リスになってしまった婚約者が、毛嫌いしていたはずの私に助けを求めてきました。

深見アキ

1、嫌われもののアメリア

「きみみたいな女が婚約者だなんて最悪だ」


 溜息とともに吐き捨てられたセリフに、アメリア・パーシバルは「申し訳ありません」と静かに返事をした。


 しかし、謝ったところでますます彼を苛つかせるだけ。

 婚約者のセドリックは冷ややかに言い募る。


「申し訳ないなんて思っていないだろう! 大体、王家主催の夜会だというのになんだその格好は。エスコートする俺に恥をかかせたいのか!」

「…………そういうつもりでは……」


 アメリアの今夜の装いは地味すぎるねずみ色のドレス。

 出がけにがあり、このドレスで来ざるを得なかった。ダークブラウンの髪色も相まって、大人しい性格のアメリアはより一層暗く見える。


「まったく。なんて陰気な女だ。部屋にばかり引きこもっていないで、少しは流行でも勉強したらどうなんだ。俺と渋々婚約したつもりなのかもしれないが、こっちだってお前のような女と我慢して結婚してやるんだからな!」




 ――二つ年上のセドリックとは十三歳の時に婚約した。


 いわゆる家同士が決めた政略結婚――医者の家系であるセスティナ公爵家の長子であるセドリックは王宮医になることが約束されており、薬学に長けたパーシバル伯爵家の中でも取り分けて優秀だったアメリアを娶ることになったのだ。


 しかし、当のセドリックは不満たらたらで、地味で大人しい引きこもり女との結婚が嫌らしい。

 頭がよく、高身長で、金髪碧眼の美青年であるセドリックからしたら、相手には不自由しないはずなのになぜアメリアなんかと……という思いなのだろう。十六歳と十八歳になった今でも結婚話は進んでいない。


 はっきり言ってアメリアも乗り気ではないのだが、品種改良をしてより良い作物を作るかのごとく、「優秀なセスティナ家の跡取りを産むために」と望まれて決められてしまったのだ。


 そして不満なのはセドリックとアメリアだけではなく……。


「ごめんなさぁい、セドリック様。姉は研究にしか興味がない変わり者なんです」

「ええ。姉に変わってお詫びいたします。我が家パーシバル家は学術の家系ですから、流行り事には疎くって」


 妹のリンジーと弟のキースがやってくる。

 二人とも華やかなプラチナピンクの髪にぱっちりした瞳の美少女、美少年だ。


 庇われるように間に入られたが、二人はすかさずアメリアのドレスに何かを押しつけた。


「やだー、お姉さまったら! ドレスが汚れているわ!」

「えっ……」

「くすくす、お姉さまったら本当に注意力散漫だね。そんなにぼんやりしていて、セドリック様の奥さんになれるんだろうか。心配ですね」


 腰のあたりについていたのは軽食として出されていたカナッペだった。

 アメリアが動いたはずみでクラッカー部分は床に落ち、ねずみ色のドレスにはべったりとクリームチーズが付着している。


「はあ……。なんてみっともないんだ」


 セドリックは軽蔑するような目でアメリアを見た。しっしと追い払うように手を振られる。


「アメリア、もういいから下がれ。体調不良で帰ったと俺から皆に伝えておくから」

「セドリック様。姉の代わりと言ってはなんですが、セスティナ公爵にご挨拶させていただいても構いませんか?」

「あら。キースったらずるいわ。セドリック様、私も連れて行ってくださいませ」


 夜会の人波に紛れていく三人を見送ったアメリアは言われるがまま帰ることにした。


 汚れたドレスのままですごすごと王宮を後にし、馬車でパーシバル伯爵家へ……。


「……リンジーがセドリックと結婚したらいいのになあ……」

 

 そうしたらすべて丸く収まるのに。

 リンジーはあからさまにセドリックに気があるし、セドリックも地味なアメリアよりも可愛いリンジーのほうが嬉しいだろう。


 だが残念なことにセスティナ公爵は「アメリアを」とご指名だ。アメリアが十三歳の時に書いた論文をいたくお気に召しているらしい。渋る父を説き伏せ、アメリアとセドリックの婚約を結んでしまった。



 ――皮肉なことだ。「家族じゃない」アメリアにパーシバル家の血が色濃く表れるなんて。



 パーシバル家は父・母・アメリア・リンジー・キースの五人家族だが、アメリアだけは母が違う。父が浮気してできた娘がアメリアで、アメリアの母が死んでしまったためにこの家に引き取られることになった。


 当然、継母も異母妹弟もアメリアを異分子扱いし、父までもが後ろ暗い自分の過去を見るのが嫌なようでアメリアを煙たがった。頭だけは良く、パーシバル家の評判に貢献できるからという理由で家においてもらえているのがアメリアの現状なのだが……。


 馬車を降りたアメリアは、本邸ではなく、庭の隅にある離れへと向かった。


 一見すると物置のようなそこは、アメリアがこの家に引き取られてすぐに建てられた「アメリアの部屋」だ。ドアを開けると、薬草の独特な匂いが漂う。


「ふう。この部屋にいるのが一番落ち着くわ」


 ランプに明かりを入れたアメリアは汚れたドレスを脱ぐと白衣に袖を通した。

 机の上には乳鉢や試験管などの調薬に使っているものが並べられており、その横にはお湯を沸かすための釜、壁には本棚。ベッドとも呼べない寝床はかなり狭く、ベンチを二つ並べたくらいのスペースで縮こまるようにして眠っている。

 紫外線から本や薬品を守るために分厚いカーテンはほとんど閉めっぱなしだ。


「早く帰ってこられたんだし、論文の仕上げでも……。ううん、せっかくだから本でも読もうかしら。確か、セドリックのお父様が送ってくださった研究書がこの辺りにあったはず……」


 いくら家族や婚約者がアメリアを嫌っていたって、彼らはアメリアから勉強を取り上げることはできない。良い研究成果を出せば、パーシバル家やセスティナ家にとって利になるからだ。


 ……この部屋とアメリアの頭の中だけは誰にも侵すことのできない場所。


 温かいハーブティーを淹れてから机に向かう。アメリアは書物の世界に没頭した。



 ◇



 事件が起こったのは真夜中近くになってのことだった。

 カタカタカタカタと小さな音が聞こえて顔を上げる。どうやら窓が揺さぶられているようだった。

 風もないのになんだろうとカーテンをめくってランプの明かりを近づける。


「まあ……」


 そこには可愛らしい野リスがいた。

 なにやら必死の形相で窓をあけるように訴えている。その様子がかわいそうで、アメリアは思わず窓を開けてしまった。


「どうしたの、リスさん。犬にでも追われていたのかしら?」


 野生のリスなんて珍しい。

 飛び込んできたリスはキューキューとアメリアに向かって鳴いた。しきりに手を動かし、何かしらのジェスチャーをしているがさっぱりわからない。


「お腹がすいているの? ええと……確かどこかにひまわりの種があったような気がするのだけれど……」

「キューッ!」

「違う? お水……? あ、寝床を探していたの?」

「キューッ! キューッ!」


 リスは焦れたようにアメリアの机に飛び乗ると、並べてあった本の背表紙を指差しはじめた。


 小さな手でCの文字をばしばしと叩く。


「C、E、D、R、I、C? セドリック?」


 そして、M、Eを差した後に自分を指差す。まるで自分がセドリックだと言わんばかりの身振り手振りだ。


「セドリック様? えっ、セドリック様なんですか?」


 キューキューと鳴いて何度も頷いた。そんな馬鹿な。


 俄かには信じがたいが……、試してみたいことがあったアメリアは薬品棚から試薬を取った。匙にほんの一滴だけ垂らす。


「これは古代魔術を参考に、サンザシの実と葉、月桂草、竜骨の粉末を混ぜたものです。医学的効能はほぼないのですが、魔女が生きていたとされるころは解毒作用があると言われていたみたいで……。もしも本当にあなたがセドリック様だというのなら、なんらかの効果があるかも……」


 アメリアが喋っている最中だというのにリスはためらいもなく薬を舐めた。

 そして、もだもだと転がりだす。


「ああっ、リスさん! 勝手に飲んではダメですよ、動物には希釈しないと……」

「げほっ、げほっ! こんなおかしな薬を研究しているとは、信じられない女だなまったく……はっ! こ、声が出せる!」


 なんとリスはセドリックの声で喋り出したのだった。


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