地球の死が見える少女

闇之一夜

 その少女は、たわむ枝のような力強いお下げ髪をピンクのリボンで結わえ、大きな目で私をじっと見つめている。瞳はいっけん暗く虚ろだが、よく見るとその奥に、あわい敵意の炎が、風を受ける穂のように静かにゆらめいている。

 小柄な背、紺のセーラー服。たった今、学校から出てきたようにカバンを両手でさげ、板張りの床に踏ん張るように、両足をひらいて立っている。


 あたりは夕闇がおち、不意に近所の犬の悲しい遠吠えが空へ糸を引いた。こんな時刻に、この少女はいきなり戸をあけて飛び込んできたかと思うと、今のように私を見つめ、人形のように微動だにしないのだ。

 やや面食らい、卓の座布団に座って書き物をしていた手にペンを握ったまま固まっていると、彼女は口をひらいた。


「星野(ほしの)――小百合(さゆり)さん、ですね?」

 かわいらしい顔に合う、ふわりと軽い声だが、言い方にどこかトゲがある。

「この千早寺(ちはやじ)で尼さんをしてらっしゃる、霊能者の星野小百合さんですよね?」

「ええ、そうですけど、あなたは――」

 聞こうとすると、少女はいきなり話を変えた。

「髪が長いんですね、尼さんなのに。浄土真宗だからですか?」

「えっ? ああ、これね」と触る。「剃髪は出家のときにすれば、あとは自由だから。

 それで、どうし――」

「その様子だと、知らないみたいですね……」


 急に眉を寄せて困惑の顔になり、すぐに厳しい表情に変わる。なんのことやら分からない。こっちこそ困惑である。

「えっ、なにを?」

「地球が――」

 刺すように見すえ、重々しく言う。

「あさって、消えることを、です……!」

 唐突な言葉に、しばしあっけにとられた。


 が、そんな私にかまわず、少女は話し続けた。

 それは、あまりにも途方も無い話だった。



「地球に生命が誕生して、四十億年になります。最初は海でバクテリアが生まれ、それが長い年月をかけて進化し、植物から動物へ、そして人類になって、こんにちまで続いています。

 これが、何を意味するか分かりますか?」

「えっ、なにって――」

 なにったって、なにだかさっぱり分かりません。

 彼女は私の要領を得なさに眉を寄せる。声色にも若干イライラがにじんできたが、キレたりすることなく、続けた。

「生命と、単なる物質の最大の違いは、なんでしょう? 生きて、死ぬことです。生きるものは、必ず死ぬんです。

 生物がこの星に生まれて、もう四十億年たった。ということは、四十億年分の生物が生まれ、そして同じ数が死んできたわけです」


 確かに、生きとし生けるものは、確実に死ぬ。それは、死者と縁あるなりわいをする自分にとって、無関係ではない。

 だが、それが、いったい?


「つまり――」

 彼女はいったん息を吸うと、いきなり火の玉でも吐くように、言葉を一息にぶっ放した。実際、それは炎だった。受けた私を、火傷を負ったように驚かせた、という意味において。

「この四十億年間に死んできた、あらゆる種類の生物の霊魂が、この星に今も存在している、ということです! 今までに死んだ全ての生命が、一つ残らず霊になって、この地球上にずーっと溜まっているのです!

 そして、そして――」

 次の瞬間、火の玉は爆発になり、この寺中に飛散した。反響する甲高い声が、天井の梁をかすかに揺らし、屋根裏のネズミが驚いて振りむく気配がした。

「それがついに、限界に達したのです!」

 そして目を閉じ、

「あさって、膨大な霊の重みに耐え切れず、地球は――」 

 ゆっくりとこっちを見て、押し殺すように、ぽつり。

「潰れます……!」



 あまりに荒唐無稽な話に目をぱちくりしたが、少しの沈黙の末、ようやく口をひらくことができた。

「ええと、要するにあなたは――

 今までに死んだ生物の霊が、全てこの世に残っている、と。そして、それが、限界に達して地球を押し潰す、と。

 こう、言いたいわけね……」

「まったくその通りです」


「えっとね……。

 私は、この世にさ迷っている霊を祈祷(きとう)して、成仏させる仕事をしているの」

 話がなんとなく飲み込めたので、いったん浮いた尻を座布団に落いて座りなおしてから、続けた。

「なんの問題もなく死んだ人の魂は、そのまま、すーっと極楽浄土へ行けるの。もしも殺人みたいな酷い悪さをしていた場合は、地獄になるけどね。

 とにかく、普通は死んだものは地獄、極楽のどちらかへ行くんだけど、この世に未練や強い恨みを残して死んだ場合は、あの世へいけず、ここに足止めされて、とどまることになる。これが霊とか、幽霊と言われるものね。で、それを、私のような霊能力を持った者が浄霊して、あの世に送っている。

 つまり、この世に霊がいるというのは、元来、おかしいわけ。例外なの。

 あなたのお話だと、死んだものの魂全てが、この世にとどまっているようだけど――」

「ちがいます」

 いきなり眉を吊り上げて口を挟む。

「あの世など、存在しません」


「へ?」

「さっき先生は『あの世に送っている』などと言いましたが――

 ないところへ送ることは、できません」


 なにを言い出すかと思ったが、抑えて反論する。

「でも私は、もう何度も迷える霊や悪霊を浄化して、天へ送っていますよ。同業の人がそうしているところも何度も見たし、そういう人を、他に何人も知っているし。

 死者の方が、満足の笑みを浮かべて天へ昇るのを、この肌で感じましたよ?」

「それは錯覚です」

「さ、錯覚?」


「はい。

 確かに、悪霊だった人が満足げに笑って消えたら、いかにも成仏したのかな、と思うでしょう。でも、そう見えただけで、実は消えていないんです。

 魂が空へ、ひょいーっと上がっただけで、どうして、それがあの世へ行った、などと分かるんですか? 普通に死のうが、恨みを残そうが、人だろうが、バイキンだろうが、死んだものの魂は、どこへも行きはしません。

 全て溜まっているんです、この地球に……」


 急に悲しげな顔になり、床に目を落とす。

「残念です。先生は他のインチキ霊能者とは違って、本物だと思ったのに。やっぱり見えないんですね、あなたには。

 この膨大な霊の山が……」

 周りを見渡す少女。本当に見えている目をするので、ちょっとぞっとした。


「あなたには、見えているの……?」

「いつもではありませんが、時々です。ちらりと見えることもあるし、はっきり見えて、霊の山に自分が埋もれて、倒れそうになることもあります。

 感覚もあります。冷えたような、暗い、薄ら寒い感じで、いつもは微かですが、急に強くなることもあります。

 星野先生、本当に感じないんですか……?」

 上目遣いに聞かれ、返答に困った。最初の高圧的な態度が一変し、消え入るように弱気になったので、なにかかわいそうになった。


 だが、嘘を言うわけにはいかない。

 それで、なるたけ優しく言った。

「悪いけど、この部屋の中にも、寺の外にも、霊の存在は感じられない。私は、まだまだ未熟だし、そのせいもあると思うけれど――」

「そんなこと、ないですっ!」


 不意に叫んで顔を振る。

「先生、有名な霊能者もさじを投げた数々の難事件を解決してるじゃありませんか!」

「師匠がいいからですよ。難しい事件は、ほとんど師匠のお力添えです」

「そんなご謙遜なさって……」

 真顔で言う。なので、お世辞には見えない。

「私、調べたんですよ、詳しく。そちらの世界でも評判じゃないですか。星野先生に助けられなかった霊はない、と」

「い、いや、そこまでは」

 急にほめ殺しになって、どぎまぎした。ほめられるのは苦手だ。まあ得意な人も、そういないだろうが。

 ところが、少女はいきなりニッと、小悪魔のような意地の悪い笑みを浮かべた。

「でも、このごろは散々ですよね。未解決だらけじゃないですか」

 叫んだとたんに真顔で人を誉めたかと思えば、今度は嘲笑う。本当にくるくる変わる娘だ。

 思わず眉が寄ったが、事実だから仕方がない。


 確かに、ここ数ヶ月は最悪だった。スランプだろうかと思った。

 いやむしろ、今までが上手くいきすぎたのだ。霊能者としては、このくらいが普通なんじゃないか。そう考え直している矢先だった。

 もちろん、クライアントの皆さんには申し訳ないことをしたと反省している。


「おかしいと思いませんか?」と少女。「敏腕だった腕が急に落ちるなんて。なにか原因があるはずです」

「いや、それは単にスランプで――」

「いいえ、なにか巨大な波動が出ていて、その影響だと思うんです」

「それって、あの、まさか、さっきの話の、全ての霊が溜まってるっていう……」

「はい、それです」

 再び、ここに入ってきたときの仰々しい様子に戻った。


「周りに見える霊の壁の色が、このごろ、妙に濃くなっているんです。積み重なる霊たちの顔も――もともと圧迫されているから苦しげではあったんですが――ひどく引きつったようになって、特に下のほうなんてもう、霊だからこう言うと変ですが、死体のように目を閉じて、押されすぎて小さく縮んで、色もくすんでしまっているんです。それにさっきも言いましたが、霊の力が先生でも手に負えないほど強くなってきている。


 これらはみんな、地球消滅の兆候だと思うんです。異常気象も最近、増えてますよね。どのみち、誰にもこれを止められません」

 そして決意のように、上目できっぱりと言う。

「あさって――

 地球は、消滅します」




 最初はかなり頭が混乱したが、次第に整理がついてきた。

 そこで私は、なるべく穏やかに言った。

「話は、だいたい分かったわ。

 要するに、今までに死んだ全ての生命の霊が、あの世にもどこへも行かずに、この地球に堆積していて、あさって、それがついに限界に達して、地球が潰れると。で、その膨大な霊の山は、今のところ、あなただけにしか見えていない、と」

「そうです」


「そうなると――

 私たちが見ている霊は、なに?」

「ものすごい量になって、今やアルプスをはるか越えるほど高く積まれている霊たちの、ほんの一部です。みなさんには、そこまでしか見えていないんです」

「じゃあ、私たち生きているものは、本当はうずたかく堆積した霊の山の中を歩いて、生活しているってことなの?」

「そうです。見えておらず、気づかないだけで、たとえばこのお寺も、実際には霊魂の奥深くに埋没しているんです。

 今や、霊に触れずにいるのは、上空五千メートルを飛ぶ旅客機ぐらいです。その下は、はるか深い谷底まで、ぎっしり霊が詰まって、層になっているんですから」

「それが見えて、感じとっているあなたは、大丈夫なの?」

「はい、見えるといっても、体が触れられるところまでは行きませんから」


 妄想だとしたら、とんでもないスケールだが、こんな荒唐無稽な話を聞いても、笑い飛ばせず、押し黙ってしまう自分がいた。



 確かにこのところ、気温の上昇や多発するハリケーン、地震の頻発など、世界各地で異常気象が続いている。

 そして、妙な感じもいだいている。自分の仕事の失敗だけでなく、私の所属する霊能者の協会とほかの会員たちも、「なにか今年はおかしい」と口々に言っている。

 私の恩師である橘(たちばな)師匠も、ついこのあいだ、「なにかが起きるかもしれん。警戒を怠らぬように」と、不吉なことを言っていた。困ったことに、彼の不吉な予感は、たいてい当たる。


 ただ、霊が発する波動というのがあり、大気のように全国に広がっているのだが、それが著しく乱れているという話は聞かないし、自分も特に感じない。

 また、霊の通り道である霊道というのがあり、たとえば四辻のような道の交わる部分を通って霊界から悪霊が現れ、人に災いをなすような、そんな目に見えない「道」が日本中にあり、あまりに酷いところは地主や国の要請で霊能者によって管理されているのだが、そこからも特に変わった報告はない。なのに、ただ全国の霊能者が一様に「妙な予感」のみをいだいている。

 実は協会の知り合いに頼んで調べてみたところ、これは日本だけではなく、世界中の霊の専門家がいだいている感覚でもあるらしい。

 これは、ちょっと、おかしいのではないか。やはり我々の能力を超えた何かが、今、この星に起きつつあるのではないか。



 しかし、そうは思っても、この娘の言う「四十億年分の魂の堆積」という話は、あまりに極端すぎて、にわかには信じられなかった。しかもこれを信じるということは、我々霊能者のやってきたこと全ての否定に繋がるのである。我々が、時に命をかけて浄霊させてきたと思っていた無数の魂が、実は全てこの世にとどまっていて、成仏などしていない、というのだ。

 だが待てよ。

 そうなると――


「ひとつ聞いていい?

 私たちが霊を成仏させたと思っていたのは、ただの勘違いだ、って言ったわね。でも、たとえば私が悪霊を綺麗にして天へ向かわせると、今までそこで起きていた祟りとか、交通事故みたいな霊障が収まるのよ。

 これは、どうしてなの?」

「埋没するんですよ、悪霊が」

「埋没? どこに?」

「溜まっている霊の山に、です。


 心霊現象が起きる、というのは、新たに死んだ人の霊が、霊の山に飲み込まれる前に、一時的に生きている人の前に姿を現すことです。

 私たちに霊障を及ぼす悪霊は、実はまだ半分しか死んでいないんです。恨みや未練が足を引っ張って、半分は生者の世界にいるんです。

 先生方のやってるのは、それを神通力で完全に殺し、地球に溜まっている霊の山に突っ込むことなんです。完全に死ねば、霊障も収まります。

 だから、霊が極楽へ行かなくても、みなさんのしていることは別に無駄ではないんですよ。

 いや、『無駄ではなかった』と言うべきでしょうが……」


 ああ、そういうことか、なるほど。

 これで、この話を協会に持っていっても、そう嫌がられることはなさそうだ。


 しかし、彼女のあきらめに満ちた顔を見ると、そうのんきなことは言っていられないと思った。

 もう、最初に見たドヤ顔は影もない。まるで死を決意した末期患者のそれだ。



 少しの沈黙ののち、私がおもむろに口をあけた。

「……『あさって』って、どうして、あさってなの?」

「私、数学と物理はてんでダメですが、私なりに計算したんです。今まで地球上に、どれだけの量の生命が生まれたか、いろいろ調べて、あとは最近の、徐々に高まっている気象や霊などの現象と照らし合わせ、それから私自身の感覚で判断した結果、タイムリミットはあさってぐらいだろう、と思ったんです。

 笑っていいですよ」

「笑わないよ。本物の霊能者は、人を決して笑わない」

 私の中に、どこか彼女への同情が芽生えていたのか、親しみを感じ、安堵していた。「これ、師匠の受け売りだけどね」と、口元さえゆるんだ。


「もちろん、計算が間違って期日が延びれば、こんなに嬉しいことはないです。でも星野先生、」

「先生はやめて。さん付けとかでいいよ」

「じゃあ星野さん」

 暗い上目遣いで続ける。

「あさって助かろうが、近いうちに必ず地球は滅びます。これは避けられないことです。

 ……私のこと、おかしいと思ってるんでしょう?」

「さっきも言ったでしょ。霊能者は、どんな人もおかしいとは思わない。


 とても大事な話を、ありがとう。すぐに霊能協会に相談するわ。

 ええと、あなたのお名前は?」

「これです」

 メモを差し出すと、戸口から飛び出すように行ってしまった。紙には名前と住所、電話番号が丸文字で書いてあった。

「……金井(かねい)善子(よしこ)、か」


 また遠くで犬の声が闇を裂いた。

 これは、えらいことになってきたな。

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