【一章完結】婚約者が美の巨匠!?〜転生したら樽な公爵令嬢でした!〜

九重ツクモ

第1章

第1点 はじまりの春


「疲れた……」


 今日も今日とて終電帰り。心身共にボロボロだ。

 松野智香。23歳。

 彼氏ナシ。資格ナシ。貯金ナシ。

 ナシナシ尽くしの底辺社畜。それが私。

 都会に憧れ田舎から上京したはいいものの、これと言って特技も強みもなくて、零細ブラック企業で毎日身を粉にして働いている。

 まあ、定職に就けただけましか。

 そう思いながら、日々職場と自宅の往復だけして過ごす毎日。


「あっ、明日『プリマヴェーラ』の展示最終日だった……」


 駅からの帰り道。

 都心と言っても私が住んでいるのは中心地から外れた住宅街だ。

 本当はもっと会社に近い所に住みたいけど、家賃が高いからね。

 この時間ではもう、家々の電気もまばらだ。

 心細さを紛らわせるためにスマホを見ながら家路を歩く。

 すると、スケジュールアプリの通知が目に入ったのだった。



 大学まで地方に居た私が、あえて東京で就職した大きな理由。

 それは、東京には美術館が多いということ。

 週末はいつもちょっとおしゃれをして、美術館に繰り出す。そんなことを上京前の私は夢見ていた。


 私は絵画が好きだ。と言っても昔からじゃない。

 大学生の頃、テレビで見たサンドロ・ボッティチェリの『春「プリマヴェーラ」』に衝撃を受けたのがきっかけだった。

 ボッティチェリの作品は、ヴィーナスが貝殻に乗って海から流れ着く『ヴィーナス誕生』が一番有名だけど、私が好きなのは『春「プリマヴェーラ」』の方。

 画面上部にはオレンジがたわわに実っていて、中央に佇むヴィーナスはなんだか物憂げな表情。

 美しい花柄のドレスを着たフローラは、微笑を湛えている。

 ゼピュロスの求愛から逃れようとするクロリス、優雅な三美神、逞しいマーキュリー、ヴィーナスの頭上の謎めいたクピド。

 全てが美しく配置されていて、まさに『春』の訪れを感じるような華やかさ。

 私はその絵を一目見た瞬間、虜になってしまった。

 実際は某コスパ最強イタリアンチェーンの壁なんかにも描いてあるし、よく目にする絵だから「一目見た瞬間」は嘘だ。

 でもきちんとあの絵を絵として見たのは初めてで、それまではただの背景に過ぎなかったというか。

 とにかくもう、一度ちゃんと認識してしまったら、『春「プリマヴェーラ」』から目が離せかった。


 そのボッティチェリの『プリマヴェーラ』が、今まさに日本に来ているのだ……!!


 そもそも移動が難しく、来日することはあり得ないと言われていただけに、私はこれまでにないくらい心を躍らせた。

 絶対に観に行こう、なんなら何回も行こうとワクワクしていた。

 けど……あまりの仕事の忙しさに、休日も仕事か疲れ果てて動くことすらままならず、一度も観に行くことが出来ないまま、ついに明日、展示期間が終わってしまう。



「はぁ……絶対行きたかったのに……」


 私、何のために働いてるんだろ。

 忙しすぎて夢だった美術館巡りも出来ないし、かと言ってストレスのせいかネットショッピングで散財してしまい、貯金は一向に貯まらない。

 何だか、急に全てのことが無意味に思えてきた。


「はぁ…………」


 もう一度大きく溜息をついた所で、キキーーッと激しいブレーキ音がすぐ側から聞こえた。

 慌ててスマホの画面から顔を上げると、車のヘッドライトが目の前に迫っていた。


 あっ、と思う間もないまま、激しい衝撃が身体中に響く。

 激しい痛みは一瞬で、すぐに視界が暗転した。

 不思議と、手に持っていたスマホの感覚がだけが、最期まで残っていた。











「はーーーーーい!! いらっしゃい!! 待ってたよ!!!!」

「…………へ?」


 やけに元気な声で目が覚めた。

 周りは真っ暗。

 夜とかそういうレベルじゃなくて、本当に一切何も見えない闇。

 なのに、不思議と自分の手や体はよく見える。

 どこも、痛くない。怪我も、ない。

 私、車に轢かれたんじゃないの……?


「そうだよーバッチリ轢かれちゃったよ残念だったね?? 歩きスマホは『ダメ、ゼッタイ!』ってことだよ! 気を付けないとぉー」


 底抜けに明るくてどうにも馬鹿っぽい声の主を探すと、闇の上の方にぷかぷかと浮いている人物が居た。

 年は……私と同じくらい?

 肌も服も真っ白。しかもちょっと発光してる。

 同じく白くて発光してる腰丈の髪をハーフアップにしてる女性……いや男性?


「あ、ぼくは男でも女でもないよー。神だからねー」

「か、神……? ていうか私何も言ってないのに……」

「君の考えてることくらい分かるよ! だって神だもん! ぼくは創作の神! 君に使命を与えるためにここに呼んだんだ!」

「し、使命……?」


 さっきから私、言葉を繰り返すことしかしてないんだけど。

 いやだって! それだけ意味不明だから……!!


「えっと……、あれですか。異世界転生して世界を救う……とかそういうやつ?」

「いやいやそんな大層なものじゃないよー? それにぼくは創作の神だから。本当の並行世界じゃなくってさ、物語の世界を創って、その世界の内容をアイデアとして人間に与えるのがぼくの仕事なんだ。君には、今度誰かのアイデアとして与えようかなと思って創ってみた世界に入って欲しいんだよね」


 いやいやいやいや!

 何それ大混乱!!

 そんなの聞いたことないんだけど!?


「漫画とか小説の元になる世界……ってことですか?」

「そーそー! 話が早いね! 実は一回通しで物語を動かしてみたんだけどさ、なんかイマイチ面白くなったんだよね。だから最初からやり直し。もう一回同じ事しても意味ないから、君っていう変化球を入れてみようかなって」


 ……軽いわ!!

 何から何まで軽い!!!

『塩気が足りなかったからちょっとお醤油足そうかな』のノリで転生させられるの私!?

 もっと世界を救う勇者とか聖女とかそういうのないの!!?

 いやあったらあったで困るけども!!!!


「ま、まずなんで私なんですか!? 私、何も特技とかないんですけど!?」

「ぼくね、あれやってみたかったんだ。偉人たちをイケメンにするやつ。それでね、画家なんてどうかなと思って!」

「あの、話聞いてます? っていうかなんだって?」

「だから、地球の画家たちをイケメンキャラにしたら面白いんじゃないかなーと思ってさ! そういうのってよくあるけど画家はなくない? だからさ、転生させるなら適度に絵画の知識のある人がいいなーって。あんまり詳しいと話が進まないし、全く知らないと困っちゃうし。君くらいが知識的に丁度よかったんだよねー」


 思考が停止する。

 なんだそれは……? ていうかそんな理由で……。


「ありますよ多分、いや絶対あるよ画家のイケメンキャラ!! そういうのよくありますよね? 二番煎じって事……!?」

「えっそれ最悪! 二番煎じって創作の神に一番言っちゃいけないやつだよ!? それにぼく、ちょっとしたヒットメーカーなんだからね!? 竹取物語と悪役令嬢モノはぼくが流行らせたんだ!」


 竹取物語から悪役令嬢、果ては画家のイケメン化って随分俗っぽく堕ちていったなあオイ!!

 大丈夫なのこの神!!?

 創作の神界隈でもう過去の人扱いされてない!?


「それにさ、君みたいに若くして死んじゃう人の魂って、まだ元気なことが多いからこうやってよく再利用されるんだよ。創世の神にオッケー貰ってるし。あ、創世の神っていうのはね、この世界を創った神ね。偉いんだよあの人」


 なんか……ダメ元で上司に出した雑な企画書がうっかり通っちゃったみたいな、そんな感じ?

 承認するなよ創世の神ィ!!!

 さては忙しすぎて片手間でハンコ押したな!?

 そういうのよくないよ責任を持て!!!


「大丈夫大丈夫! ぼくもちょこちょこ見に行くし、必要な説明は適宜入れるから! それに、協力してくれるお礼にちょっとしたプレゼントしておいたからさ! じゃ〜よろしくね〜」


 呑気な声で創世の神が笑顔でぶんぶんと腕を振ると、体が徐々に沈んでいく。


「えっちょっ待ってわたし承諾してないんだけど!!」

「ごめんね〜君に拒否権はないよ〜」

「えっ!? そうなの!?」


 段々と速度が増して、完全にフリーフォール状態なんだけど!!

 わたし絶叫苦手なんだけど〜〜!!!!


「何ていうか、ホント雑ぅ〜!!!!」


 暗闇に、私の絶叫だけが響きわたっていた。


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