第2話 違和感の恐怖(ジェット視点)
リリアナ・リベラトは、パッとしない女だった。
わずかに赤色を帯びた黄色の髪は金髪に比べたら見劣りするし、くすんだ茶色の瞳などまるでレンガようだ。顔立ちは悪くはないがどうにも地味で冴えない娘。それが初めて顔を合わせた時の印象だった。
こんな男爵家の娘と婚約するなんて嫌だったが、子爵家を立て直すためには資金が必要だ。男爵家のくせに金だけは持っているなんて下品な成金に決まっている。親に決められた政略結婚をするしかないなんて、俺はこの世で1番不幸な男だと思った。
しかしいいこともあった。リリアナは気弱な性格のようで俺に逆うことがない。ちょっと優しくしてやればなんでも言う事を聞いた。デートと言う名の支援金の相談をするだけのお茶会で大喜びし、適当に相手をして、使用人に命じて書かせたカード1枚で簡単に金を出させる事ができた。
だがそれもだんだん面倒になり、それっぽい理由をつけてデートの回数を減らしても文句どころか「お勉強頑張って下さい」と励まされる始末だ。たしかに父上からはもっと勉強しろと言われているので勉強はしているが、なぜかこの女に言われるとやたらとムカつく。おかげでやる気がなくなるのでさらに顔を合わさなくなった。
ちょうどその頃、俺は運命の出会いをした。ミレーユは美しい金色の髪に青い瞳をした極上の美人で俺はすぐに愛を囁くようになり、ミレーユも俺の事を気に入ってくれた。しかしミレーユは王太子の婚約者だ。そして俺にもあんなのだが婚約者がいる。こんなに愛し合っているというのに、大きな障害がふたりを引き裂こうとするなんて……。俺とミレーユは誰にもバレないように逢瀬を重ね愛を育んだのだ。
ミレーユは美しい。だが公爵令嬢なだけあって金がかかる。贈り物も食事の内容も一級品でなければ満足しない。ミレーユはすぐにでもリリアナと婚約破棄してくれと言うが、リリアナから金を引き出さねばミレーユへの贈り物のランクが下がってしまうのだ。それに子爵家への援助金のこともある。ミレーユにそれとなく援助金の話をしたが「なぜわたくしがお金を都合しなければいけませんの?」ときょとんとされてしまった。ミレーユにとったら子爵家か潰れようが関係ないということだろう。だからなおさら、今の時点でリリアナを手放すわけにはいかない。親には逆らえないと言い訳をして誤魔化す毎日だ。だいたい、ミレーユだって王太子の婚約者じゃないか。俺とリリアナよりもさらに婚約破棄が難しいはずである。しかしミレーユは「大丈夫、時間が解決してくれますわ」と言うばかりだ。ミレーユと会うたびに「駆け落ちしたい」「一緒に平民になれれば」などとミレーユが喜ぶようにリップサービスするものの、もしミレーユが王太子と穏便に婚約解消して、俺を公爵家の婿養子にしてくれたら……。と、俺の野心はずっと燃え上がっていた。
「……返事がこないな」
ここ数日、リリアナは学園を休んでいた。いつもなら特に興味も無いのだが、そろそろ支援金と言う名の小遣いが欲しくなったので久々にお茶に誘ったところ、男爵家からリリアナが体調不良なのでしばらく会えないと連絡が来たのだ。わざわざ知らせが来てはさすがに無視するわけにはいかない。俺はいつもの使用人に金を握らせてカードを書かせた。そういえば、ミレーユが今夜は流星群があるはずだから一緒に見ようと誘ってきていたな。美しいミレーユと珍しい流星群を一緒に見るなんてなんともロマンティックだ。そうだ、どうせならこの流星群の事も付け加えよう。忙しくて会えないが本当は一緒に見たかった。とかなんとか書いておけば泣いて喜ぶだろうよ。いつもの言葉も添えて……よし、完璧だ。きっといつものようにすぐに返事がくるぞ。あいつは俺にぞっこんだからな。これでまた大金を絞り取ることが出来る……そう思っていたのに。
三日経っても、リリアナからの返事はこなかった。
いつもなら、感激して半日も経たない間に長文の返事がくる。それは風邪で倒れ高熱があったとしても必ずよこしてきていたのだ。だが、今回は丸三日経ってもなんの反応もなかった。この二日間は学園が休日だからそれこそ山程の贈り物を添えで送ってくるだろうと期待していたのに。
「せっかく俺がカードを送ってやったのに……」
ギリッと歯を噛み締める。リリアナのくせに俺のことを無視するなど、なんて生意気なんだ。こうなったら、学園に出てきても徹底的に無視してやる。反省して泣いて縋ってくるまで絶対にだ!
俺はモヤモヤとした気持ちを抱えたまま学園へと向かったのだった。
「え」
結論から言えば、リリアナは学園に来ていた。
だが、なにかが違う。いつもなら下を俯いてオドオドしながら端っこの方を歩いているのに、今日のリリアナは真っ直ぐ前を向き胸を張って歩いていたのだ。
「……リリアナなのか?」
あの地味な黄色の髪は艶が出ていて、太陽の光を反射してキラリと輝いている。いつも顔を隠していた前髪を短くしたのか大きな瞳がパッチリと見えていて、くすんだ茶色だと思っていた瞳の色も可愛らしく見えた。
周りに挨拶を交わし、にこりと微笑みを浮かべるその姿はまるで太陽の下で輝く向日葵のようだった。
「あんなにかわいい令嬢いたっけ?」
「男爵令嬢らしいぞ。清楚で純真無垢な感じが新鮮でいいな」
「公爵令嬢も美人だけど、俺は可愛らしい系の方が好みなんだよなー」
「あんなに可愛いならもう婚約者がいるんだろうな。羨ましい」
周りの令息たちがチラチラとリリアナに視線を向けて好意的な言葉を口にしている。さっきまでリリアナの態度にムカついていたが、リリアナの婚約者が自分だと分かれば今なら羨望の眼差しで見られるだろうことに頬が緩む。それに、リリアナが俺の言いなりとわかればどれほど羨ましがられだろうか。俺の男の株も上がるだろう。
ふっ、仕方がない。本当なら無視して素通りしてやるところだが、ここはオレから声をかけてやるか。
「おい、リリアナ!」
「……」
リリアナに近づきその手を掴む。最近は全く触れていなかったが、久々に握ったリリアナの手は滑らかで柔らかく、なんだかいい匂いがした。ほのかな花の香りだ。もしや香油か?そんな高価な物を使うなんて何を考えているんだ。今迄リリアナは自分の美容には金をかけなかった。そんな金があるなら俺に回すべきなので禁じてやったのだ。これまでリリアナは馬鹿みたいに忠実に俺の指示に従っていたのに、体調不良で頭がおかしくなったのか?
「おい!返事をしろ、リリアナ!」
黙ったまま俺を見つめるリリアナにイライラしながら声を荒らげた。リリアナはこうやって高圧的な態度を見せればすぐに謝ってくるはすだ。
するとリリアナは、にっこりと花が綻ぶような笑顔を俺に向けた。
「……っ」
俺としたことが一瞬だがその笑顔に見惚れてしまい、思わず握っていた手が緩む。するとリリアナは両手を広げて俺に抱きついてきた。そして、その唇を俺の耳元に近付けてきたかと思うと俺にしか聞こえない囁きをしたのだ。
「やっと会えたな、ゲス野郎」
?!
「なぁ……?!」「きゃあっ!」
驚きとよくわからない悪寒を感じた俺は思わずリリアナを突き飛ばした。するとリリアナは今度はわかりやすく悲鳴をあげ、その場に弱々しげに倒れた。
「も、申し訳ございません。久々に婚約者様にお会い出来たので嬉しくてつい……!お願いします、許して下さい……」
リリアナが大きな瞳からポロポロと涙を零す。その姿はさっきまでの向日葵のような堂々とした姿とはまた違い、庇護欲をそそる儚げな妖精のようにも見えた。
「リ、リリアナ……」
リリアナは確かに泣いて謝っている。それは最初の思惑通りだ。だが、何かが違う。さっきの言葉はなんだ?
俺は困惑して、泣き続けるリリアナを見下ろしていた。すると、いつの間にか周りには人集りが出来ていて、ヒソヒソと声が聞こえてきたのだ。
「おい、あいつがあの娘の婚約者なのか?」
「今、見たか?あんなに可愛い笑顔で抱きついてきた婚約者を突き飛ばして泣かせた上にずっと睨んてるぞ。しかもあんなに怯えて……まさか普段から暴力を?」
「なんだあいつ、最低だな。あの娘もあんなのが婚約者だなんて可哀想に……」
「淑女に対する紳士の態度ではありませんわね」
「自分の婚約者も大切に出来ない殿方なんて、何の魅力もございませんわ」
「いくらあの娘が男爵令嬢だからって、人前でこんな辱めをするなんて……さすがにあの娘に同情してしまいますわね」
騒ぎを聞きつけたのか、令息たちだけでなく上位貴族の令嬢たちまでもが集まりヒソヒソと俺に冷たい視線を向けていたのだ。そしてその中にはーーーー。
「そう思いませんこと?ミレーユ様」
数人の令嬢たちが後ろに声をかける。そこには、眉を顰めるミレーユの姿があった。
「……えぇ、本当に」
嫌悪に満ちた青い瞳が、俺を蔑むように見ていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます