File1:S高の幽霊『幽霊を視た』
隠は校長室の扉が閉じた後もしばらく無言でそちらを見つめていた。
間の持たなくなった校長が恐る恐る声をかけると呆気なく振り向いて愛想笑いを浮かべる。そしてジャケットの胸ポケットから眼鏡を取り出して掛け直すと自分からソファに腰を下ろした。
校長もまた隠の正面のソファに座る。ハンカチで丁寧に額の汗を抑えてから話を切り出した。
「隠さん、何か分かりましたか」
隠は曖昧に頷く。内ポケットにあるメモ帳へ手を伸ばしかけるがすぐに下ろした。
「ええ、まぁ……村田校長。安藤さんは階段から落ちたときのことを覚えていないんでしたよね」
「そうですね。佐々木さんと一緒に階段を下りていて気が付いたら病院にいたと言っています」
依頼時に、そして彩花に話を聞くにあたって校長は必要と思われる情報を隠に渡していた。と言っても理絵については『階段から落ちたときのことは覚えておらず気が付いたら病院にいた』という証言を除けば学年とクラスくらいしか伝えていないが。
隠の眉間に僅かに皺が寄る。
「他にも訊きたいことはあるが……仕方ないか。村田校長、
汗を吸ったハンカチが床に落ちる。しかし校長は拾おうとしない。そもそも取り落としたことにすら気付いていなかった。
鮎長千夏。数年前にS高を中退した生徒の名前であり、三ヶ月前に交通事故で亡くなった女性の名前であり、校長が今回の一件が起きるより前に見た幽霊の名前でもあった。
「え。それは……この前にお伝えした以上のことは私からは……」
ようやっと絞り出した声は情けなく震えていた。
校長は隠に仕事を頼みに行ったときに鮎長千夏の幽霊らしきものを校内で見たと打ち明けていた。とうに成人していたはずだが、S高に在籍していた当時の姿であったとも。
今回の件には関係ないとは思いますが、と慌てて付け加えた校長に隠は「それは推測ですか? それとも願望ですか?」と世間話の温度で返してきた。校長が絶句したのは言うまでもない。
鮎長千夏のことは胸に仕舞っておくべきだった。彼女を見ていなければ校長が隠に依頼をするところまで行動していなかったとしても。好んで触れられたい話題ではないのだ。
「部外者に元生徒の情報を流すのは大問題だってことは承知の上です。今だって十分に危ない橋を渡っていると言うことも。だけど、時間がないんです。お願いします」
そう言って隠は頭を深く下げた。校長は慌てて腰を浮かす。隠の頭を無理やり上げさせるわけにもいかない。行き場のない手が虚空を掻いた。
「隠さん、頭を上げてください。……時間がないと言うのは?」
ようやく隠が顔を上げる。校長は詰めていた息を深く吐き出しながらソファに尻を埋めた。その途中でハンカチを拾い上げる。
「幽霊が言った通りに次がある可能性が高いからです」
「そんな……しかし、佐々木さんの見た幽霊が鮎長さんかどうかも定かではないですし」
「鮎長さんですよ」
確信に満ちた一言だった。隠の声を掻き消さんばかりに心臓がけたたましく鼓動する。
「え?」
「村田校長の視た幽霊と佐々木さんの視た幽霊は同一人物です」
「な、何故断言できるのですか」
隠は冷静に追い詰めてくる。けれど校長は隠の言葉をまだ理解したくなかった。だから稚拙な切り返しで時間を稼ごうとしたが、それは徒労に終わる。
「おれも視たからです」
「! い、いつ見たんですか!?」
隠の返答一つで校長は目を剥いた。反射的に声を張り上げても隠は微動だにしない。
「先ほど。保険は掛けておきましたけど、絶対ではない。おれには情報が必要なんです」
焦らず。恐怖せず。心配せず。
隠は淡々と仕事を――彼にしかできないことを果たそうとしていた。
「…………分かりました」
項垂れる校長を前に隠は再びメモ帳を取り出していた。
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