩れるまではここに居ようよ」
「分かった…」
春の美しさを知らない者から死んでいくのだ。
極楽へと行ったところで、
………、
極楽へと行ったところで。
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