第23話 変わりたいと思うこと

side北条粋



 聖夜くんが職員室に鍵を返しに行く間、武蔵くんと揃って外の柱に寄りかかりました。武蔵くんは自分のリュックを背負っていますが、聖夜くんのリュックも手に持っています。



「聖夜くん、リュックを持ってないことにそろそろ気が付きましたかね」


「いや、まだだろ」



 日も落ちてお互いの顔は昇降口の中から漏れてくるわずかな明かりでしか確認できませんが、声色から不満げな様子が伝わってきます。



「どうしましたか? リュックを持つのが不満なら変わりましょうか?」



 手を差し出すと、はぁっとため息を吐かれました。訳も分からないまま狼狽えていると、差し出した手を引かれてその腕の中に抱き込まれてしまいました。



「ちょ、僕は聖夜くんじゃな……」


「んなもん知ってる」



 俺の言葉を遮った武蔵くんは腕に込めた力を強くしました。何も言ってはくれないけれどその腕の力強さは、さっきからざわついて落ち着かなかった心が凪いできました。


 バンッと下駄箱を少し勢いをつけて閉める音が聞こえて、武蔵くんはゆっくり身体を離しました。



「あとで電話するから」



 耳元でそう囁かれて見上げると、武蔵くんのブレることのない意志の固い視線が僕の揺れる視線を絡めとりました。微かに白い明りが差し込む色素の薄い瞳は鋭くて逃れることは許してくれそうにありません。


 武蔵くんはパッと見た感じの顔の厳つさも怖がられる原因の1つだとは思いますが、きっとその事実を見透かすような鋭い眼差しを恐れる人もいると思います。聖夜くんはただ綺麗としか思っていないみたいですが。



「おまたせしました! 帰りましょう!」



 柱の裏からひょこりと顔を覗かせた聖夜くんは僕たちの前に躍り出てきました。僕と武蔵くんを見比べて不思議そうな顔をしましたが、ニコッと花が咲くような笑顔を見せてくれました。両手で僕たちの手をそれぞれ掴んで歩き出す足取りは精神的にも、そしてきっと物理的にも軽そうです。


 まだリュックを背負ってないことには気が付かないんですね。これにはあきれますが、たまの大きすぎるドジも可愛く思えるから恋は不思議です。中学時代はこういう人を毛嫌いしていたはずなのですが。


 3人で並んで歩きながら、国語の教材の『山月記』について話している物好きな2人を相槌を打ちつつ眺めます。楽しそうな2人を見ることに飽きることはありませんが、こんなときまで勉強のことに頭を使う趣味はありません。それを聖夜くんたちも知っていますから、考え事をしながら気持ち半分に聞いていても特に問題はありません。


 聖夜くんの純粋さは誰かに裏切られたくらいでは揺るがないくらい、根深く深い愛で包まれているおかげなのではないかと推測しています。聖夜くんの話を聞く限り両親とも関係は良好、3人のお姉さんにはかなり溺愛されている印象です。


 僕の心は大人になって固まる前の今までのうちに踏み荒らされて足跡だらけです。家族との関わりも幼いころから薄かった上に友人関係も高校入学までどうしようもない状態だったわけだから、表面上は笑っていても内心穿った見方をしているなんてこともよくあります。


 誰に何を言われても今更直しようがないこのコンクリートのような心をどうすれば良いのでしょうか。それはまだ僕には分かりません。


 高校進学のとき、この学校に行くと決めたころから変わりたいとは思っていました。そのときにそう簡単に変わることはできないことを悟りましたが、素直でまっすぐな聖夜くんと武蔵くんとの未来を考えたいと一瞬でも思ってしまった今は、彼らに相応しい自分になりたいと強く思うようになりました。


 そんなことを考えてまた少し気分が落ち込んできたころ、武蔵くんと別れる曲がり角に着いてしまいました。自分が勝手に考え事をしていたくせに、時間を無駄にした気になります。



「じゃあ、俺はここで」


「うん、また明日ね!」



 週末でもない限りは比較的あっさり手を振って別れる僕たちは挨拶をしたらすぐに背中を向けてしまいます。ですが今日は武蔵くんが歩き始めないから聖夜くんは首を傾げました。



「どうしたの?」



 聖夜くんが心配そうに眉を下げるから、武蔵くんはより分かりやすくなるように手に持っていたリュックを前に抱えます。それでも気が付かない聖夜くんに、武蔵くんは目を細めて笑いました。



「俺、本当に帰っていいの?」


「え、どういうこと?」


「マジか」



 ついに吹き出した武蔵くんをまだ不思議そうに見つめている聖夜くんの背中にチョンと触れてみると、ピョンと飛び跳ねた聖夜くんが振り向きました。その手はつつかれたところに触れているのに、まだ気が付かないようです。



「……リュック、いいの?」



 武蔵くんがとうとう伝えると、聖夜くんは目を見開いて愕然とした様子で首を横に振りました。



「全然気が付かなかった」


「ですよね」


「そんなことだろうと思ってたから気にすんな」


「ごめんね! ありがとう!」



 申し訳ないのか拝んでいるのか分からない手の合わせ方をしている聖夜くんが手を伸ばすと、武蔵くんはその腕に肩紐を通して背負わせてあげました。



「福利厚生が手厚い」


「なんだそれ。じゃあな」



 くしゃりと笑った武蔵くんは、聖夜くんの頭をくしゃりと撫でてそのまま帰って行きました。



「スマート」


「ふふっ、聖夜くん、目がハートですよ」


「ならざるを得ないですよ」



 感嘆の声を漏らした聖夜くんの髪を整えるように撫で付けます。顔をほんのり赤らめるその官能的な表情を心のファインダーに収めてから肩に手を置きます。



「さあ、帰りましょうか」


「はい。あ、そうだ。聖夜祭の準備って、前に話していたやつで良いんですよね?」



 聖夜くんは少し声を潜めて周りに同じ学校の生徒がいないかキョロキョロと確認してくれます。具体的な内容も口にしない辺り真面目な聖夜くんらしくて愛らしいです。


 今は部活をしていた生徒たちが周りに溢れているから、サプライズの話には向かない状況です。僕も言葉を選んで文章を組み立ててから口を開きました。



「そうですね。少し作業も多くて細かいですし、人数も合わせて8人しかいませんからかなり大変にはなると思います。決して無理はしないでくださいね?」


「はい」



 僕と2人になると聖夜くんは勉強の話をしなくなります。僕との共通の話題ばかり振ってくれるから話しやすいですし、僕も話題に悩むことがないから楽しく会話ができます。ですが話題を探す役割を全部聖夜くんに任せていたら、いつか僕と話すことが面倒くさくなってしまうんじゃないかと心配もしています。


 ダメですね、マイナス思考に陥る前にもやもやは取り除いておくべきです。ただでさえ武蔵くんに心配をかけさせてしまっているのに、聖夜くんにまで心配かけたくはありません。



「いつもありがとうございます」


「え、何がですか?」



 キョトンとしている聖夜くんのクリクリした焦げ茶色の瞳に映る僕は頼りなく見えます。自信なさ気なふやけた顔。生徒会メンバーや全校生徒の前でこんな顔を晒したら不味いことはさすがに分かります。



「聖夜くんは僕と武蔵くんの前で話題を選んでくれているでしょう? それが変に気張ることなく話せることばかりだから、余計に話すことが楽しくなるんですよ。だから、ありがとうございます」



 聖夜くんは僕の言葉に歩きながら後頭部を掻きます。袖が少しめくれて覗いた僕より細い手首。いつもならそこに視線が行ってしまう煩悩の塊なくせに、こういうときは気が付いても夢中になる余裕もありません。



「すみません、それは全然意識したことがないです。ただボクが2人と話したいと思っていることを話しているだけで選んでるつもりはないですし、ずっと楽しいです。ボクこそ粋先輩と鬼頭くんが嫌な顔1つしないで返事をしてくれたり、楽しそうに話してくれると自分も楽しくなるので、お互い様です」



 駅の目の前、信号待ちで立ち止まると聖夜くんは振り向いてふわっと笑いました。街の明かりや街頭、通り過ぎていく車のランプに照らされたその笑顔は僕にとって守りたい、どうしても手放したくないものだと改めて思い知らされます。



「そうですか、それなら良かったです」



 軽快なメロディーとともに青に変わった信号。僕たちも流れに乗って歩き出すと、周りを歩く学生の元気な声やサラリーマンたちの飲み屋に入る声、塾から出てきた子が親を呼ぶ声。一気に騒々しくなる音を吸い込みながら、笑顔で隣を歩く聖夜くんを眺めました。



「心配かけたくない気持ちは分かりますけど、僕は粋先輩に頼られるの好きですよ」


「え?」



 エスカレーターで改札のある2階に上がる途中、僕の方が前にいる分僕の方が背が高い珍しい状況。そんなときに上目遣いに言われて目を見開きました。


 エスカレーターを上がりきって並んで改札を通っても、言われた意味が分かりません。すぐに頼ってしまうのは格好悪いかと思っていましたが、そうでもないのかもしれません。



「僕だって、粋先輩のこと大好きですからね」



 耳元で囁かれたかと思ったら、パッと離れた聖夜くんは上りのホームに向かう階段の方に走って行きました。



「じゃあ粋先輩、また明日!」


「あの、聖夜くん!」



 走り去っていったその耳の赤さに背中を押された気がしました。僕も下りのホームに向かう階段を下りていくと、向こうのホームに聖夜くんの後ろ姿が見えて頬が緩みます。



「また明日」



 その背中に向けて呟いただけの言葉はきっと届かないですが、それでも伝えたいと思いました。


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