青天井フリータイムの果て
なにやら聞き覚えのある電子音がする。
俺は小説から顔をあげた。
真希が、カラオケのデンモクをいじくってた。
「どうした」
「んー。うーん」
彼女はデンモクを注視したまま、妙な声で返事をした。
「歌いたくなったのか」
「ちがう……ただ、なんとなく見てるだけ」
ふむ。
我々だってチェックイン後はどことな~く〝ヨソの家感〟が抜けず、
俺らもかわいいトコある。で、なんとなーくカラオケだけやっていない。
「そういやあ、まだ歌ってなかったな」
「そーよね。で、タダよね? それでね。驚いたんだけどさ、機種が新しいの」
「そりゃそうだろ。競争大変らしいぞ、この業界」
「へえ。あたし、殿様商売だと思ってた。だってお金持ちがやるんでしょ、ホテルってさ。ビル建てちゃうんだから」
「そうでもない。空気を泊めても損しかない。設備投資やら宣伝しないと、部屋が埋まらない」
「空き部屋でも、あんまり損しないじゃん」
「まさか。たしかに部屋はいきなり腐ったりしないけど。このカラオケやら設備に毎月費用が発生してるし。そもそも売り上げがないと、ビルの借金も税金もお給料も払えないのだねェ」
「へー。店長さんプレッシャーやばそうね」
「支配人さんかな。とにかく大変な仕事だ。で、やるのか? カラオケ」
「んん。にしても、あんたと二人カラオケか……」
そう言って彼女は、ゆらりと天井を仰いで、小首を傾げた。顔が見えないが想像はつく。
〝あたしも遠くまで来たなー〟みたいな表情してるに違いない。よく分かる。俺だって普通の生活なら、コイツとペアでカラオケなど絶対に行かない。
「なーんか、違うのよね」
「俺も不思議な感じがするけど。そうだな、せっかくだから、大人の時間といこう。飲みながらにしないか」
「うん、それがいい! あたしクラフトビールとハニートースト」
「腹がふくれて死にそうだな」
想像するだけでちょっと気持ち悪い。俺が食うんじゃないからイイけど。
あとは適当にスナックのミックス皿と、そして自分用にビールをピッチャーで頼んだ。とかしてるうち、真希はレジ打ちベテラン背後霊が憑依したスピードでピピピピピと曲をさがし始め、ダーッと数曲入れてしまった。
「速っ」
「だって交代で歌う必要ないでしょ」
「そうだな。付き合いじゃないから、そういうの全然いらない」
俺は俺で何を歌おうか物色……してると、ヤツはなんか気になる動きをし始めた。歌いながら、本体をいじくりまわしている。
あっ、めっちゃエコー上げやがった。
さらにマイクとBGⅯの音量あげやがった。他にもガチャガチャいじってる。
黙ってしばらく聴いてあげてみる。あー。音痴ではない……が、声量はない。
例えるなら、なんだ。
蚊かな? 蚊の熱唱かな? 夏の終わりの蚊フェスかな?
で、エコーを操作したのか。
蚊の鳴くような声がムリヤリ、グワングワンかぶって聞こえる、
どうせなら声の方を鍛えていかないと……地力の方を。ちょっと向上心が足りないと思う。あ、でも細いから、あんま声が出ないの仕方ない?
いやいや。アイドルだって細いよな。それで歌うまいよな。ただ背丈はずっとあるだろうから、その辺だろうか。いやそもそも錠剤で空腹を満たす女とは、身体の作りが違うのだろう。
それよか音デカすぎじゃないか。はやくもハウってる。
と、内線がオーダーの出来上がりを伝えてきた。真希は画面を注視し歌ったまま反応すらしない。うわー、浸りやがって。蚊のくせに。
しかたなく俺が廊下のワゴンへ、メシとドリンクを取りに行った。
そして戻ると、主音量マイク音量エコーはさらに上がってやがった。
こう……あるだろう。程度ってものがあるだろ。
「おい!」
俺は爆音に負けじと声を張り上げた。彼女は無視して歌っている。
あ、ドリンクだけトレイから取られた。
「おい! ちょっと、音、でかすぎ!」
耳元まで寄って大声をだすと、彼女はすっごいイヤそうな顔してやっと答えた。
「なによー⁉」
「おと! おんりょー!! さーげーろ!」
「いーやーだ!」
ヨソからクレーム出たらどうすんだ。
俺たち、ロングステイの客なんだぞ。厄介なヤツ認定されたら、居心地がとっても悪いのだぞ。そういうの考えてないな、コイツ。そんなめちゃくちゃ自己陶酔して知らんぷりしてる場合じゃないのだよォ。
腹立ちまぎれに俺はピッチャーからビールを注ぎ、一気にグラスを干した。そんでデンモクに賛美歌453をみつけたので、ピッといれてやった。何かの嫌味を感じとったのか、蚊の歌姫は、横目でこちらをちょっと睨んだ。が、それでも歌い続ける。ああなんかもう尊敬する。
俺がポテトをつまみつつビールを飲んでると、1曲目が終わった。そして、宇宙のような静寂が降りてきた。
窓開けたら世界が終わってたり、しないだろうな。
「ちょっとあんた、そんなにビール飲むの?」
と真希が言った。やっと叫ばずに話せる。
「このピッチャーは俺のだ。あげないぞ」
「いらない。平気なら別にいいの」
真希はハニートーストのバケモノを手に取ろうとした。が、次のイントロが始まったのであわてて自分のビールを一口飲み、歌い始めた。アイスが溶けつつあるハニトーから、すごい哀愁を感じる。
やはりエコーがヤバイ。ジャイアンリサイタルのモノマネできるぐらいかかってる。あとで披露してやろうかな。あきらめて飲んでると、俺の曲がようやく回ってきた。
とにかく、エコーとマスターボリュームを下げた。下げちゃおうね。下げちゃう。もうね、ぐんぐん下げちゃう。どんどん下げちゃおう。
「ちょっ、何してんのよ」
「俺が同じ音量で歌ったら、どうなっても知らんぞ。ガラス割れちゃうぞ」
「え、あんた上手いの」
「さあ? まあ声量はあると言われた事はある」
「要は、声デカいのね。じゃ、ちっさく歌って」
もうイントロ始まってんだが。
「なんでお前のために、俺が声おさえるんだ」
「合わせてくれたっていいじゃない」
「いーやーだ。それよりハニトーが溶けてるぞ」
「あっやば。今のうちに食べよっと」
なんだろう。ぜんぜん歌ってないのに、すでにスッゴイ疲労感あるぞ。もう、飲もう。歌って飲んじゃおう。もうね、ぐんぐん飲んじゃう。どんどん飲んじゃう。
――気が付くと俺は、ベッドの上でしっかりブランケットにくるまっていた。
それなりに歌って、少し休憩のつもりがそのまま眠ってしまったらしい。畜生、酒飲みの恥だ。なんてぇ屈辱だ。いつでも横になれるってセッティングが、こんなに危険とは。すこしノド痛い。水分がとりたい。あと塩っ気のあるものが食べたい。すごく食べたい。
見渡すと、部屋には退廃ムードが漂いまくっている。パーティー後あるあるだ。真希はというと、マイク握ったまま、ソファーで綺麗によだれたらして寝ていた。
辞書の〝あられもない〟のトコの挿絵にしたい。実にヒドイ寝相だ。
世の少年たちの、女性への幻想や憧憬を微塵に打ち砕くであろう。
なんだか俺が寝た後も、相当歌ったっぽい。結構がんばったんだなァ。ハニトーも完食している。偉い偉い。
と、洗面台に行く途中で俺の歩みは止まった。
なんなの、この……奇妙なオブジェがある。
この、名状しがたいコレ。ナニコレ。この布のでっかいサイコロ。めくってみるとオケ機の電源ケーブルが抜かれて、タオルとシーツで自然に隠されているブツだった。
あーあ。酔ってやったなコレ。俺は飲みすぎても記憶トバさないから、真希しかいない。驚くほどキレイにラッピングされている。俺は好奇心に負け、彼女の白い肩を強くゆすった。
「ヘイ、大丈夫か、歌姫」
返事はない。さらに揺さぶる。
「うえ。ん……おこさないふぇ」
「ダメだ許さん。ちょっとでいいから起きろ」
「やだ……ねる。なんで」
「なァこの、コレさ。なんで電源抜いてあるの」
「ぴかぴか光ってヤだった」
「そうか。もう用済みだ、おやすみ歌姫」
返事もなく彼女は寝息を立て始めた。まだ酔ってるな。カラオケ君も、スゴイ難癖つけられたね。キミ確かによく光ってるもんね。あとで片づけよ。
あらためて顔を洗うとサッパリした。でもこう、歌った気がしないな。
やっぱなんか違うんだろう。
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