21.『魔物』と強き象徴


(『魔物』……)


 『魔物』や『怪』と呼ばれるそれは、三千年前にはいなかった、人間を襲う正体不明のモノである。今世のリルカも出会ったことはない。

 ティル=リルに以前聞いたところでは、「人間界に神力が結構満ちてたあの頃は、『魔物』が発生する余地がなかったんだよね。でも今は神力が薄いから、ああいうのも出てくるんだよ。この世界の■■に元々いたものだからさ」とのことだったが、リルカは何度聞いても聞き取れなかった後半の方が気になってしまって、深く考えたことがなかった。


(特に、この都――リュリューは『魔物』と人間が遭遇しないように魔術が組まれているとのことだったし……)


 『魔物』は何もないところから突然に現れるものらしいが、その現れた魔物を感知して、一定の場所に飛ばす魔術が組まれている、だからこの都では魔物と遭遇する心配をしなくていいのだと、孤児院長から教えられていた。

 だからこそ、戦う者が滞在する理由がなくて、この都には剣士などが少ないのだ。都であるので国の騎士団は常駐しているのだが、リルカのような一般人の目に触れることはそうそうない。


 しかし、シャーディーンの他の地域や、他の国では『魔物』が発生するため、それを倒すことを生業にする者がいる。今世では人と人との戦乱が長く起こっていない代わりに、『魔物』との戦いの歴史があるのだった。


「『鬼神』――そう呼ばれるほどに、神に届くと思われるほどに、エセルナートさんの強さは信じられていたのですね……」


 ヴィシャスの器となったのも道理だ、と納得する。リルカが呟くと、セヴェリがうんうんと頷いた。


「そうだね~。もしエセルナートがこの国に仕官するってなったら、騎士団長クラスまで駆けのぼるだろうくらいには強いと思うよ~」

「それは言い過ぎだろう」

「この国は、つよーい『象徴』を欲しがってるからね。他国に名の轟く『鬼神』エセルナート・ミェッカがこの国に属するってなったら、大歓迎で席を用意するんじゃないかな~」

「それは俺の強さとは別の話だろう。それに、この国にも強い騎士はいる」

「まあ、騎士だって曲がりなりにも武を以て身を立てる者なわけだし、いるはいるよね~。『剣聖』とか~。あの人も都常駐になってくれないかってしつこく言われてるみたいだけど」


 セヴェリの言葉に、エセルナートが首を傾げた。


「? 何故そうなる?」

「言ったでしょ、つよーい『象徴』が欲しいんだよ、この国は。いつでも都にいる、つよーい人が」

「だが、それでは強さの真価は発揮できないだろう」

「それでも、つよーい人がいつでもそこにいることで民は安心するでしょ~? 民だけじゃなくて、高貴なお方々もね」


 まあ、どっちかっていうと後者の比重が大きそうだけどね~、と笑って、セヴェリは開いたままだった地図の一点を指さした。


「よかったね~。【雷霆神エルド】の神殿もリュリューには残ってるよ~。ここ。ちっちゃい神殿だけど、朽ちてはいないから~」

「管理者はいるのか?」

「前調べたとき、信仰している人はいたから、その人が死んでなければ管理してるんじゃない~?」

「お前のことだ、居場所も知っているだろう。一言挨拶したい。案内してくれ」

「ええ~? まあいいけどさ。……それにはお嬢さんも連れて行くの?」


 セヴェリが問うと、エセルナートが窺うようにリルカを見る。リルカは小さく首を横に振った。


「……いや、俺だけでいい」

「そっか~。じゃあお嬢さんとは一旦お別れだね。お嬢さんの作った祭壇とかも気になるから、また会いに来るね~」

「リルカ殿を困らせない程度にしろよ」

「善処するよ~」


 そんな会話の後、セヴェリは魔力を帯びた指で床に陣を描き始めた。すさまじく細かい陣を、目を疑うような早さで仕上げていく。


(これが、転移の陣……)


 リルカは都のごく狭い範囲で生活している。だから、転移陣を使ったこともなかった。転移の魔術陣を見るのはこれが初めてになる。

 その精緻な陣の美しさは、リルカの目を奪うには十分だった。


(拝神しても使用できる人の少なかった転移が、こんなに簡単に……)


 簡単に見えるのは、セヴェリの実力あってのことだろうが、それでも衝撃だった。今世では人は神から離れ、独自の道を歩んでいるのだと改めて実感する。


「じゃあね、お嬢さん」

「それでは失礼する、リルカ殿」


 そうして二人は、部屋から姿を消したのだった。

 二人に出したお茶の片付けをしながら、リルカはぼんやり考える。


(これでエセルナートさんがエルド様を副神として拝神すれば、当面の危機は去る……。まだ不安要素はあるけれど……)


 エルドの加護と神術で、失われるヴィシャスの加護と神術の分が補えればいい。自分のせいでエセルナートが不利益を被ることになってほしくはない。事前に話した感じでは、エルドの加護と神術はエセルナートの戦闘スタイルに合っているようだったが。


(【雷霆神エルド】様……前世でミカが主神として奉じていたから、全く知らない神ではないけれど)


 前世では、神は気まぐれなものだった。例は少なかったが、拝神しようとしても神から断られる、なんてこともなくはなかった。


(無事にエセルナートさんの拝神の儀式が済みますように……)

(それは大丈夫だと思うよ。あのエセルナートとかいう人間、武に関する神の中ではそこそこ注目されてるし、エルドも気に入りそうな気性だし)

(――えっ、ティル=リル様!?)


 突然頭の中に響いた、聞き覚えのある声に驚く。そんなリルカに対して、相手は――ティル=リルはおもしろがるような様子を隠さない。


(そうだよぼくだよー。いやあ、ついにヴィシャスに見つかっちゃったねぇ。まさかきみがあんなうっかりをしちゃうとは)

(言わないでください……)

(まあ、ヴィシャスの神印は戦に出る人間に祈るときの定番だったし、きみも描きなれてるから、ぼーっとしてたらやっちゃっても仕方ない仕方ない)


 ティル=リルの言の通り、【英雄神ヴィシャス】は戦に出る相手に、少しでも加護があるようにと祈る定番の客神だった。なので、リルカも多くの仲間にヴィシャスの神印を描き、祈ったものだった。だからこそ、神印を描くときに、癖で魔力をこめてしまったのだが――。


(それにしてもうっかりしすぎてたわよね……)


 無意識ってこわい。そうしみじみ思ったリルカだった。



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