第2話 同僚彼氏との出会い
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、隣の日本史教師の島田先生がいかにも重そうな本をよいしょと抱えあげていた。仏像や神社仏閣の写真集など、どれも大きくて分厚い。
「あれ? 桐谷先生は五限の授業ないんでしたっけ?」
少しずり落ちた黒縁眼鏡をくいっと指で上げながら島田は言った。
「ええ、私は次は六限です。というか島田先生、それ全部持てます?」
大丈夫ですよーこれくらいと、よろめきながら職員室を出て行く。両手いっぱいの大きな本に遮られ、あまり前も見えてないんじゃなかろうか。
「日本史の授業ってあんなに資料いるのかな……」
三年前、私と同じ年にこの学校に赴任してきた日本史の島田は授業で何冊もの参考資料を持参している。今日は五、六冊と彼にしては少ない方だったが、ひどい時は台車まで使っている。
「あぁー! すみません!」
遠くで彼の声が聞こえた。どうやら廊下で誰かとぶつかったらしい。抱えていた本がドサッと落ちた音がした。
五限目の授業がない私はコーヒーをすすりながら優雅に過ごしていた。スマホで音楽でも聞こうとイヤホンに手を伸ばした時、ふいに声を掛けられた。
「桐谷先生、これありがとうございました」
そう言われて目の前に差し出された本の表紙には「バロック音楽と絶対王政」というタイトルが書かれていた。
「お役に立ちました? 高橋先生」
「ええとても。さすが世界史の先生ですね。良い本でしたよ」
お役に立てて良かったですと、私は笑顔で答えた。少し周りを気にしながら彼は私の隣の席に座ると少し抑えた声でひそひそと喋り出した。
「何聴いてるの?」
キャスター付の椅子を動かし、膝がくっつく位まで近づいてくる。私もキョロキョロと周りを見ながら小声で「モーツァルト」と短く返す。
「えぇ?
彼が笑ってのけ反ると、年季の入った椅子の背もたれがギィっと鳴った。
「クラシックくらい私も聴くよぉ。大学受験の時、モーツァルトを聴くと記憶力が良くなるってCMがあってね、その時買ったCDを昨日見つけて懐かしくって」
少し照れ笑いを浮かべながら答えると、彼はぷっと口元にこぶしを当てながら大きな目を細めて笑った。
「じゃあ本のお礼にモーツァルトの曲なんか弾いてあげるよ」
「やったぁ、
思わず声をあげぱっと口に手を当てる。彼はしーっと人差し指を立て、にっこり微笑み立ち上がった。
「では桐谷先生、本の方ありがとうございました」
急に改まって深々とお辞儀をする彼に、私もすぐ立ち上がりお辞儀を返す。そしてまばらに職員室にいた先生達に軽く会釈をしながら彼は音楽室へと帰って行った。
いくつかの視線を感じながら私は椅子に腰かけるとイヤホンを耳に差し込んだ。プレイボタンを押しコーヒーを一口飲むと、さっきの彼の笑顔を思い浮かべ目を閉じた。
私が高橋修哉と出会ったのは二年前の新学期。
当時二十代最後の春を迎えた私は少しやさぐれていた。三十路手前で次々に届く結婚式の招待状。三十超えたら恥だと言わんばかりに同級生達は結婚していく。
「全く二十代最後だからってみんな駆け込みやがって」
未だに独身彼氏なし。周知の事実ではあるが教師の出会いは少ない。それでも同僚の教師達に恋愛感情など抱く事など今まで皆無だった。
私がこの学校に来た年の終わり、それまで我が校の音楽教師に長く鎮座していた女帝がめでたく定年退職。新たに赴任してきた音楽教師が修哉だった。
始業式で初めて彼を目にしたとき、私は一瞬で心を奪われた。
年末恒例の漢字一文字で表すなら「
「バニラじゃなくソーダ味よねきっと」と思わず呟いていた。
同じ学校とはいえ私は世界史の教師。音楽教師の彼とは接点などほとんどない。
音楽室も北校舎の端っこにあり、その隣の準備室で彼はほぼ一日を過ごす。
そして当然のように彼が顧問となった吹奏楽部は女子部員が一気に増えた。
「私も手を振ってキャーキャー叫びたいよ……」
まぁ職場恋愛は大変だもんなと、半ば自暴自棄になっていた。
しかし昨年、とある切っ掛けで高橋先生と接点を持つ機会が訪れた。
九月に行われる文化祭。各クラスで競い合う発表会の演目に、なにをとち狂ったか
私の担任するクラスはミュージカルをやると言い出した。合唱でも劇でもなくミュージカル。無謀な挑戦だと思いつつも多数決には勝てず私はしぶしぶ了承した。
演目はかの有名なラブストーリー。クラス公認カップルでもあるラグビー部期待の一年、
須田部はラグビー部で猛獣ナンバーエイトと呼ばれ、一方の恵真ちゃんは絵に描いた様な美少女。美少女と猛獣……
まったく安易な発想で決めやがったな。私は心の中で盛大に舌打ちをした。
そこからは私の予想通りの展開。一週間経っても中身は全く進まない。やれ衣装がどーだの、やれ台本があがらないだの、やれ音楽はどうするだの。最初っから負け戦に飛び込んでいるみたいなもんだろと思わず溜息が出た。
一向に進展しない我がクラスに不安を感じた私は恥を忍んで音楽教師の高橋先生に相談した。
「ミュージカルですか?」
随分思い切りましたね、と彼は爽やかに笑った。
「桐谷先生のアイデアですか?」
私はぶんぶんと顔を左右に激しく振り答えた。
「まさかっ! 私は反対したんです、絶対無理だって。でもみんなの熱意に押されてしまい……」
しゅんとした私に彼はにこやかに言った。
「でも生徒がやりたい事をやらせるのっていい事だと思いますよ。僕も吹奏楽部の演奏があるんでずっとは無理ですが、是非協力させてください」
「本当ですか! ありがとうございます!」
喜びのあまり彼の手を思わず握りしめた。一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに満点スマイルを私に向けると「一緒にがんばりましょう!」とぎゅっと私の手を握り返してくれた。
そこからは怒涛の毎日が訪れた。
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