ほろにがい煙


「私たち‥、もうこの関係やめましょう」

「ぁ?ずいぶん急だな?どうしたあけみ」

「私、大切な彼氏が出来たから。あんたとはもう終わりよ」


恋人と言うには程遠い、お金を受け取って身体を売る関係。

今吸っているタバコも、あんたが好きだって言っていた銘柄を真似して吸うようになるくらい、すぐのめり込んで、流されやすい今の私だけど。

このままじゃダメだと、思いを改めてさせてくれる、そんな優しい彼に出会えたの。

だから、こんなお遊びの関係なんて終わりにしなきゃ。


「あっそ。勝手にしろ」


ベッドに横たわる黒い影が、タバコの煙を吐く。


「それじゃ、さようなら。あきら」


生臭く乾燥した室内を淡く照らすピンクの照明。

キングベッド脇のテーブルの上に、紙幣を数枚叩き付け部屋を出た。


他の男に触れらた淫らな身体を、好きな男が待つ銭湯で汚れを洗い流す。

銭湯の番台で翔さんの笑顔を見るたび、心が締め付けられる。

だから、"上書き"しなきゃ…。


-------------


「着いたわ。"ステーキハウス贅肉屋"」

「ここですか‥。初めて来ますよ」

「本当に俺も一緒で良いんですか?高そうですよ?」


明実さんの運転で駅前に辿り着いた。

見るからに高そうなステーキ専門店に案内されてしまった。


「値段のことは気にしなくて良いから、お姉さんに任せなさい!」

「そんなこと言って‥、本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だって。もう3人で予約もしてあるから」

「だとよ。喜べ弟よ。お前のために明実さんが選んでくれたんだぞ」

「ありがとう明実さん」


昇に礼を言われた明実さんは、誇らしげな笑みを浮かべ、ステーキハウスの入り口までの階段を2段飛ばしで上っていく。


「ふふ~ん。お礼はまだ良いわよ。入りましょ!今日はいっぱい食べるぞ!」

「おぉー!!」


エレベーターで4階に上がる。

4階建ての店舗はすべてステーキハウスの系列が入っているみたい。

店内に入り予約の確認をする。

窓際の4人掛けのテーブル席に案内された。

街並みの夜景が一望出来る。

ホールの中央では、カウンターにシェフが立ち、分厚いステーキを巨大な鉄板の上でシェフ自ら焼いてくれる。


「とっても綺麗で落ち着いている良いお店ねぇ」

「こんな店、来るの初めてだから落ち着かないよ…」

「こんな普段着で来て大丈夫だったか?スーツ着て来るべきじゃないか?」


テーブルに並べられたメニューを見ながら、不安そうに店内を見渡す男子が2人。

なんだこいつら、可愛いな。

ここは大人の余裕を見せなくては。


「せっかく来たんだから気にしないで、好きなもの頼んで良いわよ」


店員を呼び料理の注文をする。

そして10分ほど待って料理が運ばれてきた。

明実さんは、国産牛サーロインステーキ150g。

昇は、ハンバーグとカットステーキのミックスプレート。

俺は、テールスープ付き国産牛タン定食。


「「いただきまーす!」」


料理が運ばれてきたところで、ここからが本題。

この2人を招待して、食事に誘うことには意味があった。


「食べながらで良いから、私の話を聞いてね。これ見て」

バッグから手帳を取り出し、翔さんに写真を渡す。


「…これは?」


正方形の写真のような紙を明実さんから渡された。

黒と灰色が混ざった砂あらしのような画像だ。


「赤ちゃん‥、出来たみたい…」

「えぇ!?」

「赤ちゃん!?」


それは、小さな命の誕生を証明するエコー写真。

急な発表に、食べ進める手が止まった。


「うん…、翔さんとの‥赤ちゃん‥」

「ぁ、…この前の…」


そう、今から2週間ほど前、明実さんと初めての夜を共にした、あの日。

そうか…、俺の子供か…。

不安な気持ちより先に、嬉しさが勝っていた。

明実さんとお腹の中の小さな命を、俺が守らないといけないんだよな。


「明実さん…。役所に行きましょう。婚姻届、出しに行きましょう」

「……はい!」


嬉しさのあまり、明美さんの手を握り急な提案をした。

プロポーズなんて気の効いた言葉の用意をする余裕もなかったけれど。


「け、結婚するの?兄ちゃん‥」

昇が慌てた顔で、俺と明実さんを交互に見る。

「当たり前だろ。俺たちの家族が増えるんだぞ」


「役所にはいつ行きましょうか?」

「もちろん。この後すぐですよ!」

「本当ですか!はい!嬉しいです翔さん」


明実さんの瞳は潤んで、今にも泣き出しそうな顔をしている。

明実さんも、俺に妊娠のことを伝えるまで、とても不安だったに違いない。


「昇!早く食え!区役所行くんだからな!」

「お、おう!」

「うふふ、ゆっくりでいいよ~」


こんな食事風景が、これからは日常になっていくのね。

翔さんと一緒なら、助け合って暮らしていけると、私は信じたい。


まだ熱々の料理たちを一気に平らげ、会計をする。


3人で食事をして7,000円かぁ。

普段の食事では、まずお目にかかることのない金額に圧倒される。


「翔さん、大丈夫だから。ここは私が払うからね」


明実さんは俺が財布を出す手を止め、1万円札を店員に渡した。


「本当に良いの?」

「…あとで、思い出になる物、買いに行きましょう」

「わかった。ありがとう」


会計を済ませお店を出て、駐車場に停めた車に戻る。


「ごちそうさまでした明実さん」

「うん、昇くんもありがとう。美味しかったね!」

「はい!」


3人でテーブルを囲んで食事をして、昇も明実さんと打ち解けることが出来たみたいだな。

これで良いんだ。

俺たちは家族になるんだから。


車を発進させ区役所に向かう。

時間は7時を過ぎていたが、婚姻届などの手続きは、時間外でも対応してくれるのだそうだ。


お腹がいっぱいになり、眠気が襲ってぼーとしてくる。


「この車タバコの臭いがするね。明実さんタバコ吸うの?」

「え?あ、やっぱり臭う?」


後部座席に座る昇の質問に、一瞬の戸惑いを見せる明実さん。


このタバコの臭いは、あきらが吸っていたタバコの臭いだ。

私も真似をして吸うようになったから、この臭いには慣れていたけれど。

他人を乗せて指摘されるまで、この染み着いた臭いに気が付かなかった。


「ねぇ翔さん‥。タバコ買いに行きましょう…」

「タバコ?俺は吸わないけど…」

「いいの…。翔さんが選んだタバコ…、好きになりたいから…」


タバコの話題になった途端、明実さんのさっきまでの明るい表情から一変して暗くなってしまった。


「それじゃあ、先に区役所に行って、婚姻届提出しに行きましょう。そのあとコンビニでタバコ買ってあげますよ。さっきのステーキ代は明実さんに全部出してもらったのでね」

「うん…。ありがとう翔さん…」


それから5分ほど車を走らせ、区役所に到着した。

区役所自体は6時には閉まってしまうため、建物の灯りは着いていない。

建物の裏に回ると、夜間受付口があった。

インターホンを鳴らし、係員を呼ぶ。


「婚姻届の提出をしたいのですが‥」

「かしこまりました。ただいま書類をお持ちします」


しばらく待って、係員が婚姻届を持ってきた。

夫と妻の欄、それぞれに名前や住所など必要事項を書き進めていく。

婚姻届の右下の欄は保証人のサインが必要だ。


「昇、ここの欄に名前、書いてくれ。印鑑は同じので良いだろ」

「うん」

昇にボールペンと印鑑を渡して、サインをしてもらう。

昇のサインが書き終わり、全ての記入が終わった。

係員に記入の済んだ婚姻届を提出する。


「それじゃ、これで。お願いします」

「はい、承りました。住民票への記載の変更は、明日の営業時間に行われますので、ご了承ください。本日の手続きは以上になります。この度はおめでとうございます」


「はい!」

「「ありがとうございます!」」


係員からの祝福の声に、思わず笑みが溢れる。

こうして、晴れて俺と明実さんは夫婦になった。


「それじゃあ、車に戻りましょうか」

「はい!旦那さま!」


明実さんが腕を絡め抱き着いてきた。

弟の目の前でイチャつくことに慣れていなくて、少し照れくさいけど。

この幸せな時間は、特別心が澄んでいて、月が綺麗に見えた。


「子供の名前、どうするの?」

「名前?まだ性別も分かってないんだぞ」

「名前かぁ、男の子でも女の子でも通用する名前が良いわよね」


ついさっき妊娠のことを聞かされたばかりで、まだ父親になった実感も沸かないな…。


「みつき…、なんてどう?」

昇が名前の提案をする。

「みつき?」

「今日さ、月が綺麗に見えない?」

「確かに、澄んでいて綺麗な月だな」


俺だけじゃなく、昇にも今日の月が綺麗に見えていたか。


「"美しい月"って書いて美月なのね?良い名前だと思うわ。どう?翔さん」

「そうだね。美月にしようか、明実さん」

「はい!素敵なお名前、ありがとう昇くん!」

「あ、はい!喜んでもらえて良かったです!」

「おう!頑張れ兄貴!」


こんな風にして、家族としての仲を深めていくんだろうな…。

昨日のまでの俺なら、想像することのなかった現実が、今はとても愛おしく思えるよ。


家の近くまで帰ってきて、コンビニに寄る。

街灯も少ない静かな通り。

コンビニの向いには、私の家"織紙書店"がある。


昇は、いつもと違う行動して気を使ったせいか、疲れて眠ってしまったな。

昇を起こさないように、静かにドアを閉め、車を離れる。


「俺がタバコを選んで良いのか?」

「今吸っているタバコの臭い、私嫌いだから。翔さんが選んでくれたタバコをこれからは好きになりたいの」

「そうか、わかった」


店内に入り、レジの後ろの棚にズラリと並べられた多種多様なタバコ。

普段タバコを買うことは無いから、どんなタバコが美味しいとか癖があるとかもまったく分からない。

「今は何を吸っているの?」

「赤ラークの…5ミリ」

棚の中段に明実さんの言うタバコを発見することは出来た。

そのタバコの2段斜め上、明実さんが似合いそうなタバコを発見した。

淡い黄緑色でほっそりとしたケースが印象的なタバコ。

ピアニッシモという銘柄だ。


「36番を1箱ください」

「かしこまりました」


タバコを受け取り会計をする。


「このタバコ、明実さんに似合うと思います」

「ピアニッシモですね。選んでくれてありがとう翔さん」

「ただし、明実さんのお腹には俺たちの子どもがいるんだから。これは俺が預かっておくよ。どうしても我慢出来なくなったら、貰いに来て」

「そうですね。健康的な赤ちゃんを無事に出産出来るように、我慢します」


…良いの、吸わなくても。

あなたに選んでもらうことに、意味があるの。


タバコを購入してコンビニを出ようとした時だった。


「あきら!?」


すると明実さんの車の車内を覗き込む2人組の男。

明実さんが俺の知らない名前を呼ぶ。


「あ?ほらな。やっぱりあけみだ」

「あんたなんでこんな所に居るのよ!」


明実さんは嫌悪感を抱き、表情が一気に冷め上がる。

黒ジャンパーを着た体格のがっちりした男は、タバコを吹かしこちら歩み寄ってくる。


「明実さん?誰なんですか、あの人」


「お前が住んでる住所、この辺だと思ってな。見物しに来た訳だ。

そしたら見ろよ、お前の車がコンビニに停めてあるじゃねぇか」

「どうしてこんな所にまで来るのよ。あんたの家は浅草にあって、方向も真逆じゃない!」

まるでハイエナのように執念深く、ニヤけた顔がとても不快だ。


「お前ら、昇に何もしていないだろうな!」

車内には昇がひとり取り残されている。


「こいつが、あけみの言っていた"大切な彼氏"か?」

あくまで俺のことは眼中に無い様子で、俺の質問を無視して明実さんと話を続けようとする男。

「彼氏じゃない、夫だ。俺たちは結婚したんだ」

「翔さん…」

横目でそっと微笑みかける。


「……あぁ、そうかよ」

「のぼるってなぁこいつのことかぁ?」

車の傍に居たもう1人の男が、後部座席のドアを開け、昇を車内から引きずり下ろした。

「昇!」

「いってぇな!なんだよお前ら!」

「くくく‥、威勢のだけは一人前だなっ!」

「っ!?」

昇の首筋に、折り畳み式のサバイバルナイフが突き付けられる。


「昇になにするんだ!」

「ちょっと!あんな子供相手に、怪我させないでよ!」

「ほぉらどうしたぁ?助けに来いよぉ」

「くそやろう‥」

ニヤニヤと不適な笑みを浮かべる男、今にも切付けそうで無闇に近付けない。

「あんたたち許せない。警察呼ぶわよ!」

バッグから携帯電話を取り出す。


「っ!‥いやっ!!」

あきらは私から無言で携帯電話を奪い取り、右頬を殴りつけた。


殴り飛ばされた衝撃で、入り口脇のゴミ捨て場に身体を激しく打ち付けた。

「‥ぁ……い‥た……」

下腹部に走る鈍痛、息ができない‥。


「明実さん!」

どこの誰だか知らないが、明実さんを殴り飛ばしたこいつを、俺は絶対やな許さない!

「おらぁ!」

「うぐっ!」

俺はあきらという男を地面に殴り倒し、馬乗りになった。

隙を与えず、男の顔面を殴る、殴る、殴る。


「兄ちゃん!」

兄ちゃんが、明実さんが、このままでは怪我をしてしまう!

俺は2人の助けに入りたい一心で、ナイフを突き付ける男の腕を振り払い、抜け出した。

「兄ちゃん!」

男はよろめいた後、ナイフをおもいっきり振り上げた。

ナイフの刃先は、昇の脇腹に縦の一閃を刻み込んだ。

昇は切りつけられた痛みより、兄を助けたい気持ちの方が上回っていた。

「兄ちゃん!」

昇は男に必死に殴りかかる兄に走って駆けつける。


「っ!くそがぁ!!」

何度殴られても怯むことなく、男は腰ベルトのホルダーからナイフを抜き取り反撃をする。

男が突き出したナイフは、翔の右胸に突き刺さる。

翔の繰り出した重い拳の一撃が男の顎に当たり、男は気を失った。

ナイフを握っていた男の腕は力なく崩れ落ちた。


「翔さん!」

「兄ちゃん!」

パトカーのサイレンの音が近付いてくる。


…2人が…呼んでいる気がする……、…視界がかすんで……意識が遠くなる…。……息が……苦しい……。

…明実さん…、怪我していないか……、昇は……無事だったか……。

視線を下ろすと、胸元に突き刺さったナイフが目に入る。

……あぁ…、俺……刺されたんだ……。


現場を目撃した人が通報したのだろう。

コンビニの駐車場に3台のパトカーが押し寄せ、ヘッドライトが翔と男を照らす。

気絶した男の上に馬乗りになる男。

一見するとこちらが加害者のような構図になる。


「翔さん!どうしてっ!どうしてこんなことに!」

「兄ちゃん!しっかりしろよ!」

意識の朦朧とする翔さんを、気を失ったあきらから引き離そうと試みる。


「触らないで!離れなさい!」

「こっちに来るんだ!」

「いやだ!俺の兄ちゃんなんだ!」

3人の警官に囲まれ、昇と明実は引き離される。


警官の手によって翔とあきらは離された。

現場から逃走を計ろうとした男は、別の警官によって取り押さえられた。

あきらは軽症で済み、命に別状はない。


翔は担架に乗せられ、救急車の中に運ばれる。

翔は多量の出血が見られ、予断を許さない状況だ。

昇も脇腹にナイフの切りつけによる裂傷が見られ、翔と同じ救急車に乗せられ病院へ向う。

明実も救急車に同乗し、現場で起きた状況を説明する。




病院へ向う救急車の中、救急隊による処置が進む。

心電図の波形が微弱な鼓動を示す。

翔さんの右胸に刺さったナイフが痛々しい。


「翔さん…、私の…せいだ…」

もっとあきらとの関係に、完全に折り合いをつけるべきだった。

そうであれば、こんな深刻な状況にならなかったのに……。


「明実さん…」

ベッドに横になる昇くんの右手が、私の左手を握る。

「昇くん…、私……」

「悲しい顔、しないでください。明実さん」

「だって…、私のせいで……翔さんも…昇くんも…」

「兄ちゃんが言っていました。明美さんは笑った顔がとても素敵なんだって」

「昇くん…」

「明実さんが暗い顔をしていたら、兄ちゃんまで暗くなってしまうから。

だから、明実さんには、笑っていて欲しいんです」


あなただって背中に傷を負っているのに…、

私なんかのことを励まそうとしてくれるの?……どうして……。


「……そうだ………、あけみ…さん……」


「翔さんっ」

意識を取り戻した翔さんの右手をそっと包み込む。

「……あけみさん…は………かなしいかお……にあわない……よ」

呼吸も弱く、翔さんの手には冷たく、私の手を握り返す力もない。

今にも消えて無くなりそうな小さな声で、私を慰める。


「生きて…、一緒に暮らすんだから、絶対……ね」

涙でぐちゃぐちゃな顔で、精一杯の笑顔を作る。


「…………おぅ…」




「病院に到着しました。搬送の準備をしますので、離されてください」


走行中の車両のサイレンが止まった。

救急車は病院に到着、緊急手術室に翔と昇は運ばれる。

待合室のベンチで、2人の回復を祈る。

今の私にできることは、それだけ。


………。


翔の手術が続く中、明実は産婦人科で診察を受ける。

現場でお腹を激しく叩き付けたことにより、

子宮からの出血が診られた。

3週にも満たない小さな命は、流産してしまう結末となった。


翔に突き刺さったナイフの刃先は右胸の肺を貫通し、

肩甲骨にまで達していた。

多量の出血による出血性ショックを引き起こした。

それから2時間に及ぶ救命措置が続けられたが、

これ以上、手の施しようがないと、処置を断念することになった。


昇の裂傷の縫合手術は無事に終わったが、

昇が麻酔から目が覚める前に、

翔は静かに、息を引き取った。


_____。



それから毎年、翔さんの命日には2人で墓参りに行く。

翔さんは亡くなってしまったけれど。

昇くんは翔さんの大切な弟で、私にとっても可愛い義弟だから。

お姉さんである私が、昇くんの傍に居てあげなきゃね。


「ねぇ、昇くん」

「なぁに?」

「私が経営するアパートに、住まない?」

「アパート?明実さんが大家さんってこと?」

「そう。織紙書店の隣のアパートよ。家賃は私が払っていてあげるから」


タバコに火をつけて、一口吸って墓石に吹きかける。

線香の隣に寝かせてタバコを置く。


「…そうですよね。明実さんが遊び歩かないように、俺が見守らないといけないですからね」


兄ちゃんなら‥、絶対そう言うと思うから。

俺も、明実さんには笑顔で居て欲しいから…。


「ちょっと…、なによそれ」

「冗談ですよ。…でも、近くに居たら、守ってあげられますよね」


こいつ…、たまに生意気な言い方するんだよね…。

まぁ、そこが可愛いんだけどさ。


「なにが"守ってあげられる"よ。まだまだお子ちゃまじゃない。

 まずは私より、身長を伸ばすことだね!」

「いって!」


明実さんのデコピン…、めっちゃ痛い…。


______



「…だから。今吸っているタバコも翔が選んだものを吸い続けてる。

昇のことは…そうだな…。今も昔も変わらず"可愛い弟"って感じがして、これから恋人として関係を発展させられるイメージが沸かなくてね…」


あれから結構な長い時間、さやちゃんに昔話を聞かせてしまったな。

チューハイもぬるくなったし、さやちゃんが食べようとしたアイスもドロドロに溶けてしまったな。


「ほんと…、私も…、2人の事情を良く知らないのに…、2人をくっつけてあげようなんて…、余計な気を起こして…ごめん‥なさい…」


テーブルには、さやちゃんが涙を拭いたティッシュの残がいが山盛りになっている。


「ばかだなぁ、泣きすぎだよ‥。もう終わった昔の話だよ。さっき車の中で話していたことは、あれはあれで楽しかったぞ?」

「…そうですか?…でも私は、2人のことお似合いだと思うので、これからは密かに応援しようと思います」

「そっか、分かった。でも、あんまり期待するなよ?…」


残っていた男梅を一気に飲み干した。

腕時計の時間を見ると、もう12時になろうとしていた。


「もうこんな時間か…。もう遅いから、今日はおやすみしましょう。アイスも溶けちゃったわね。また冷凍庫で凍らせれば食べれるでしょ」

「はい。そうですね。良いお話聞かせてくれて、ありがとう大家さん。おやすみなさい」

「はい、おやすみさやちゃん」


キッチンの照明を消して、玄関に向かう。

すると下駄箱に男たち3人の外履きが入っていないことに気付いた。


「あれ?あいつら、まだ帰ってきていないのか…。もう少し待つか…」


すると、両手にトートバッグを重そうに持ったメイちゃんがフラフラに

なりながら入って来た。


「あぁ、メイちゃんおかえりぃ」

「あ、大家さん…ただいまぁ…」

「どうしたそんな重そうにして‥」


腕に限界が来て、トートバッグを地面に置いて大家さんと話すことに

した…。 いや…、重すぎ…。


「今日の私の営収、いつもの倍だったんですよ。だからファンの人たちに 感謝の気持ちを伝えるために、サイン入りのクリアファイルを渡すんです

 って…。このバッグにはクリアファイル300枚が入ってます…」

「そうなのか~。私は握手会には並んで無いけどさ、メイちゃんの踊ってる姿、めっちゃ可愛かったぞ」

「そ‥、そうですか…。ありがとう大家さん」

「1枚記念に貰っておこうかな。1枚いくら?」

「え!あ、良いですよぉ。大家さんにはタダであげますよ。はい、どうぞ」

「いいの?ありがとう。へぇ…まだちょっと表情硬いな」


今日のライブ衣装姿のメイちゃんの写真がプリントされたクリアファイルだった。


「え!?あ、やっぱりそう思いますよね…、すいません…」

「大丈夫よ。十分可愛いさ。これからこれから!」

「はい!今日はライブに来てくれて、ありがとうございました!」

「うん。疲れただろ?ゆっくり休みな」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ~」


メイちゃんは、靴を履き変えて2階に上がっていった。



12時30分を過ぎた頃、アパートに帰ってくると大家さんが玄関で仁王立ちで待っていた。


「あら、どうした3人そろって、遅いお帰りですこと~」


「おぅ、ただいま」

「ただいま帰りました。今まで銭湯に行っていたんですよ」

「遅くなって申し訳ないね」


下駄箱で靴を脱ぐ。


「銭湯?」

「あぁ、俺の実家だ」

「なんだそうだったのか。サイコーだっただろ?松倉湯」

「はい!大家さんが好きなるのも分かります!」


すると佐山さんが俺の肩を叩いて「上行こう」と無言のジェスチャーをする。


「おっと‥ヒミツですよ!」

「ん?なにそれ?」

玄関に六倉さんと大家さんだけを残し、俺と佐山さんは小走りで2階へ上がる。


「少しだけ昔話をな。あの2人に話したんだ」

「私もな…。昔のことさやちゃんに話して、思い返していたところ…」

「そうだったのか」

 ……。


2人して目線を泳がせ黙り込む。


「さっき私が不良に絡まれてた時、助けに来てくれただろ?」

「ん?あ、あぁ」

「少しだけ、翔さんにそっくりだったな!カッコ良かったぞ!」

「‥あぁ、そうかよ‥」


顔を赤らめてそっぽを向く昇。

まったく、分かりやすいんだから‥。


「また危なくなったら、助けてくれよな!おやすみのぼる!また明日!」

「いって!」

バシッと背中を叩いて本屋の方へ歩いて行った。



「おやすみ、明実さん」




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