狂喜の行き先




「あれが私のアパート。301号室ね」


学校を出て6分ほど歩いた所で、みなみが10メートル先にあるアパートの3階部分を指差し説明してくれた。


「私のバイト先と近くてびっくりしたよ~」

「そうなんだ!どこでバイトしてるの?」

「2丁目のサイゼだよ」

「わかったぁ。今度食べに行くね~」

「うん」


1階が不動産屋さんになった5階建てのアパートだった。

店舗脇の入り口を入り階段を上がっていく。


301号室の前まで来た。

みなみは財布から部屋の鍵を出している。

「ちょっと待ってね~、いま開けるから」

「うん」

初めて入るみなみのお部屋。

少し緊張する…。


鍵を開け玄関のドアを開ける。

「そんなに散らかってないと思う、どうぞ入って~」

「お邪魔しまぁす‥」


シンプルな内装の1Kのワンルーム。

玄関を入ると、右手に1口ガスコンロつきのキッチン、左手にシャワールームの押扉が目に入る。


「スリッパこれ使って?」

「あ、ありがと」

ネコの顔が描かれたスリッパは1足しかなかったから、みなみは私に

スリッパを貸してくれた。

みなみはそのまま靴下でお部屋に入る。


白の壁紙、木目調のほっそりとしたクローゼットと勉強机。

シングルベッドには、ネコの描かれたクッションと大きなスヌ◇ピーの

ぬいぐるみが置いてあった。


「あ、お手手洗わせてもらっても良い?」

「うん、良いよ。お手手だって‥、かわいい」

「え!?変‥かな?」

「ううん、変じゃないよ。かわいいなって思っただけ」

「小さい頃から言っているから、つい出ちゃったね‥」


キッチンはシンクと1口のガスコンロが付いていた。

コンロの上に深鍋が置いてあった。


「みなみはお料理もするの?」

「料理っていうほど立派なことはしないよ~。お湯を沸かしたり、

 レトルトのカレー温めたりするだけだよ~」

「そうなんだぁ」


キッチンでお手手を洗って、フローリングに敷いてあるシナ♡ロールが

描かれた長座布団に2人で座る。


「お部屋に友達を連れてきたのは、さやなが初めてなんだぁ。

 どう?私のお部屋」

「うん、可愛いお部屋だよ。すごく落ち着く」

「そっか!良かった!」


折り畳み式の丸テーブルの上に、ピンク色の毛糸玉と作業途中のウサギの

ぬいぐるみが置いてあった。


「これ‥、いま作っている途中なの?」

「あ、これね。お腹に綿を詰めて、背中を縫い合わせたら完成なの」


頭部と耳、手足には綿が詰められ立体的になった手のひらサイズほどの

ウサギのぬいぐるみ。

胴体部分だけまだスカスカだ。


「さやなにプレゼントしようと思って少しずつ作っていたの。

 見つかっちゃった!」

「本当に?私の‥ために…?」

「うん。だから、もう少し待っててね」


嬉しさのあまり、私はみなみに抱きついた。


「みなみ‥、だいすき!」

「もう‥、そんなに嬉しかったぁ?‥私もだいすきだよ。いつもありがとう」

「だって。私だけがみなみのこと好きなんじゃないかって‥、毎日不安

 だったんだもん‥」

「そんなことないよぉ、私もさやなのことだいすきだもん」

「嬉しい…。‥みなみ…キスして…」


くちびるを重ねて、お互いの好きの気持ちを確かめ合う。

さやなが私のことを、こんなに好きでいてくれる。

こんなに幸せな気持ちになれるなんて思ってもみなかった。


こんなに私のことを思ってくれるさやなに‥、本音を隠したままじゃ

だめだね‥。


くちびるを離して目を開けると、みなみの目から涙が溢れていた。


「…みなみ?」

「私ね‥、さやなに言ってなかったことがあるの…」

「‥言ってなかったこと?」


「クラスでさやながいじめを受けていた時期にね‥、さっき電話していた

 "ヤマトさん"と出会ったの」

「お金をくれるおじさんって‥、言っていた人?」

「‥そう。夏休みの間も2回くらいヤマトさんと会っていたんだけど‥。

 ホテル街から出てくる時、深坂さんに見られてしまったの」

「深坂さん‥。うん」


深坂さんは、私をいじめていた女子グループの1人だ。


「夏休み明けに、さやながいじめの被害に遭わなくなってきたから。

 次は私かも…、って思ったの。だから‥、さやなと仲良くするように

 したの…」


「いじめの標的にならないために‥ってこと…?」


話せば話すほど、さやなへの申し訳ない気持ちで胸が締めつけられる。

でも…、黙っていたら‥、いつか、さやなを傷つけてしまうかもしれない‥。


「だって…、怖かったから…。未成年がホテル街から出てきたなんてクラス中に言いふらされたら…、先生にもバレて停学になるし…、親もー」


私の話を遮るかのように、さやなは私をきつく抱きしめた。


「もういい!…もういいよ…。私は‥みなみのこと、ちっとも怒ってないよ」

「さやな…」

「私は…、みなみを友達にできて…。好きになれて、幸せだもん。すごく」


みなみを抱きしめていたら、私が今までいじめを受けても言い出せずにいた、我慢していた感情が一気に込み上げてきた。


誰かの助けを求めていた訳ではないけれど。

私がいじめを耐えれば、我慢すれば、いつか終わると思っていたあの日々を思い出して‥。


「‥わたし…、ずっとひとりぼっちで…、寂しかった…、怖かった……。

 みなみが…‥、わたしを…手芸部に誘ってくれて‥、本当に嬉しかったの‥」


「……うん。私も…、さやなを好きになれて…良かったよ‥」

「ふたりで助け合わないと‥ね」



お互い頬に流れた涙を、指で拭って慰め合う。

丸テーブルの置いてある、ウサギのぬいぐるみに視線を移す。


「このぬいぐるみ。あとは私に作らせてもらっても良い?」

「え?うん‥、いいよ?」

「このぬいぐるみは、私たちの想いが込められた。共同作業作品にするの」


"共同作業"。

結婚式のウェディングケーキを、新郎新婦がひとつのナイフを一緒に持ってケーキ入刀をする。

小さい頃テレビで観た時から憧れがある響き..。

このぬいぐるみをさやなと一緒作り上げて、愛情を深めることが出来る。


「…うん。一緒に作ろ。私たちの大切な宝物になるね」

「うん。じゃぁ、これは私が預かるね。明日学校に持って行くから、

 部活の時一緒に作ろう」

「うん、わかった。ありがとうさやな」


でも、まだそのぬいぐるみは完成してはいない。

今日という日を忘れないために、今日の思い出も残しておきたい。


「このぬいぐるみは、私たちで一緒に作って完成させるんだけど、

 今日は今日で何か特別な思い出に残る日にしたいな」

「今日の‥思い出?」

「形に残る物が良いよね?」

「キスするだけでも‥、私は十分思い出になってるよ?」


"今日の思い出になる物"と急に言われてもすぐには思い付かない‥。


「じゃぁ‥、布団に入って…、さっきの続き‥」


そう言うとみなみはベッドに寝転がって、スペースを作って私を

招き入れる。

おさげ結いにしていたヘアゴムをほどいて、小さな缶の中にしまった。


「…うん、続き‥‥いいよ‥」


私がベッドに寝転ぶと、みなみは眼鏡を外して、私の上に掛け布団と一緒に

覆い被さってきた。

私のお股の間に、みなみの太ももを挟み込む形で身体を密着させ抱き合う。


「みなみ…、だいすき」

「私も‥、だいすきだよ…さやな」


くちびるを重ねると、お互いの愛情が見えてくるみたいに…。

全てが今日を彩る大切な思い出になる。


教室では、人目を気にして抑えていたもどかしさも無い。

誰の邪魔も入らない、本当に2人だけ空間。


みなみのサラサラの髪が私の頬を優しくくすぐる。

ローズ系のシャンプー匂いとみなみの汗の匂いが混じる。

全てが愛おしく感じて、いつも以上にみなみを抱きしめる腕に力が入る。

ずっとこのまま離したくない…。

ずっとこの時間が続けば良いのに‥。


「私…、みなみの髪が欲しい‥」

「私の…、髪?そんなに気に入ったの?この匂い」

「匂いもそうだけど、サラサラなみなみの髪が羨ましくて、離れている間もみなみと一緒に居る気分になれると思って…だめ?」

「髪の毛ねぇ…」

みなみは少しだけ考えて、私の上から起き上がった。

丸テーブルの上の缶ケースの中から糸切りハサミを取り出した。

「さやなのヘアゴム、貸して?」

「あ、うん」

頭のサイドで小さなツインテールにしていたヘアゴムをほどいてみなみに渡した。


「どれくらい欲しい?」

「ちょっとで良いよ。筆の先くらい」

「わかった」

そうさやなに言われて、習字の筆を思い出した。

頭のてっぺんで小さなちょんまげを作る。

「これくらい‥かな」


鏡を見ながらヘアゴムの束元にハサミを入れる。

細かい髪の毛が散らばらないように、一気にスパンと切り落とす。

両サイドに髪の毛がサラサラと流れる。


「はい、さやな。私が愛情込めて育てた髪です!」

「ふふ、ありがとうみなみ。大切に奉ります!」


みなみの愛情が込められた髪の毛が私の手のひらに乗せられる。

サラサラした肌触りで、艶のある黒髪から微かにローズ系の匂いが香る。


「私からも何か記念になるものをみなみにあげたいな」

「だったら、お揃いで何か身に付ける物とはどう?ペアルックみたいに

したいかも!」


「ペアルック…」


これはまた心にキュンとくる素敵な響き‥。

ペアルック品を身に付けて街を歩く姿を想像したら、頬が熱くなって

顔がふにゃけた。


「でもいまは…、続き…しよ?」

みなみは私のふにゃけ顔に頬をすり寄せて言う。

「…うん」


幸せな気分で満たされた2人だけの空間。

邪魔をするものは何もない。


鼓動の高鳴りはさらに増していく。

私もさやなも、何の抵抗もなくブラウスのボタンを外し、

スカートを脱いで再び掛け布団にくるまる。

重ねたくちびるの熱も、肌を伝う汗も、抑えることのないやらしい声も…。

全部がい……。


…っとここから先は、私の口からも恥ずかしくて言えないので…。

あとは皆さまのご想像におまかせします…。


********


外でスズメの鳴き声がする。

目を覚まして時計を見ると、翌日の早朝4時50分を示していた…。

カーテンのすき間から朝の日差しが射し込んでいる。


「…あれ……私…、寝ちゃった…」


安心感と疲労感が一緒に襲ってきて。

いつの間にか眠ってしまっていた私は、みなみのお部屋で

一晩を明かしてしまった…。


隣に視線を移すと、みなみのやわらかい胸のふくらみが私の鼻先に

当たった。

「ぉぉ…」


掛け布団も掛けず、下着も一切身につけていないみなみの裸が隣に

横たわっていた。

静かな寝息を立ているみなみは、まだ起きる様子はない。


みなみを起こさないようにベッドから起き上がる。

自分の身体に視線を落とすと、私も下着を付けていなかったことを

思い出した。


床に散らかった私たちの衣服の中から、自分のパンツとブラジャーを

探り出して身に付ける。


「ぁ…さやな、…おはよう」


みなみが目を覚ましたみたい。

「おはようみなみ。ごめんね、私寝ちゃったね…」

「ぜ~んぜん気にしてないよ~。同棲してるみたいで新鮮だね~」

「ど、同棲?…」

動揺して履こうとしていたスカートがはらりと落ちた。

「さやなのキスで迎える朝も良きだよ。キスして~」

両手を広げてベッドに誘い込もうとするみなみ。

「顔を洗って、歯を磨いてからでもいい…?」

「っと、そりゃそうだ。洗顔フォームと歯ブラシはキッチンの引き出しに入ってるよ。好きに使っていいよ~」

みなみはむくっと起き上がって、キッチンを指差した。

「うん、ありがとう」

スカートのファスナーを締めて、ブラウスのボタンを留めながらキッチン

に向かった。


あはは…、お布団がまだ湿っぽい‥。

汗もいっぱいかいたし、汗以外もいっぱい出たから、

そんな簡単に乾かないか…。

あとでベランダに干さないとね…。


さやながキッチンで歯を磨いている間、私も床に落ちていた下着を拾って

身に付ける。


時計を見ると5時になるところだった。

いつもよりちょっと早めの起床だった。

朝ご飯も一緒に食べたら、これはもう夫婦確定ですね~!


パンツを履いて、ブラジャーの背中のホックを付けながら、キッチンで歯を磨いているさやなに近づく。

「インスタントのお味噌汁とコーンスープならあるよ?どっちが良い?」

「ん?こーむふーふがいい」

歯ブラシを咥えたまま返事をするさやな、可愛い…。

「わかった、コーンスープね」


お鍋に水を溜めてコンロで火にかける。

お湯が沸くまでの間、私も顔を洗って歯を磨く。


猫とハートが描かれた、赤と黒色違いのマグカップを食器棚から

取り出した。

「マグカップはこれと、これ使うね」

「うん、いいよ~」

先に歯みがきを終えたさやなが朝食の準備の続きをしてくれている。


2人分のマグカップの中に粉末のコーンスープを入れる。

鍋のフチがぽこぽこと沸き始めたところで火を止めた。


「みなみは猫舌だから、これくらいで良いよね?」

いつも自販機のHotの飲み物も、少し冷ましてから飲むみなみさん

ですからね。

「ん~!いいねぇ!わかってんじゃん!」

「やるでしょ~」

お互いに肩と肩をぶつけて嬉しさを表現する。


マグカップにお湯を注いでティースプーンで軽く混ぜる。

「テーブルに持っていくね」

「うん、ありがと~」


歯をみがき終わってリビングに戻る。

ブラジャーとパンツを着ただけの状態で歯みがきをしていた私は、

ブラウスとスカートを拾って着替えの続きをする。

さやなは座布団に正座をして、私の着替えが終わるのを待ってくれている。


さやなは素直で思いやりがある優しい子。

さやなと親しくなれて本当に良かった。


「さやなに私のお家の鍵、渡しておくね」

「お家の鍵?良いの?」

そう言うとみなみはクローゼットの引き出しから小さな鍵を取り出して、

私の手のひらに乗せた。


「うん。お部屋借りた時に管理人さんからスペアの鍵貰っていたの。さやなにだったら、安心して預けていられるよ」

「うん‥。ありがとう‥?」

家の鍵なんて大事な物を渡されて、正直喜んで良いものか少し戸惑った。


「私が居ない時でも、ゆっくりくづろいでて大丈夫だからね」

「うん…。わかった」

「良かった!じゃぁ朝ご飯にしようね~。うちトースターが無いから焼けないけど、食パンならあるよ。食べる?」

「うん。食べる食べる~」

キッチン下の戸棚から6枚切りの食パンを取り出して封を開ける。

「そういえば。さやなの誕生日、12月1日だったよね?」

「うん。そう、12月1日だよ」

「12月ね…。うん、ありがとう」

「え?なぁにそれ、どうかしたの?」

「ん~、ナイショ!」

「あ、そうですか」


誕生日の確認か‥。

よし!楽しみに待っていおくことにしよう。


ほんのちょっとの朝ご飯を食べて、まだ湿っぽいお布団をベランダの柵に掛けて、学校に行く準備をする。


「「行ってきま~す」」

「あ、行ってきますのキスは?」

やっぱりね。

みなみのことだから言うと思ったよ。

「うん、いいよ~」


くちびるを軽く重ねるキスをして玄関を出る。


学校に向かう途中、コンビニに寄ってお昼ご飯におにぎりやパンを

それぞれ買うことにした。

正門前での待ち合わせではなく、みなみと一緒登校する朝はとても

新鮮だった。


7時40分。

余裕がありすぎるくらい早く学校に着いてしまった。

いつもはスルーする校舎の中庭。

自販機で紙パックのいちご牛乳を1つだけ買って、2人で分け合う。

ベンチに肩を寄せあって座って、少しの間だけくつろいでいた。

特に会話のするわけでもなく、静かに時間が流れる。

ただ2人でいるこのひとときに、幸せを感じていられた。



いつも通り授業を受けて4時限目の終わり、

昼食を食べずにみなみは早退してしまった。

帰り際、私の顔を見てただにっこり笑って手を振って、

教室を出て行ったみなみ。


今朝や教室移動の時もそんな素振り全く見せなかったのに‥。

どうしたんだろう‥、体調悪かったのかな…。


今朝みなみと一緒にコンビニに寄って買ったサンドイッチも、

今日は1人で食べることになっちゃった。

昼食を教室で1人で食べている間、他にいじめる標的が見つかったからなのか、私にただ興味が無くなっただけなのかは分からないけれど、私をいじめていた女子たちは、私に干渉してくることは無くなった。


午後の授業も終わり放課後。

みなみは早退して居ないけれど、共同制作のぬいぐるみ作りも進めたかったこともあり、今日は1人で4階の教室に顔を出した。


しばらく作業を続けていると、顧問の中野先生が教室に入ってきた。


「おはよう奏浜さん。志嶋さん早退したんだってね。理由聞いてる?」

「おはようございます。…私も詳しくは聞いていないですね…」

「そう。まぁいいけど。何作ってるの?ウサギちゃんだね」


先生は椅子の背もたれ部に足を開いて跨がって、私と向かい合わせに座る。


「これは志嶋さんと共同制作しているぬいぐるみです」

「もう~、お堅いわね~。あなたたちが名字で呼び合うような仲じゃないことぐらい、私はもう知っているわよ。良いわよ私にも名前で話したって」

「え、あ…。そうですよね‥」

「でも、あまり学校ではハメを外し過ぎないでね」

「えっと…、それはどういう…?」



「あなたがいつも座っているその椅子の下ね。

そこのカーペットの部分だけシミが増えてる」

「えぇ!?うそ…」


椅子を引いて床を見ると、藍色のカーペット床に白く乾いたようなシミが

散らばっている…。


これってもしかして…、私の…?

「ぁ……これは…その…」

「ははーん、奏浜さんが犯人だな?」

「や!?あの!…これは…」

声も裏返って、顔も真っ赤になって慌てる奏浜さん。

太ももの間に手挟み込んでもじもじしている。


「そんなに上手なの?志嶋さん」

「ぉ……怒らない‥ですか…?」


「別に怒りたくて話している訳じゃないわ。女子高ならよくある話だよ。

 ここは共学で男子も居るのに、女の子同士なんだなぁとは思うけど」

「……ぅ…」

「隠さなくても良いじゃな~い、健康的で若い証拠でしょう。

 私も結構濡れるほー‥っとこれ以上は生徒にする話じゃないわね‥」


何を話す気だったのか、先生は自分の頭をコツンと小さく叩いていた。


「女の子同士って…おかしい…でしょうか…」

「私はおかしいとは思わないけどね。友達も居なくて、1人で孤立して自殺でもされるよりは

マシよ」

「自殺…ですか」


私も‥、自殺することを何度も考えていた…。

苦しみから逃れるための手段として…。

お父さんにも、中学時代の友達にも、助けを求めることが出来なかった

私には、ただただいじめの続く日々が終わるのを耐えることしか出来なかったから…。


「10月に入部してきた時のあなたは、3年の先輩たちを怖がっていた。怯えた目で見ていたでしょ?」

「ぁ…、そう‥ですね…」

他人のことを信用出来ずにいた時もあった。

その時はまだ、みなみのことも疑っていたぐらいだ。

「いじめ、受けていたんでしょ?クラスの子たちに。志嶋さん言っていたよ。"奏浜さんを守りたいから、手芸部に入れたいんだ"ってね」


「みなみ…」

机の上に置いた共同制作のぬいぐるみに視線を移す。

…涙がにじむ。

「とにかく。私が奏浜さんの顧問になった以上、私も奏浜さんを守る義務があるの。いつでも相談に乗ってあげるから、いつでも話においで」

「はい‥。ありがとうございます、先生」

「よし。良い顔になった!それでだ奏浜さん。演劇部を見学しに来ない?」

「演劇部‥。私が行っても良いんですか?」

「顧問は私ですから、いつでもOKするわよ~。それに今日は志嶋さんも休みで、この教室に1人じゃ寂しいでしょ?」

「はい…。そうですね」

「演劇部もインフルエンザの子たちはまだ休んでいるから、今日は4人しか居ないの。奏浜さん大人数苦手でしょ?」

「え?ぁ‥、よくわかりますね‥」

「あたりまえでしょ~。10人の生徒の特徴くらい見極められなくて、

 先生が勤まりますかっての」

「頼もしいですね、先生」


こんな風に教師とじっくり会話することも今までなかった。

とっても明るくて、頼りがいのある先生が傍に居てくれる。

私の心も軽くなったような気がする。


「行こう行こう!生徒たち待たせてるからさ」

「はい!」


中野先生と一緒に3階にある演劇部の部室に向かった。

_____



次の日の朝。

正門前に何時に集合するとか遅刻しそうとか、みなみに連絡する手段が無い私は、ただみなみが登校してくるのをひたすら待つことしか出来ない。

非常にもどかしい…。

この際キッズケータイでも良いから早く欲しい‥。

でも毎月の使用料とかもあるしなぁ~、とか悩んでいる。


「あ、おはようさやな。待っていてくれたの?」


「おはようみなみ。今日休みなんじゃないかとひやひやしたよ‥」

「ごめんね、心配かけて。今日はギリギリだねぇ‥」

「うん、早く教室行かないとね」

丁度担任の先生が廊下の向こうから歩いてくるタイミングで教室には

入ることが出来た。

出席確認の時に教室に居なかったら、遅刻扱いになっちゃうからね。


授業中、昨日の部活の時に中野先生と話したことを思い出していた。

みなみが私を守ろうとして手芸部に招いてくれたこと。

中野先生という心強い先生が傍で支えてくれること。


私もみなみが不安になった時は、支えてあげないといけないね。


いつも通り授業を受けて放課後になった。

4階の部室にみなみと2人で向かっている。

階段を上がり3階の踊り場にさしかかった時だった。


「今日はさやなにプレゼントがあるよ」

「プレゼント?なになに?」

「2人でお揃いで身に付ける物、何が良いかなぁって考えてね。

 ピアスを買ってみたの」

「ピアス?でも、私耳に穴開いて無いよ?」

「開ける器具も買ってきたよ。私も初めて開けるから、ちょっと怖いけどね。これをお揃いで付けてさやなとお出かけしたいなぁと思ってね」


みなみから渡されたのは、シルバーのハートシルエットにキュービックジルコニアをちりばめた、エアリー感のある女の子らしいピアスだった。


「うん!ありがとう、すごく嬉しい!」

「このピアスは友達の証!ね!」


"友達"という口約束で出来た関係を、モノや記念日として思い出を作って、大切な存在だと、もっと深い関係だと証明してくれる。

そう感じていられるだけで、とても心強くいられる。


4階の部室に到着、窓際の席まで行って机の上にカバンを置く。

みなみはカバンから小物雑貨店の小さな袋を取り出した。

「これは誕生石が付いた穴を開ける器具なんだって。

 私がさやなの12月誕生石のピアスを付けて、さやなが私の8月誕生石の

 ピアスを付けるの。どう?」

12月誕生石のタンザナイトと8月誕生石のペリドットが1つずつ付いた

ピアッサーだった。

「うん、いいよ。ちょっと怖いね~」


もう少しそしたら中野先生が教室に入ってくる。

それまでは編み物の道具を準備して待つことにする。


共同制作のうさぎのぬいぐるみも、ただ背中を縫い糸でとじるのではなく、赤色のリボンを巾着の紐の様に取り付けて、小物入れとして使えるように

アレンジを加えることにした。


「中野先生、今日遅いね」

「そうだね。演劇部が忙しいのかな」


中野先生がいつも教室に入ってくる時間をもう15分も過ぎている。


「そういえばみなみ、昨日は何か用事があったの?早退したでしょ?」

「あ、昨日はね…。実は昨日の夜も‥、ヤマトさんと会ってたんだよね…」

そう、ただひとつだけ引っかかることは、"ヤマトさん"という人のこと。

「昨日のお昼からみなみが早退したのは、ヤマトさんと会うためだったんだ…」

「うん。ごめんね、さやなに教えてなくて」

「…ねぇみなみ。ヤマトさんっていう人とは、これからも会うつもりなの?

 お金を貰うっていうことは"援助交際"…ってことでしょ?」


私の大好きなみなみが、年上のおじさんと援助交際しているなんて、

正直考えたくない。


「最初はね、お金が貰えるからラッキーと思って会っていたんだけど。

 最近やたらと会いたがるから‥。もう辞めようと思ってるんだよね」


「金曜日に、会うんでしょ?」

「ううん、金曜日はキャンセルしようと思ってるよ」

「その人と会って‥、みなみは何をしていたの?」

「昨日は食事するだけだったよ。会う前からお酒臭かったし、今日はもう帰りますって言ったよ」


好きな人が他人と仲良さそうにする話を聞くのって、

こんなに心が締めつけられるんだ…。


「ヤマトさんと…キスとかも‥。したってこと?」

「キスはした。2回だけ、身体も許しちゃった‥」

援助交際というだけで、嫌な予感しかしなかったけれど‥。

「…S○X‥したんだ‥」

「うん。ただ痛いだけだったけど…。ヤマトさんの写真あるよ。見る?」


そう言って、みなみはカバンから携帯電話を取り出した。


「夏休みにお泊まりした時に撮ったんだけどね」


っ!!? ぅ!

その画像を見た瞬間、鳥肌が全身に立ち、吐き気が込みあげた。


「…みなみが、私にしてるキス‥とか愛撫って…、ヤマト‥さんに教えてもらったってこと‥?」

「大体はそう。でもさやなの方がキスは上手

だよ」

そんなことを聞きたいわけじゃない。

私が嫌なのはヤマトさんのことなの。


「‥ごめん。今日はもう帰るね」

「さやな?」


私はそう言って、机の上のカバンを脇に抱えて教室を出る。


吐き気が一気に増して、視界が灰色になる。

足がもつれて廊下の手洗い場に倒れ込んだ。


私の体全身が"ヤマトさん"を拒絶している。

胃の内容物などほとんど無い、黄色い胃液だけが出て水場に流れる。

「げほっ…げほ…」

「ねぇ‥さやな、大丈夫?」

みなみが教室から歩いて来て、私の背中を擦る。

私はその時、反射的にみなみの手を払い除けてしまった。


「さや‥」

「…ごめん。じゃぁね」


私は吐き気も収まらない身体で、フラフラになりながらもその場を

立ち去って階段を下りていく。


吐き気の次は涙が流れて止まらなかった。

みなみの手を払い除けてしまった時に見た、みなみの悲しそうな顔が

頭から離れない。

ごめんね…、みなみ…。


ずっと信用していたものが崩れ去る、絶望感に襲われる。

なんで…、こんなのってないよ…、ひどいよ‥。


みなみが援助交際で相手をしていた"ヤマトさん"は、

紛れもなく、私の…、"お父さん"だったから…。


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