【KAC20232】おれとクマたん

雪うさこ



 地球温暖化。食料危機——。人類は過酷な状況に晒されて、人口をピーク時の半分以下に減らしていた。


 特に減少率が著明なのは、先進国と呼ばれる国々。人類は生き残りをかけて、子孫を残すための試行錯誤を繰り返した。


 その結果、パートナーとして選ばれたのは——ぬいぐるみだ!


「おーい。琥太郎。ふふん。どうだ。おれの相棒」


 親友の新之助の隣には、ピンク色のウサギ耳を垂らし、腰まであるサラサラの髪をなびかせている女子だった。


「あ……そっか。お前、昨日誕生日——?」


「そうだよ。なあ? ウサぴょん」


 新之助は鼻の下を伸ばし放題だ。ウサぴょんと呼ばれた女性は「はい。新之助ピョン」と答えて、にっこりと笑みを浮かべている。


「お前のくま公は、まだぬいぐるみのまんまか? お前の誕生日って一か月前じゃあ……」


 おれは腕に抱えているクマたんを見つめる。日本では、3歳になると、国からぬいぐるみを一つ支給される。それが将来のパートナーになるのだ。


 おれたちは、そのぬいぐるみに、惜しみなく愛情を注ぐ。そうすることで、十五年経過した時。つまり十八歳の誕生日に、ぬいぐるみが人化するのだ。


 もし愛情が少しでも不足していると。ぬいぐるみは人化しない。パートナーを育てられなかった人間は、国からのペナルティが与えられる。ぬいぐるみは没収。生涯独身となり、国の強制就労施設に送られるのだ。


 だから、みんな必死にぬいぐるみに愛情を注ぐ。夜は一緒の布団で眠る。朝は一緒に起床をして、自分の身支度を整えながら、ぬいぐるみの身支度も整える。お風呂だって、月に1~2回は一緒に入って、汚れを落としてあげるんだ。


 ごはんは食べられないけれど、一日に何度かぎゅっと抱きしめてあげると、愛情パワーが注入されて、それがぬいぐるみたちの栄養素に変わる。


 国から与えられるぬいぐるみは、ランダムに選ばれるため、好きなものを個人で選ぶことはできない。


 おれの相棒ぬいぐるみは、茶色の少し縮れ毛で、赤いリボンを首に巻いているくまだった。


 ——今日で一か月が経つんだ……。


 おれのことを心配してくれる新之助と別れてからも、ぶらぶらとその辺りを歩き続けた。


 時計の針は夜の十一時時を回るところだった。今日は早く帰ってくるようにと、母さんから言いつけられていたのに……。家には帰りたくなかったのだ。


 しかし。夜の繁華街を当てもなく歩いてみるものの、そうもしていられない。意を決して自宅に帰ることにした。


 もしかしたら——これが最後になるかも知れないのだ。家族の顔、ちゃんと見ておかなくちゃ。


「ただいま!」


 商店街を抜けた路地裏にある一軒家。そこがおれの家。狼のぬいぐるみだった父さんと、人間の母さんとおれの三人暮らし。ここにクマたんが入るはずなんだけれど……。


「琥太郎!」


 玄関を開くなり、母さんが駆けてくる。彼女の顔はものすごく青ざめていた。肩で息を切らしながら、おれの周囲に視線を巡らせる。それから「クマたんは?」と尋ねた。


 おれは静かに首を横に振った。それを見た母さんは、落胆したように肩を落とした。


美郷みさと。まだ時間はあるワオン」


 緑色のエプロン姿の父さんは低い声でそう言った。けれど、母さんは首を大きく横に振った。


「もう限界よ! 琥太郎の誕生日から一か月が経過するのに、ぬいぐるみは人化しないなんて。後三十分もしたら、市役所から人が来る。あなたを連れにくるのよ!?」


 おれは胸の前で抱えていたクマたんをぎゅっと握り締める。


 誕生日から一か月が経過してなお、ぬいぐるみが人化しなかった場合、ペナルティが発動される。おれは、この家から強制就労施設に連行されて、そして一生そこから出ることはできない。


 母さんは父さんを押しのけて、リビングに戻ると、茶色の紙袋を持って戻ってきた。それから、その袋を開いて、おれに突き付ける。中にはクマたんによく似た、茶色のぬいぐるみが入っていた。


「美郷! お前。それは——違法だワオン」


「違法だって、なんだっていいじゃない。この子。もうすぐ人化しそうよ。ほらみて。光っているもの。——琥太郎。クマたんは、今日からこの子。そっちの子は捨てます」


「え! や、やだよ。そんな。急に言われても——」


 おれはクマたんをぎゅっと抱きしめた。しかし母さんは、クマたんの足を捕まえると、ぐいぐいと引っ張る。


 聞いたことがある。闇市というサイトがあって、そこでは不運にも、主を亡くしたぬいぐるみたちがひそかに売買されているという。


 本来であれば、主である人間が死亡したり、ぬいぐるみの養育を継続できないと判断されたりした場合、ぬいぐるみは行政が回収していくことになっている。


 しかし、世の中にはそういったものから零れ落ちて露頭に迷うぬいぐるみがいるそうだ。おれみたいに、十八歳になっても、相棒が人化しなくて困っている人間は世の中にたくさん存在する。


 闇のブリーダーが密に養育し、人化直前になったぬいぐるみを闇市で売る。母さんは危険を冒してまで、おれを助けようとしてくれているって、わかっているんだ。けれど、おれは——。


「おれの相棒はクマたんだけだ!」


「なに言っているの? この子だって、もうすぐ人化するのよ。ぬいぐるみのままのクマたんと、こっちのクマ五郎と、どっちが大切なのよ!」


「そんなこと言われたって——。だって、おれの相棒は……」


「離しなさい! もう時間がないんだから……!」


 母さんの力は強い。必死にクマたんを守ろうと抱きしめていると、玄関の呼び鈴が鳴った。


「梅沢市役所の危機管理室の者ですが——。羽田琥太郎くんはご在宅でしょうか?」


 その声は、まるで地獄の死者のように、低く、そしてしゃがれていた。



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