王太子妃候補の悪役令嬢は、どうしても野獣辺境伯を手に入れたい

たまこ

第1話




「アレクサンドラ=ハミルントン公爵令嬢!私は君との婚約を破棄し、マーガレット嬢との婚約を宣言する!」



 クリストファー王太子の宣言に、祝賀会の会場は水を打ったように静まり返った。王太子は、私への怒りを顕にした表情を隠そうともせず睨み続けた。そしてその隣には私の義理の妹、マーガレットがにんまりと笑いこちらを見ていた。


「アレクサンドラ嬢、君が妹であるマーガレット嬢に対して、悪質な苛めを行っていることは分かっている。こんな無慈悲な人間を王太子妃に据えることはできない。」


「クリストファー王太子、私は決してそのようなことはしておりません。」





 少しずつ状況を理解できたであろう、周りの列席者のひそひそ声が聞こえてくる。


(アレクサンドラ様が、苛めなどあり得ないだろう。あんなに慈悲深い方、国中を探してもいないだろうよ。)


(アレクサンドラ様のお陰で、貧困問題も改善し、浮浪者や孤児も減っているんだからな。)


(王太子妃という立場で、あんなにスラム街や孤児院を回って自ら慰問活動を行う方なんて初めてだろう。)


(大体、今日の祝賀会だって王太子の功績を称えるものといっても、ほとんどアレクサンドラ様の功績なんだからな。)




 ひそひそ声は、私だけでなく、クリストファー王太子にも届いたようだ。耳を赤くしているのが見える。・・・悪質な苛め、は嘘ではないのだけれど。



「ともかく!君はマーガレット嬢を苛め抜いたんだ!」


「お姉さま、怖かったです・・・」


 マーガレットがクリストファー王太子の腕にしがみつき、豊満な胸を押し付けている。




(マーガレット嬢は、確かに容姿も可愛らしいしスタイルも抜群だ。だが、あまりにもマナーがなっていないのでは?)


(王太子妃には相応しくないな)


(クリストファー王太子が豊満なタイプがお好きだったとは・・・)


 思わず自分の胸元を見てしまう。確かに、こちらは心許ない。一方クリストファー王太子は、周りの貴族たちに好き勝手言われるだけなら未だしも、好きな胸のタイプまで言及されていることに激怒しているのだろう、顔中を真っ赤にして叫んだ。




「アレクサンドラ!婚約を破棄する!」



「クリストファー王太子、確かに承りました。」




 誰もが見惚れる美しい礼をした瞬間、体が宙を浮き、目線が一気に高くなる。体格の良い男性に抱えられていることに気付く。



「それでは僭越ながら、私がアレクサンドラ嬢を戴いても宜しいでしょうか。」




「野獣辺境伯じゃないか、勝手にしろ。さっさと連れていけ。」


 クリストファー王太子は、アレクサンドラを抱えた武人、アルバート=キャンベル辺境伯をギロリと一瞥すると、マーガレットの腰を抱き姿を消した。



「アレクサンドラ嬢、参りましょう。」



 アルバートは、アレクサンドラを抱えたまま、その場を後にした。残された貴族たちは皆口々に言った、「あの素晴らしい王太子妃候補が野獣に連れていかれた」と・・・。



◇◇◇




「アレクサンドラ嬢・・・その、大丈夫だろうか?」


 馬車に揺られる中、アルバートから気遣わしげに尋ねられ、アレクサンドラは初めて笑顔を見せた。



「ええ、分かっていたことですもの。アルバート様こそ、私の我が儘を聞いてくださり大変でしたでしょう。ありがとうございます。」


 アレクサンドラの言葉にアルバートからの返事がない。アレクサンドラが不思議そうにじっと見つめるも、アルバートは固まったままだ。



「アルバート様?どうかされましたか?」


「・・・」


「アルバート様?」


「・・・っ!すまない。その驚いたんだ・・・君はそんな風に笑うのかと。」



 この国では淑女は微笑みこそ武器だが、笑顔は見せない。完璧な令嬢だったアレクサンドラが、初めて見せる年齢相応の笑顔に、アルバートは思わず見惚れてしまった。



「お嫌でしたか?アルバート様が微笑んでいる方が好みであればそう致します。」


「ち、違う。その、先程のように笑っている方が、私は、好ましい、と思う・・・。」


「良かった。」


 にっこり笑うアレクサンドラに、アルバートはこの短い時間で陥落していくのを感じた。



◇◇◇



 辺境伯領に向かうまで馬車で丸一日はかかる。アルバート一人なら、夜通し馬を走らせるように言うが、今日はアレクサンドラと一緒なのでそうも行かず、途中で宿屋に入ることにした。アルバートは勿論二部屋取るつもりだった。しかし。


「アルバート様、私たちはもう夫婦になるんですから一部屋に致しましょう。」


 なんてアレクサンドラが受付で言うものだからぎょっとした。受付の男はニヤニヤ笑い「女性にこう言われているんだから、男を見せないとね。」と馬鹿げたことを言い、一部屋しか手続きしてくれなかった。受付の男が裏に部屋の鍵を取りに行った際、アレクサンドラは耳許でこっそり囁いた。


「祝賀会であんなことがあったばかりなので、怖くて・・・一緒にいて下さいませんか。」


 アレクサンドラは、マーガレットよりも胸元は控えめではあるが絶世の美女だ。そんな女性が涙目で懇願してきて断れるような猛者はいるのだろうか。野獣とよばれるアルバートですら、それは無理なことだった。



◇◇◇






「アレクサンドラ嬢、本当に一つの部屋で良かったのか?」


「アルバート様、もう諦めてくださいませ。私がどうしても同じ部屋が良かったのです。」


 アルバートの心配を余所に、悪戯っ子のようにお茶目な表情で笑うアレクサンドラにまた心を奪われた。アルバートは、国の行事や会合で見掛けていた凛とした王太子妃候補と目の前にいるアレクサンドラとの違いに、既に翻弄されてしまっていた。



「あー、アレクサンドラ嬢?少し話がしたい。」


「サンドラ、とお呼びください。もうすぐ妻になるのですから。家族や親しい方はそう呼ぶのです。」


 これは大嘘だった。王太子妃候補として社交はきちんとしていたが、愛称で呼び合う友人はいなかった。勿論家族も愛称で呼び合えるような関係ではなかった。


「・・・アレクサンドラ嬢、まず私の膝から降りて頂けないだろうか。」


 アレクサンドラは、部屋に案内されアルバートがソファに腰かけたのと同時に、当たり前のようにアルバートの膝に座った。これには、野獣辺境伯の異名を持つアルバートもたじたじとなった。


「アルバート様、私寒くって・・・。」


「す、すまない。気付かず申し訳ない。」


 冬の日の馬車は冷える。アルバートのように鍛えている武人ならともかく、薄いドレスしか着ていないアレクサンドラには辛い寒さだっただろう。女慣れしていないアルバートは全く気付かずにいたことを恥じ、慌てて自身のジャケットをアレクサンドラの肩へかけた。


「これではアルバート様が寒くなってしまいます。」


「大丈夫だ、鍛えているから。」


「・・・それなら、御借りします。ありがとうございます。」


 心底嬉しそうにアルバートのジャケットに頬を寄せるアレクサンドラを見ると、アルバートは思わず本当に想われているのではないかと勘違いしそうになる。自分はただ、アレクサンドラを保護するための、契約結婚をするだけだというのに。



「アレクサンドラ嬢。」


「サンドラです。」


「あー、サンドラ嬢?」


「違います。嬢も要りません。」


「・・・サンドラ」


「・・・っ!はい!」


 花が開いたように笑う彼女を見ると、柄にもなく胸の辺りが苦しくなる。


「私もアルバート様を愛称でお呼びしたいですわ。」


 キラキラとした瞳でそう言われたら、アルバートは拒否する術を無くしてしまう。


「アル、とお呼びください。」


「・・・アル?」


 首を傾げ呼び掛けるアレクサンドラを見ると強く抱き締めたくなる衝動に駆られる。武人の強靭な理性をかき集め、アルバートは話し始めた。




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