第3話  私のADHD発見。

 早速、インターネットで良さそうな病院を探し、自分は入院施設がある比較的大きい病院に決めた。

 電話すると、緊張して上ずり説明もおぼつかない会話だったが、丁寧に対応してもらえ最初の予約日が決まった。


 診察の初日、地元では大きい病院にあたるのだろう、入院施設のある七階建ての建物の前にいた。


まさか自分がお世話になるとは思っていなかった。入り口を通り受付で初診である事を話し外来に案内された。外来待合スペースには三人掛けの長椅子が十二台ほどあるが空いている席は無かった。座りやすそうな席を探し、座っている人に会釈をして座って待つ事にした。

 受付で渡されたアンケート用紙を書き終わると空間ににひたり、改めて世の中には多くの人がこうした精神科の病院と関わって生きているのだと少しの驚きと自分もその中に入ろうとしている事をうっすらと感じた。20分くらいは待っただろうか『アベ シロウさん五番の部屋にお入り下さい』診療は一五分程度の聞き取りで終わった。

 

 その後、問診中心の診療を二、三回繰り返して担当医が決まり、より明快な答えを知りたかった私は、並行してWAIS-3というADHDの傾向を見るための検査をする事にした。


 検査は診療日の別の日に設けられ、25歳くらいの女性の臨床心理士の方が担当する事になった。これからどのような検査が始まるのか先の見えない状況を時間に任せて、こちらから何かを話しかける事はせず、ただ指示に従うように体を動かした。心理士が前を歩き、ひとけの無い廊下を歩いて検査室に着いた。

 扉を開け正方形の机と椅子が中央に配置された部屋に入る。『阿部さん、荷物はここにおいて下さい』話し方の柔らかい女性に対して指示通りに行動する事を心掛けた。

 簡単な説明を聞いて早速検査が始まった。

 言葉を聞いてその言葉を覚え、あった物にチェックを入れるような検査。絵を10秒間見て絵に書いてあった物を覚え、あった物にチェックを入れるものなど記憶や視覚、聴覚、パズル、足し算、引き算など五感を活用して答える検査を行なった。

その中に私が苦手で何回も聞き返さないとついて行けなかった問題があった。それは出題者が口頭で話す内容を聞いてから答える問題で例えば、Aさんが八百屋で100円の人参と130円のレタスそして80円の茄子を買いました。金額はいくらでしょう。というような問題に対し頭の中で理解し答えを導く事が出来ず何度も設問を聞かないと答えられなかった。そうした状態が続いていくと集中出来なくなり余計に答えられなくなった。

 

 1時間半ほどで検査が終わり1カ月後の結果を待つ事になった。


 問診の際、担当医から子供の頃の行動記録(通信表など)や何か思い当たる行動は無いですかと言われて、印象に残っていた小学校の時の思い当たる行為を話した。

小学生時代、豆電球と電池を使った理科の実験で学校の先生から電気の通す物を見つけて下さいと言われ、何を思ったかコンセントに電線を入れた。入れた瞬間の事を今でも覚えている。

 電池のマイナスとプラスにつなぐ同線を両手に持ち興味本位でコンセントの中に差し込んだ。

 ほんの一瞬、教室の天上の蛍光灯が瞬いて、『バチッボン』破裂音とともに豆電球はパチンコ玉のように鼠色になった。子供ながらに結構な事をしてしまったとすぐに思った。『何したの!』教室内にいた歳の頃55歳くらいの女の先生はすぐに駆け付け僕に聞いた。『僕はコンセントに差し込んだとは言えず、コンセントの周りのカバーが金属製だったこともありこれに電気が流れるか試した』と言い張った。それ以上先生は問い正す事も無く気ぜわく動いていたが、子供だった私には何をしているか分からなかった。ショックで茫然としている私に先生は間もなく新しい実験セットを渡してくれた。

 そんな事があったと担当医に簡単に話した。


 後日小学校時代の通信表を探し出し振り返ると書かれている言葉に『明朗活発なのは良いが席を立ち歩き回る』『団体行動に難あり』などと書かれている内容にADHDの特性が通信簿から読み取れた。


 予定どおり検査の結果が出た。結果は数字で表されすべてにおいて平均値を下回っていた。特に聴覚を使った認知理解度が平均値よりかなり低かった。


 担当の臨床心理士から優しく検査結果を伝えられた。気になったそれについて積極的に聞くと『そんなに気にされなくていいと思います』と安心に結びつくようにもう一枚の用紙に話が移った。


 内容はこんな事が書かれていた。

 『能力的には、全体としては平均的な力をお持ちのようですが、得意なことと苦手なこととの間に差があるために思うように出来ないことが生じている可能性があります。』




 『阿部さんは、言葉の意味理解力や、抽象的・論理的思考力をお持ちです。知識も平均に備えておられます。しかしその割に、耳から入ってきた情報処理は苦手な傾向があります。口頭指示を聞き逃したり、話が長くなってくると理解しにくくなる可能性がありそうです。

 目で見た情報を理解する力は平均的にあります。ただし情報量が多くなると細かい部分にまで注意が行き届かなくなる傾向は認められます。また、素早い動作・作業などは苦手な傾向があります。注意を集中する力がやや弱いのかもしれません。

 つまりは、“理解しているはずなのに、実際やろうとするとできない”という場面が起こりやすいのではないかと思われました。

 阿部さんにご記入いただいた検査からも、うまく行かないことが多く、周りの反応が不安で自信を持てずにいることが窺えました。前向きに頑張ろうとご自分に言い聞かせながらも、努力してもなかなか報われないように思えてきて、内心ではとても疲れているのではないでしょうか。

 しかし、苦手な事があるのは、努力不足ということとは違います。ご自分の傾向を理解して、ご自分に合ったことを行えるように、周りとの調整も時には必要かもしれません。』


 読み終えて私は、今回の結果でADHDであるかを質問すると、それは主治医の先生が判断される事でこの検査は参考材料の一つであるとの答えが返って来た。また数値が記入されていた書類は貰えない物なのかを問うと渡さない事になっていると返答され、文書での特性と状況が書かれた物を一枚渡され検査は終了した。



 家に帰り落ち着いたところで、検査結果を振り返り自分の能力が人より劣るのだと改めて理解した。それを努力では埋められない事がわかった事で、その時は正直、明るく捉える事は出来なかった。

 そんな気持ちが大きくならないように書類がもらえなかったんだと理解できた。



 次の通院日に私は担当の医師より多動性・注意欠陥障害(ADHD)という障害名を伝えられた。



 簡単に障害を説明すると、生まれながらの障害で不注意(集中力がない)、多動性(じっとしていられない)、衝動性(考えずに行動してしまう)能力が成長に伴わず一定レベルまでしか発達しない障害だと広く言われている。


自分の過去を振り返ると思い当たる事があった。


●子供の頃、食事の茶碗や湯呑みをこぼしてばかりいた。


●運転免許を四回再発行している。


●財布、鍵など大事な物をなくす。特にお酒を飲んだりすると忘れ物、落し物が増えた。(帽子はおそらく今までに百個くらい無くしていると思う。)


●使ったものをもとの位置に戻せない、片付けられない  などなど


自分でもその診断結果に違和感はなかった。


 その後、医師からいわれた事は、定期的な病院受診と問題となる特性行動の緩和につながる薬事療法、そして失敗行動を反省して工夫しながらミスを少なくしていく事などをアドバイスされた。原因が分かった事は良かったが、受けとめて生きる他ない状態に今は流れに任せる他ないと思った。


 今回出た診断結果と検査結果の書類を見て貰いながら上司に話をすると、『俺は信じないね。何とでもなると思うし、なんとでもするっていう気持ちが足りないんじゃないの?』と突き返された。社長にも障害について、生まれながらの特性で治らない事やADHDの特徴を伝えた。その時の社長はどうするとも答える事なく、一言『分かった』と口にしてそれ以上の言葉はなかった。


 今後についてどうするのかと上司から聞かれるも、通院となる事でのデメリットや自分の立場を鑑みて聞かされた意見に同調し今までどおり少しずつ頑張って覚えていくという選択を選び余計な波風を立てない事にした。

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