レグゲート商会での暮らし

 その子どもは赤ん坊の頃にレグゲート商会が呪術師から買った幸運の子どもだ。

 その子どもはとても体が弱かった。軽い怪我をしても微熱が出ても死にかける、不思議な力を持った子ども。

 けれども幸せに大切に育てれば、その子どもは幸せをもたらす。

 だからレグゲート商会はその子どもを大切に、2メートル四方の豪華な部屋の内に閉じ込めた。外を見ることもなく、ただ1人の専属メイド、それから何人かの商会の者以外とは会うこともなく。

 そしてこの築地に来た時には外が見たいという要望に沿うよう、小さな空気穴を開けた1メートル半四方のガラスの箱に入れられて移動し、そのままレグゲート商会の屋敷で閉じ込められて暮らしていた。


「1メートル半の箱って、そりゃいくらなんでも酷ぇだろ」

「いいえ、それは必要な措置なのです。その子どもはとても体が弱かった。だから環境を清潔に保たなければならなかったのです。不潔な外を歩く者との接触などもっての外。だからその子どもには誰であっても直接触れることはなく、与えられるものも全て清潔に保たれた」

 医学部の奴らの言っていた、感染症というものか。

「なんだか居た堪れねぇな」

「山菱君はその子供が不幸だったと思われますか」

「そりゃあ」

 そこまで言って合わせた土御門の目はなんだか妙に澄んでいて、こちらを探るようだった。

 ひょっとしてそんな様子でも、不幸じゃ、ねえのか。俺には信じられねぇ。

 少し狼狽えていると、土御門は妙に子供じみた表情でにこりと笑う。そういえば、にやにやしてるのは別として、こいつが笑ったのは初めて見たかもしんねぇ。


「山菱君は面白いですねぇ。その子はちっとも不幸じゃなかったんですよ。私も一度だけお会いしたことがあります。幸せそうでした。ただ、その子どもは『幸福の子ども』という存在ではなかった」

「どういうことなんだ?」

「その子の特性は『幸福の子ども』ではありません。『鏡』なのです」

「鏡?」

「おそらく鏡であることを知るのは呪術師から購入したアレクサンドラさんだけでしょう。そしてみんなに『幸福の子ども』だから『幸福』に育てるように命じた」

「幸福の子どもだから?」

 土御門は頷き、まっすぐに俺の目を覗き込む。

「言葉とは魔法です。幸福の子どもとして育てられる。すなはちその子は幸福だと言われて育てられることになった。それはおそらく幸福なことで、実際にその子どもは何不自由なく暮らしていたはずだ」

「そんな、馬鹿な」

 そんな小さな箱に閉じ込められて、不自由がないはずがない。

「山菱君、最初から欠けているのであれば、人はそれを欠損とは感じないものです」

 欠損?

 生まれた時から箱で育てば箱で育つものと認識する、ものなのだろうか。他の人間は自由に動き回っているのに?

「その子は小さい頃はよく死にかけたそうです。レグゲート商会も最初から閉じ込めて育てたわけではありません。外に出ると苦しむから、この中のほうがいい。成長の過程でその子は自ら、そう認識しています。つまりその子の中ではその暮らしには不自由も不幸もない」

 自ら体が弱いと認識していれば、それも仕方がないと思えるの、だろうか。そんな、馬鹿な。

「じゃあ、幸せに暮らしたから幸せを返したってのか?」

「そうですね。その子は純粋に幸せであったからこそ、幸せを返したのです。けれどもその本質は鏡です。生きているころは自我というフィルターを通じて幸福を返していましたが、今は死んでしまいました。山菱君の話を前提とすると、現在は他人が与えた情報を、そのままの形で返しているようです。山菱君は気が付きませんでしたか? 山菱君が見たその何かの存在は、山菱君が思った通りの姿になっています」


 そんな馬鹿な。

 じゃああれは、俺が鬼だと思ったから鬼の姿で現れて、家鳴だと思ったから小鬼の姿になった、と、でも……。

 いやまて、そう考えると、そのような。

 けれどもじゃあ、最後の言葉はなんなんだ。俺が異人の子どもだと思ったから、そして非業の死を遂げたと聞いたから、『助けて』と聞こえたと、そう言うのか?

 それは俺の意思が反射しただけで、本当の意思は? いや、そもそも死んでんのか。

「何がなんだかわからねぇ」

「そう、わからないのです、他人なんてね。とくに私にはよくわからない。だからこれまで、最終的には私は私がしたいようにしてきた。山菱君はどうしたいですか。その子どもを」

「どうしたいってぇ、そもそもどうするつもりだったんだ?」

「レグゲート商会はその子どもを幸せの子どもとして育てました。そして幸せに育てられ、その子どもは幸せを反射してレグゲート商会を栄えさせました。ところが今は恐怖に満ちて死んだことでしょう、おそらくね。だからその身には不幸が詰まっている、はず。それならばレグゲート商会はその子の遺骸を他人を不幸にするための術具として用いるでしょう。ただ、やはり真実はわかりませんから、アレクサンドラさんには効果の保証は出来かねるとお答えしました」


 生きてる間は幸福、だったのか。

 死んだら不幸、になったのか。そしてその不幸はさらなる不幸をもたらすために用いられる、のかもしれない。不幸な用途で用いられることをその子は認識しているのだろうか。

 そんな馬鹿な、だぜ。

「そいつは他人を幸せにしたかったのか?」

「おそらくそうなんでしょうねぇ。みんなを幸せにする幸せの子と言われて育ち、自らもみんなを幸せにしていることに満足感を覚えていたようです」

「それじゃぁ他人を不幸にしたくはねぇんじゃねぇかな」

 土御門はきょとんと首をかしげた。

「なるほど。そうなのかもしれませんね」

「そうなのかもってお前よ」

「私には他人の気持ちなどわかりません。だから山菱君がしたいようになさってください」

「そんなら、他人を幸せにさせたいと思うやつなんだったら、他人を不幸にする道具には、させたくねぇな」

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