第26話「無謀極まりない大遠征」

 大遠征の策源地となった、ノルト大要塞の本城の謁見の間で、ハルトは王太子に謁見した。


「おお、そなたがノルトラインの英雄ハルト殿か」


 ルティアーナ王国の王太子シャルルは、勝ち気な姫様とは全く違い、優しげな雰囲気の茶色の髪の貴公子であった。


「お初にお目にかかります。殿下」


 一応、ハルトも最低限の礼儀は知っているので、型通りの挨拶はしておく。


「この度の働きも見事であった。英雄殿には、新たに勲章と爵位を授けねばならんところだが、今は時が惜しいので少し待ってほしい。私がこの戦に勝った暁には、必ずや盛大な式典を執り行おうぞ」


 いや、式典とかほんとどうでもいいんだが、問題は今回の大遠征だよ。


「殿下、そのことより……」


 ハルトが、殿下に言上しようとするのを、低い声の男が止めた。


「おっと、作戦のことなら作戦参謀である私と相談してくださいよ。ルクレティア姫殿下の軍師ハルト殿」


 相変わらず、目の隈の酷い陰険な顔つきだ。

 きっと寝てないに違いない。


 一方で、ハルトに付いてきたルクレティア姫が、「お兄様、侵略なんてやめてください」とシャルル王太子に突っかかっている。

 王太子への説得は姫様がするようだから、こっちはワルカスと話してみるかとハルトは応じた。


「ワルカス次官は、一体どんな作戦を立ててるんですか」


 帝国を攻めると聞いただけで、詳細は聞かされていない。

 まずそれを聞かないことには判断もできないだろう。


「作戦は秘密と言いたいところですが、北方軍にも作戦の一翼を担ってもらうのですから、お教えしましょう。どうぞこちらに」


 本城の仮設司令部には、軍議のために王国から帝国までの地形をもした精巧な模型が設けられていた。

 その模型を一目見ただけで、ハルトは今回の作戦を察する。


「一気に帝都を落とすことを目的としているのですか!」


 無謀すぎだろ。


「それだけではありません。まず軍を三方にわけて、第一軍をまっすぐ帝都バルバスグルグに向かわせます。第二軍を商都ダナン、第三軍を資源都市リューンを落とした後、三方から帝都バルバスブルクを包囲殲滅する作戦です」


 思わず耳を疑う。

 なんでこんな最悪の作戦を立てたのだ。


「ちょっと待ってください。いやこれ、いくらなんでも……」

「ハハハ、私の斬新な作戦に驚きましたか」


 そりゃ、驚いたよ。悪い意味でな。


「まず端的にお伺いしたいんですが、なんでわざわざ軍を三つに分けるんです」


 貴族反乱の対応もあり、帝都にいる皇太子派の軍勢は一万五千と推定されている。

 王国軍三万の軍勢でそのまま攻め入れば、こちらの戦力は二倍。


 これだけの数の差があれば、この機会に領土をもぎ取ろうと攻めるのは百歩譲ってわかる。

 だが、なんでわざわざ数の優位を捨てるのだ。


 三万を一万ずつに分けたら、各個撃破されるだけだろう。

 ただでさえ精強な騎兵中心の帝国軍は、速度と突進力に勝っている。


 自分が皇太子だったら、三つに別れた王国軍を一軍ずつ潰していく。

 それで終わりだ。


「安心してください。皇太子の軍は、帝都から動けませんよ」

「どうしてそんなことがいいきれるんです」


「この図を御覧なさい。帝都の後背の都市ブルームバーグに、皇太子に反旗を翻した門閥貴族軍が集結しているからです。皇太子軍が帝都を留守にすれば、帝都を奪われますよ」


 これを見てみろと。

 ワルカスは得意げに、王国軍の三方からの攻撃と、後背からの門閥貴族軍の攻撃で、帝都バルバスグルグは包囲殲滅されるシミュレーションを描いてみせた。


 なるほど、これは圧倒的な勝利に見える。

 模型の上だけだったらな。


「まず、門閥貴族軍がそう動く保証はないでしょう」

「そこも、保証はあるんですよ。まあ、いいでしょう。これは最高機密なので、内密に頼みますが……」


 なんと、ワルカスは門閥貴族派の盟主ブリューゲルト大公爵と密約を交わしているようなのだ。

 ルティアーナ王家と、バルバス帝家は、先祖をたどると血の繋がりがある。


「シャルル王太子を、帝国の次の皇太子にするんですか?」


 門閥貴族派に帝国の西側の領土を渡す代わりに、シャルル王太子を次のバルバス帝国皇帝として選帝させようというのだ。

 そのために、ブリューゲルト大公爵は選帝侯の制定を求めているそうだ。


 前から準備していたのかは知らないが、ここまでまとめ上げるのは見事な外交力だ。

 むしろ、ワルカスは軍事よりも政略家として有能なタイプなのだろう。


 シャルル王太子も喜ぶわけだ。

 上手く行けば、ルティアーナ王国国王とバルバス帝国皇帝の両方の地位を手に入れ、大陸統一の覇者となれる。


「そうです。そして帝国に勝った後のことを考えると、門閥貴族どもに奪われぬよう、先に東側の商都ダナンと資源都市リューンは落としておかねばならないのです」


 欲張りすぎだ。

 こういうのなんて言うんだっけ。


 取らぬ狸の皮算用だと、ハルトは思い出した。

 不思議なことに、実際の史実でもこの手のアホみたいな戦力分散して各個撃破される展開はたくさんあるのだ。


 きっとワルカスのような、机上でしかものを考えられない野心家がいたに違いない。

 なんと諭したらいいかと、ハルトは頭を抱える。


「例えばですよ。これが皇太子派の罠だったらどうします」

「罠とは?」


「ほれこれ、以前の帝国の戦争記録を見てくださいよ。わざと貴族に反乱を起こさせて、自分の敵対勢力を潰していくのは、これまでも何度も皇太子が繰り返してきたことです」


 ワルカスの作戦は、皇太子が手をこまねいて帝都にずっと座ってるバカであることを前提としている。

 しかし、実際は逆であった。


 これまでの記録を読む限り、皇太子は幼くして権謀術数渦巻く帝宮の支配権を握り、先進的な帝政改革を行って反発する門閥貴族派を叩き潰してきた。

 いわば、世紀を超えた英傑だ。


 王国軍だって、これまでその才覚に何度煮え湯を飲まされてきたかわからないではないか。

 それを指摘すると、ワルカスは少し考え込んだ。


「あえて反乱を誘ったのだとしても、こちらが門閥貴族派と通じて、これほど大胆に軍を進めることは知らないでしょう」

「そりゃそうでしょうね!」


 あまりのバカさ加減に、ハルトも二の句が継げなかったぐらいだ。

 ワルカスは、王都の最高学院で主席だったそうだが、一体何を学んできたのだと聞きたくなる。


「ならばたとえ門閥貴族どもが負けたとしても、こちらは粛々と帝都を包囲殲滅すればいいだけです」

「だから、それが希望的観測なんですって、王太子のいる第一軍を、帝都から全軍で出撃した帝国軍に撃破されたらどうなりますか?」


 シャルル王太子がいる第一軍が敵の突撃で崩されたら負けだろうと、ハルトはいいたいのだ。


「やけにそれにこだわりますね。ではこうしましょう、ルクレティア姫様とハルト殿が指揮する第三軍から、兵五千を引き抜いて我が第一軍を一万五千としましょう」

「なんだって!」


 こいつ、こっちの兵数を少なくしやがった。


「ハルト殿、私は知ってるんですよ。姫様から引き出した金で、新たに募兵していますよね。兵数が少なくなっても、北方軍は平気でしょう」

「ググ……」


 王都で募兵してたから、参謀本部にバレてしまっていたか。

 エリーゼがカノンの街の難民出身者は信用できるというから、軍資金もたんまりあることだし、高待遇で募兵をかけていたのだ。


 もともとのハルト大隊三百人は全員兵卒から十人隊長や伍長へと昇格させ、ハルト大隊は千五百人に増加している。

 ただハルトを弁護すれば、ハルト大隊はプレシー宰相から設立を認められている正規の部隊だ。


 姫様から引き出した資金は、軍備の増強にも使っているが、要塞都市であるノルトラインの民心の安定のためにも使っている。


「どうやってあの気難しい猪突姫にそれほど気に入られたのかは知りませんが、たらしこんで金を引き出すとは、あなたもやるものですねえ」

「いや、それほどでも……」


 なんでそうなったのか、ハルトもよくわからないのだ。

 前世と今世を通して、女にモテたことなど一度もないハルトである。


「だが本作戦の指揮権は、王太子殿下の軍師であるこのワルカス・カーツが握っているということは忘れないように」

「それはわかってますよ」


 今、たっぷりと思い知らされているところだ。


「あなたの第三軍は、兵数を五千減らす代わりに落とすのが一番簡単な資源都市リューンの攻略を任せましょう。そこを落としてから、ゆっくりと帝都まで来てください」


 それを聞いてハルトは、やはり自分は勝ちすぎたのだなと思った。

 要は、これ以上手柄を立てるなということだろう。


「ワルカス次官、せめて攻略目標を一つか二つに減らせませんか?」


 ワルカスは、首を左右に振る。


「計画の変更はありえません。あなたの意見を聞き入れて、我が第一軍は一万五千にしたんですよ。そんなことは絶対ないと思いますが、帝都の全軍が奇襲を仕掛けてきても負けません。まだなにか話がありますか?」


 うーんと思って、姫様のほうを見ると、あっちもシャルル王太子の説得に失敗したようだ。

 どうせ大遠征をやるのは止めないのだろうから、これ以上言っても嫌がらせにどんどんこっちの兵数を減らされるだけか。


 ハルトは、頭を下げて司令部を後にした。

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