第24話「ノルト大要塞の陥落」
帝国軍の降伏処理は思ったよりも早く済んだ。
ヴェルナー准将が、逃げてきた帝国兵に武器を捨てることを呼びかけてくれたからだ。
すでに士気が地に落ちていた帝国兵は、すぐさま武器を捨てて投降した。
こちらが講和中に突撃を仕掛けたにも関わらず、ヴェルナー准将はノルト大要塞の中で抵抗する領主軍にも投降を呼びかけようかとまで言ってくれた。
これには、ハルトも恐縮しきりだった。
確かに帝国軍の兵士はもう戦闘不能だったのだが、兵の犠牲を減らすためにこれ程潔く負けを認めるとは。
帝国の将にも、できた人間はいるものだ。
「それに比べて、あのアホ姫め……」
投降させるまでもなく、同士討ちの虚を突かれたノルト大要塞は陥落したようだが、ハルトの作戦を台無しにしてくれたルクレティア姫への怒りが収まらない。
現場を他の騎士にまかせて、ハルトは王国軍の本陣となった大要塞中央にある本城に向かった。
大要塞内部では、ところどころで激しい戦闘があったらしく、死傷者がたくさん転がっていた。
決死で守られてる要塞を無理攻めすれば、当たり前のことだ。
こんなことで英雄と呼ばれるのはまっぴらごめんだった。
そうして、本城に入って……。
そこで、ハルトは傷ついたエリーゼを見てしまう。
「エリーゼ!」
「……ハルト様、姫様はきちんとお守りしました」
エリーゼは、敵の魔術師の攻撃で、胸に深い切り傷を受けていた。
よろめく彼女を支えて、ハルトは肩を震わせて言う。
「俺はそんなこと命じていない。危なくなったら引けと言ったじゃないか……」
あんな姫を守って戦うことはない。
なんでみんな俺の命令が聞けないんだと、ハルトの心は張り裂けそうだった。
ノルト大要塞の最後の砦となった本城では、帝国の上級魔術師との激しい戦闘があった。
真っ先に突撃していったルクレティア姫や、それに追いついて守ろうとするクレイ准将など騎士たちが戦った。
エリーゼたちも、その激しい戦いの中で負傷したのだ。
多くの犠牲が出る一方で、最強の魔法鎧に身を包んだ姫様はまったく無傷である。
勝ち誇るルクレティアは、ハルトの眼の前で、うるさく雑音を発していた。
「ハルト見て! 私が敵の魔術師を倒したのよ!」
「……」
そのルクレティアの澄んだ声が、今のハルトにはとても耳障りに聞こえた。
うるさくてたまらなかった。
「伯爵は逃げちゃったみたいだけど、これで戦争は王国の勝ちね! やったのは私だけど、心配しないでもちゃんとハルトの手柄ってことに」
パァン!
破裂音が響いた。
ついに耐えきれず、ハルトがルクレティアの頬に平手打ちをしたのだ。
「な、なんで!」
「なんでじゃねえよ、このアホ姫!」
「ひぐっ、なんで勝ったのに怒るのよ……」
ルクレティアが、張られた頬を手で押さえて泣き崩れている。
女に手を上げるなんて、前世と今世を合わせても一度もなかったことだ。
自分でも、なんでやってしまったのかわからない。
バカなことをやってると思っても、もう止まらない。
悔しくて泣きたいのはこっちだ。
ハルトは、泣いてるルクレティアの首根っこを押さえて叫ぶ。
「周りを見てみろよ! お前が勝手なことをしたせいで何人死んだ! ああ、何人死んだよ!」
「そんなの、騎士は覚悟して来てるから……」
「少なくとも、それに俺の兵は関係ないよな! ふざけるのも大概にしろよ!」
半ば八つ当たりなこともわかっていた。
エリーゼに、動きやすいように鎧を着ないほうがいいと言ったのはハルトだ。
そんなことを言わなければ、エリーゼは怪我しなかったかもしれない。
だがそれ以上に、アホ姫の起こす無益な戦いに付き合わされて、こんな思いをするのはもうゴメンだった。
「私は戦争をなくそうと思って……」
「ノルト大要塞を落とせば戦争が終わると思ってるのか。それが大きな間違いなんだよ! わからないなら教えてやるが、そんなことで絶対に戦争は終わらない。それどころか、お前のせいでこれからもっと多くの人が死ぬんだ!」
帝国は悪で、王国は正義。
アホ姫の頭の中では、そんな単純な図式しかないのだろう。
だが違うのだ。
帝国が負ければ、今度は王国の侵略が始まる。
それだけだ。
正義の戦争なんてあるがわけない。
「ハ、ハルト殿……それは、それだけはいけません。大逆罪ですぞ!」
クレイ准将が、泣いているルクレティア姫に掴みかかるハルトに、剣を抜いていた。
他の騎士も、みんな反応は同じ。
そうだな、姫様に手を上げたら王家に対する反逆。
結局この世界に転生してきても、ハルトはその価値観にずっと馴染めなかった。
そうやって、お前らがずっとこのアホ姫を甘やかしてきたから、こうなってしまったんだろう。
他の
考えれば、ハルトもバカなことをやってしまっている。
ルクレティアは、きっと親にも叱られたことがないんだろう。
頬を張られたショックで、半泣きでぐったりとしているルクレティアが正気に戻れば、ハルトなんてすぐ切り殺される。
近くにいたせいで、アホ姫のアホさ加減が感染ったに違いない。
「クレイ准将、ハルト様を傷つけるつもりなら撃ちますよ」
負傷してるにもかかわらず、よろめくエリーゼがハルトの前に立って、片手でライフル銃を構えた。
エリーゼ
「エリーゼ・マルファッティ! わかっているのか。これは王家に対する大逆なのだぞ。陪臣とはいえ、そなたも由緒ある士爵家の人間であろう」
「そんなの、もう関係ありません。王国も、騎士も関係ない! 私たちの主人は、ハルト様だけです!」
それを聞いてハルトは思う。
いっそ、エリーゼたちと逃げるかと。
帝国軍のヴェルナー准将は、ハルトに帝国に付くつもりはないかと
ヴェルナーを橋渡し役にして、帝国側に寝返ってやるか。
そうして、今度はアホ姫ごと王国を負かせて、思い知らせてやるのも面白そうだ。
にらみ合う騎士隊とエリーゼたちを見て、ハルトがそう考えたそのとき。
「んん!?」
ハルトの唇に、ルクレティアの柔らかい唇が重なっていた。
いきなり抱きしめられて、姫様にキスをされていると感じたときには、もう離れていた。
この女、どんだけ不意打ちが好きなんだよ。
まるで乙女のように、キスされた唇を手でさすってしまうハルト。
ハルトが驚くのも当然だ。
なんでルクレティアにキスされたのか、わけがわからない。
しかし、当のルクレティアは、生まれついての姫様らしい凛とした表情で、クレイ准将たちに向かって叫ぶ。
「皆も見たであろう! これで大逆罪ではなくなった。控えよ!」
「ハ、ハハッー!」
顔面蒼白になったクレイ准将ら、騎士たちは、その場に跪く。
ハルトは、わけがわからず眼を白黒させている。
なんでルクレティアが自分とキスをしたら、大逆罪でなくなるのだ?
「ハルト……」
さっきまで泣いていた姫様。
いや、いまだに紅い瞳からポロポロと涙を流しているルクレティアが、白い頬を赤く染めてハルトの名を呼ぶ。
「な、なんだ」
あまりにもわけがわからない行為に、ハルトも怒りを忘れてしばし呆然としてしまう。
先程まで、もうルクレティアを見限ろうと思っていたのに。
桜色の唇が触れたときに、サラサラした紅い髪からいい匂いがしたなとか。
こんなときに妙な思考をしてしまうのは男だからか。
「すまなかった」
「なにが、すまなかっただよ」
「出てしまった負傷者には、私の回復ポーションを配ろう」
ハルトは、姫様が震える手で差し出す青いポーションをひったくると、すぐエリーゼに飲ませる。
「こんなことで許されると思うなよ」
そうだ、誤魔化されないぞとハルトは思う。
「何をしたら、ハルトは私を許してくれる」
「何をって、えっと……」
ハルトは、黒髪をかきまわして考える。
「じゃあ今後、俺の命令に絶対逆らうな。指示じゃなく、命令だ」
仮にも上官である将軍に命令とか、我ながら酷い言いようだが、これが本心だった。
ルクレティアが勝手なことをしなければ、問題は起きないのだ。
跪いているクレイ准将が、「ハルト殿、それはさすがに……」と口をはさむが、姫様が「控えよ!」と叫ぶ。
「もちろんだ。私は、なんでもハルトの命令を聞く」
「そう言われてもな……」
これまでのことがあるから、信用できるわけがない。
「何でも命じてくれ。ハルトの言うことなら何でもする」
姫様も跪いて、濡れた紅い瞳でハルトを見上げてくる。
「じゃあ、とりあえず、もう二千タラントン出してもらおうか」
こんなときに要求するのが金かと自分でも思うが、そこは綺麗事じゃない。
自由に生きていくためには、何よりも金がいるのだ。
「百万タラントン出す」
「はぁ!?」
百万タラントンって、金貨一千万枚だぞ。
王国の国家予算を確実に上回っているし、そんな金が出せるわけない。
さっきから、もしかしてと思ってたけど……。
平手打ちされたショックで、どっかおかしくなっちゃったのか?
「私の全財産をかき集めれば、きっとそれぐらいあるから」
「いや、そんなにはいらんのだが……」
「すぐには出せないけど、金ならかき集めれるだけかき集めて全部持ってくる。私の持ってる物は全部あげる。だから、私を捨てないでくれ!」
ルクレティアは、その場で魔法鎧を脱いで、魔法剣も落としてハルトにすがりついた。
なんだこれ、引き剥がそうとするが離れない……。
「わかった。謝意は受け取ろう。とりあえず、離れてくれ」
「そうか、良かった」
上目遣いにハルトを見る姫様の紅い瞳は、ランランと妖しく輝いている。
なんかもう、まったく別人になってしまったようだ。
それは怒りのあまり、素が出てしまったハルトもそうなのだが……。
ハルトはコホンと咳払いすると、乱れた軍服の襟を手で直して、いつもの調子をなんとか取り戻そうとする。
「えっと、その、私も悪かったですよ。女性に手を上げたのは良くなかったですね」
「いいんだ。ハルトは、命がけで私を叱ってくれたのだろう。私は、とても嬉しかった。生まれてこの方、こんなに深い喜びに打ち震えたことはない!」
何がだよ!
身を乗り出してそんなことを叫ばれても怖い。
「いや、叱るとかそんな立派なものじゃないですけどね」
腹立ちまぎれに、怒りをぶつけてしまっただけだ。
姫様が悪いにしたって、それ自体とても褒められたことではない。
「ハルト。私が少しでも間違ったら、また遠慮なく叩いてくれ!」
そんなことをいい笑顔で言われても、ハルトも困ってしまうのだが。
もう指示には背かないし、資金はたんまりとくれるか。それは少し心が動く。
誠意は言葉より金額とは、よく言ったものだ。
見限るのかどうかは、もう少し経過を見てからにするかとハルトは思った。
「あらかじめ言っときますけど、次はもうないですよ」
「もちろんだ! もう絶対に間違わないから!」
こちらの要望を通せたのはいいが、なんだか余計に面倒なことになってないかと思いつつ。
ハルトは、ノルト大要塞接収の指示を出すことにした。
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