聖女と皇王の誓約結婚 1 恥ずかしいので聖女(わたし)の自慢話はしないでくださいね…!

石田リンネ/ビーズログ文庫

プロローグ


 フィオレせい都市は、フィオレ教の聖地であり、フィオレ神によって統治されている宗教国家である。

 序列第一位は、神の力をさずけられた【いのりの聖女】【知識の聖女】【あいの聖女】。

 序列第二位は、聖女によって聖人にんていされたすうきょうたち。

 序列第三位は、枢機卿の中からみなの投票によって選ばれた者。

 現在、聖女は三名そろっており、聖女に聖人認定された枢機卿もいる。

 フィオレ聖都市の統治は問題なく行われているけれど、大陸内はおんな気配に満ちていて、再び大陸戦争が始まるかもしれないとうわさされていた。

 フィオレ教の【知識の聖女】であるジュリエッタは、十六歳の少女だ。

 彼女は今、美しい金色のかみとサファイアブルーの大きなひとみをきらきらとかがやかせながら、けんじゃつえを持って大聖堂のろうを歩いている。

 このフィオレ聖都市には、イゼルタこうこくという古き時代からの盟友が存在していた。その皇国の王がフィオレ聖都市を訪れ、知識の聖女に面会を求めてきたので、ジュリエッタは祈りの時間を切り上げたのだ。


(きっとイゼルタこうおうは、またフィオレ聖都市にとんでもない要求をしようとしているのね。ちがう国といっても、元は同じ国。たがいになにかあったら真っ先にたよる相手だから、これは仕方ないことだけれど……)


 フィオレ聖都市は、元はイゼルタ皇国の都市の一つである。

 しかし、フィオレ教を国教とする国はとても多く、フィオレ教の聖地がイゼルタ皇国内にあると、イゼルタ皇国と戦争をしている国にとって困ったことになるのだ。そのため、あるときに宗教国家として独立することになった。


(イゼルタ皇国はメルシュタットていこくとの戦争で敗北寸前……って、いけない、こんなこと考えている場合じゃない……!)


 ジュリエッタは足を急いで動かす。彼女は聖女でフィオレ教のしょうちょうのはずだけれど、そのあとをついてくる者はいなかった。

 彼女には、そばきの修道女がつけられていない。聖女としてあり得ないたいぐうだけれど、だれもが見て見ぬふりをし、そのままにしている。


 ―― 【書類仕事しかできない聖女】。


 ジュリエッタは、かげで自分がどのように言われているのかを知っていた。

 自分は、せきを起こせるような聖女ではない。ジュリエッタのやしの力はあまりにもへいぼんなのだ。


(……私は、せめて少しでも誰かの役に立つ聖女でありたい)


 聖女にふさわしくないことなんて、自分が一番わかっている。だからこそ、できることはなんでもしようと思っていた。


「知識の聖女ジュリエッタです。入ります」


 ジュリエッタがとびらの向こう側に声をかけると、衛兵が扉を開けてくれる。

 部屋に入れば、序列第二位の枢機卿セルジオや、序列第三位の枢機卿たちもいた。

 そして、見知らぬ顔のくろかみの青年が一人。


(皇王がきていると伝えられたけれど……この方は皇王の代理人なのかしら。それとも、なにか事情があって、こうたいではなかったこの方が新たな皇王になり、それで聖都市にあいさつをしにきた……とか?)


 みどりいろの瞳をもつ背の高そうな黒髪の青年が、ソファに座っている。

 気だるそうにしていた彼は、ジュリエッタと目が合うなり――…… りょくてきなウィンクをしてくれた。


(ええっと……?)


 なんな仕草がとても似合う人だけれど、皇王らしくない。やはり代理人なのだろうか。

 真面目なジュリエッタがまどっていると、黒髪の青年が立ち上がり、こちらに近づいてくる。


「初めまして。俺は皇王ルキノ。……知識の聖女さまって可愛かわいい女の子だったんだ」


 青年から甘くて低い声が放たれた。

 ジュリエッタは思わずまばたきをしてしまう。


(この方が新しい皇王……!? 本当に……!?)


 一国の王から気さくすぎる挨拶をされたジュリエッタは、どのような返事をしたらいいのかを悩んでしまった。

 その間にも、なぜかルキノはジュリエッタの後ろに回りこみ、己のうでをジュリエッタのかたに乗せて身をかがめてくる。

 ジュリエッタは、ルキノの顔の近さにどきっとしてしまった。


「俺は難しいことが苦手だから、聖女と皇王の関係をわかりやすく説明してもらったんだけれど、皇王ってのは聖女の……元カレ? なんだってね」


 修道女であっても、聖女であっても、こいあこがれる時代は誰にでもある。

 ジュリエッタも『元カレ』が『かつてのこいびと』という意味の単語だと知っていた。


「元カレ……!? 会ったこともない元カレってありなんですか……!?」


 ちがっているような、間違っていないような、とジュリエッタがどうようしていたら、ルキノが肩をいてきて、ジュリエッタをソファにエスコートしてくれる。

 ジュリエッタはルキノのあまりのぎわのよさに、座ってからあわて出してしまった。


「ね、これを見たことはある? 古いけいやくしょなんだけれど」

「これは『聖血のせいやくしょ』!? え? あ……本物……!?」


 ジュリエッタは知識の聖女だ。このフィオレ聖都市の大図書館の本から資料庫内にある重要書類まで、ありとあらゆるものをえつらんできる権限を持っている。

 もちろん、四百年前の聖女とイゼルタ皇国の皇王によってわされた聖血の誓約書も見たことがあった。


「難しい書き方をしているけれど、簡単に言うと『イゼルタ皇国とフィオレ聖都市は深い関係だから、ずっと助け合っていきましょう』ってことなんだよね?」

「……はい」


 ジュリエッタにとって、誰かの役に立てると言えるゆいいつの仕事が書類の処理である。誓約書や契約書独特の言葉の意味は理解できていた。


「だからさ、俺と深い関係……の、それも賢者と名高い〝知識の聖女さま〞に皇国を助けてもらおうと思って」


 ジュリエッタは、ルキノの言葉に息をんでしまう。


(私は……、賢者じゃない……!)


 フィオレ聖都市は、奇跡を起こせないジュリエッタのために、知識の聖女ジュリエッタは賢者だと言い広めていた。

 そのことに申し訳なさを感じていると、ルキノはなにを考えているのかわからないほほみをかべ、再びジュリエッタの肩に腕を置いてくる。

 ジュリエッタは、れしくされるという経験がほとんどない。ルキノとの近すぎるきょにそわそわしてしまうので、失礼のないように身体からだはなそうとした。しかし、スカートがルキノの太ももの下にはさまっている。力をこめてもけない。

 ――わざとなのかぐうぜんなのか。

 なぞめいた笑い方をするルキノからは、なにも読み取れなかった。


「イゼルタ皇国は今、とても大変なじょうきょうにある。知識の聖女さまならもちろん知っているよね。だから俺は、四百年前の誓約の再現をしてほしい……ってお願いにきたんだ」

「……古き時代からの盟友であるイゼルタ皇国の王のたのみであれば、できるはんで協力します」


 ジュリエッタは、古き時代からの盟友の頼みであったとしても、なんでもしてあげられるわけではないと遠回しに伝える。

 フィオレ聖都市の大会議に聖女として出席するようになってからは、腹のさぐいや失言をさそうような会話、気分が重たくなってしまうこうしょうにもすっかり慣れてしまった。


(皇国は本当に大変そう……。私の手を借りようとするぐらいだもの)


 ジュリエッタは「この返事でいいですよね?」と序列第二位の枢機卿セルジオを見たのだけれど、彼は目をそらした。

 なぜ、と思っているとルキノがペンを差し出してくる。


「じゃあ、聖女さま。この誓約書にサインを」

「あの、ですから……って!? これは、聖人認定の誓約書……えっ!? それから、皇王が聖女をこうむかえるという誓約書……!? まるで……」


 そう、これは四百年前の『聖血の誓約書』と同じ文面だ。

 ――四百年前、どろぬまの大陸戦争の最中、フィオレ聖都市とイゼルタ皇国は同盟を結んだ。

 その際に、聖女が皇王を聖人認定し、皇王が聖女を皇妃として迎えることによって、これは同格の同盟であり、絶対に裏切らないという強固なきずながあることも示したのだ。

 四百年前の聖血の誓約書には、『未来えいごうこの絆を尊重する』と書かれているのだけれど、どうやらルキノはこの一文を利用し、四百年前の誓約を今ここで再現しようとしているらしい。


「一度、お帰りください。この件については皆と話し合ってから……」


 この書類にサインをすると、ルキノは聖人認定され、そしてジュリエッタはルキノとけっこんしなければならなくなる。

 国家間の約束ともなれば、あとから「やっぱり無理」とは言えない。そして、フィオレ聖都市のためになる約束かどうかの判断は、自分だけですべきではないのだ。

 絶対にりょうしょうしてはならないとジュリエッタは気をめたのだけれど、セルジオが重いため息をついた。


「―― 聖女ジュリエッタ。古き時代からの盟友であるイゼルタ皇国の頼みです」


 すると、他の枢機卿たちもうなずき始める。


「神は救いを求める者を救う役目を、聖女あたえました」

貴女あなたの知識を求める迷える者がいます。どうか救いの手をべてください」

「聖女ジュリエッタ。これは神の導きです」


 ジュリエッタはサファイアブルーの瞳を見開いた。

 枢機卿たちが冷たい目でジュリエッタを見ている。その瞳が「早くサインしろ」と言っている。


(あ……、私…………)


 そうか、と気づいた。

 これはやっかいばらいだ。

 枢機卿たちはジュリエッタから【知識の聖女】のしょうごうを正式な形ではくだつするために、四百年前の誓約を利用しようとしているのだ。

 聖女とは、神に身をささげることをちかった者である。聖女は死ぬまで聖女だ。例外は、誓約によって皇妃になった四百年前の聖女だけである。

 枢機卿たちは皇王のとんでもない提案に、反対するどころか身を乗り出して賛成したのだろう。


(……なら、これでいい、のかも……しれない)


 ジュリエッタが意地を張ってフィオレ聖都市に残っても、この先ずっと『知識の聖女を名乗ってもいいのか』という気持ちをかかえたまま生きていくことになる。

 そうなるぐらいだったら、皇王やフィオレ聖都市の皆が喜ぶ道を選ぶべきではないだろうか。


(神よ……私を導いてください……!)


 ジュリエッタは神に祈る。

 しかし、神の声は聞こえてこない。今まで一度も聞こえなかったのだから、当然といえば当然だろう。

 そして、それは四百年前の誓約にもとづいて皇王と結婚することに、神は異を唱えなかったということでもあるのだ。


(誰か……!)


 ジュリエッタは、ふるえる手でルキノからペンを受け取る。

 ペン先を紙に当てた。じわりとインクがにじんだ。


 止めてほしいと思った。待ちなさいと誰かに言ってほしかった。

 自分で「いやだ」と言えばいいのに、自分で自分の手を止めればいいのに、ジュリエッタは第三者による最後の救いを求めてしまう。

 しかし結局、救いの手は差し伸べられなかった。ジュリエッタがどれだけサインに時間をかけても、さるような視線しか与えられない。


「はい、おつかれさま~。枢機卿の皆さん、あとは適当によろしく」


 ルキノは、取り返しのつかないことをして顔面そうはくになっているジュリエッタへ、ぐっと顔を近づけてくる。

 ジュリエッタの身体は、びくっとねてしまった。

 ―― 私は、この人と、結婚する。聖女の称号を返上して、皇妃になる。

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 答えがわかっていても、心の中で何度も問いかけてしまう。


「これからジュリエッタちゃんを、敗戦目前のイゼルタ皇国に連れ帰るね。だいじょう、俺の全てをかけて大事にするよ」


 ルキノは「急ごう」と言って立ち上がる。

 メルシュタット帝国軍はイゼルタ皇国の皇都付近までせまってきている。皇国の全面こうふくは目前だ。

 ―― 皇国は残されるのか。それともメルシュタット帝国にへいごうされるのか。

 その辺りがどうなるのかは、皇王の手腕だいだろう。


(皇国の敗北はもうどうすることもできない。私にできることは、ただの書類仕事ぐらいで……)


 皇王は皇国を勝利させてくれる聖女を求めにきたのだろうけれど、その聖女は名ばかりの聖女である。がっかりさせてしまうだろうな、と申し訳なくなった。


(でも……)


 ジュリエッタは少しだけほっとする。

 これでようやく自分は〝聖女〞という重圧から解放されるのだ。


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