第23話 暗闇の中で

休日、杏子と梅子はショッピングモールに遊びに来ていた。前回誘った時は梅子に振られたが今回はうまくいったというわけだ。つい最近までカエルたちのせいで忙しかったのでこうして梅子と出かけるのは久しぶりだった。このままずっと奴らが現れなければ、何も考えずにこうして遊べる。この日々が続いて欲しい。


「はい。あーん」


「・・・あーん」


さながらバカップルのようなやり取り。差し出されたソフトクリームの乗ったスプーンを前に杏子は羞恥心と戦いながら何とか口を開く。こんな餌付けされているところを誰かに見られてもみろ。塗った恥が猛毒すぎて死ぬ。


ふと梅子の右手に視線が止まる。前に見た時には絆創膏がいくつか巻かれていたはずの指先。今は、何事もなかったかのようにきれいな肌がそこにあった。


「手の怪我、治ったのか?随分治りが早いな」


「もともと大した怪我じゃなかったし普通でしょ?」


「そもそも何の怪我なんだよ」


梅子は首を傾げて少し考えるような仕草を見せたあと、「ヒ・ミ・ツ♡」と人差し指を立てた。その仕草が、微妙に色っぽいのがなんか腹立たしい。どうやら何か言えない理由があるようだ。犯罪?趣味?格闘技?


いや、一般的に人に言えない最も身近なことと言えば、一つあるか。


(けど指を怪我するって一体どんな激しいプr)


これ以上はやめておこう。杏子も怪我に関する秘密なんて小さいものからドデカいものまでいくつもある。あまり詮索しない方がお互いのためかもしれない。


「アンタは最近妙に忙しそうだけど何してんの?」


「ヒミツ」


先ほど梅子にやられた仕草をそのままお返しする。今は互いに秘密を抱えているらしい。自分を棚に上げて言うのも何だが、仲の良い幼馴染に隠し事をされるというのは良い気分ではない。


それは嫉妬にも似た小さな火だったが、確かに杏子の心を炙る『醜さ』だった。そしてその醜さを自覚していてなお、杏子にとって梅子の存在は大きすぎて、消したくても消せないものになっている。


会話の間に生じたほんの少しの静寂が妙に長く感じられる。話題を変えようか。そう思った直後、杏子の脳内に電流の感覚が走る。数日ぶりの感覚だったが間違いない。魔力、もっと言えばネフィリムの気配だ。見える範囲にネフィリムの姿はない。しかし先ほどの感覚に間違いはない。敵は近くにいる。


「杏子?」


「わりぃ。ちょっとトイレ行ってくる‼」


梅子の元を離れてショッピングモール内が一望できる吹き抜けの場所へ移動し気配を探るが下の階、上の階、同じフロア。どこも人だらけだ。視線の先には休日を楽しむ人々。親子連れ、カップル、買い物袋を下げた学生。ネフィリムはいない。


(こんなところで何するをつもりだ!?)


これまでのネフィリムとの戦闘は人気のない場所で行われてきた。しかし今回はその真逆。人が集まるこのモール内で何かが起きれば・・・。そう考えると背中に冷たい汗が流れる。


そして敵は杏子に考える時間をくれなかった。


突如、モール内が黒い霧のようなものに包まれたかと思えば杏子は立ち眩みを起こした時のように視界が狭まりふらついた。すぐに治まったため意識を失うことはなかったが杏子を除く周囲の人々は戸惑いの言葉すら発さずに次々と倒れ、騒がしかったモール内はあっという間に静まり返った。


「おい‼大丈夫か⁉」


倒れた人に駆け寄って容態を確認する。杏子がいくら呼び掛けても反応はしないが呼吸はしているし生きている。ただ、妙なことに気を失っているというよりも深い眠りに落ちているように見える。


「梅子!」


急いで先ほどいたフードコートに戻ったが梅子の姿はない。どこへ行ってしまったのだろうか。スマホを見るが電波がないため連絡も取れない。焦りが胸の奥からじわじわと広がっていく。一体何が起きているというのか。


「人間ってのは弱いもんだねぇ」


どこからか女の声がした。しかし辺りは夜中の様に暗く、見回しても姿は見えない。


「そしてその中で唯一立っていられるアンタが魔法少女マギカってわけだ」


声の主は考えるまでもない。ネフィリムだ。気配を探るがモール内に充満する黒い霧のようなもの自体が魔法的な性質を持っているのか、他の魔力を感じ取りづらくなっている。見えない相手に向かって杏子は声を投げつける。


「テメエの仕業だな。何しやがった」


「安心しなよ。ちょっと眠たくなるだけさ」


その言葉に嘘はないだろう。コメットほどではないが杏子もある程度の魔法については身に付いてきているためわかる。倒れた人々を見る限り眠っていること以外に害はない。多少の後遺症はあるかもしれないがそれもすぐに治る程度だろう。ただ、この眠りが長時間続けば話は変わってくるが。


「目的はアタシか?」


「アンタはオマケさ。でも、つい二日前に偵察に行った奴らが帰ってこなくてね。見つけたからには先にその仇を取らせてもらうよ」


二日前、杏子がプータローと会った日だ。しかし杏子はネフィリムに遭遇していない。優香たちもそれは同じはずだ。なら一体誰がネフィリムを倒したのだろうか。疑問はあるがじっくり考えてはいられない。今はこの状況を打開するのが先だ。


「エンゲージ・マギカ エンチャント・ミロワール‼」


杏子は変身の呪文マギカコードを唱えて魔法少女へと変身する。相変わらず見た目に変化はなく私服の杏子がそこには立っているが力は間違いなく変化している。


「へぇ、これが魔法少女マギカか。噂通りすごい認識阻害だねぇ」


ネフィリムは感心したように言う。


「変身した途端に姿がおぼろげだ。もう変身前のアンタの顔が思い出せないよ」


変身した魔法少女には強い認識阻害の魔法がかけられている。敵からは姿が曖昧にしか見えず、変身前の記憶すらぼやけていく。変身していない魔法少女が敵に闇討ちされないのはこの認識阻害の魔法のおかげだ。


「けどね。変身したところで、この暗闇の中でアタイを見つけられるかい?」


声の主は笑う。わかりやすい挑発だ。悔しいが今の杏子に反論する余裕はない。黒い霧が視界と魔力感知を妨害している今、状況は最悪だ。


(けど、やるしかねぇ)


意を決して杏子は一歩、また一歩と敵を探すために踏み出した。暗闇のモールは数メートル先がまともに見えない。さらに、所々に人々が倒れている。明るい店内の音楽こそ絶え間なく流れているがそれが逆に相まって現場は不気味そのものだった。


お化け屋敷にいるようで普段の戦いよりも少しだけ足が震えるがそれでも勇敢でいられるのは正義感に駆られているからだろうか。


モール内を探索し続ける杏子だったが、とあるオレンジ色のタイルに右足をつけようとした寸前に足を止める。そしてバランスを崩さないようにゆっくりと足を戻した。するとまたどこかからネフィリムの声が響く


「あははっ‼やるねぇ、よく気が付いたもんだ」


杏子が踏もうとした装飾のオレンジ色のタイル。それはモールに元からある何の変哲もないただの装飾なのだが、そこに何かと気が付いたのは、まさに踏む寸前だった。何が仕掛けられていたのか、想像もつかない。だが助かった。


この短時間でいったい何度冷や汗をかいただろうか。


「ふざけやがって・・・」


「そういうのが他にもあるからさぁ、せいぜい踏まないように気を付けておくれよ」


他にも罠がある。そう考えた時、暗闇の中にいる杏子の足は完全に動かなくなってしまった。

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