第21話 笑顔と境界線
side鬼頭武蔵
レオ先輩はスマホにPINEが届くと顔を綻ばせて颯爽と帰って行った。
「レオは生粋の可愛い物好きなんですよ。だから聖夜くんも気を付けてくださいね」
会長がレオ先輩がいなくなってすぐに真剣な顔で聖夜の両肩を掴んだ。何が可笑しかったのか、聖夜はクスクスと笑い始めた。
「うーん、結構本気なんですけど」
困ったように人差し指で頭を掻いている会長に聖夜は首を傾げたけど、すぐにケロッとした顔で自信あり気に胸を張った。
「大丈夫ですよ、ボクを可愛いと思う人なんてそうそういませんから」
「いやいや、そんなわけないですよ。現に2人の男に可愛いと思われて好かれちゃっていますからね?」
「それは、うん、そうですねぇ」
痛いところを突かれた、とでも言いたげに頬を掻いた聖夜は俺と会長を交互に見ると、ふふっと目を細めて笑った。
「前は分からないですけど、今のボクが可愛いと思って欲しいのは粋先輩と鬼頭くんだけですから、きっと大丈夫です!」
フンス、とガッツポーズまでして安心させようとしているみたいだけど、それはとっても無理がある。
もうすでに、今の仕草がめちゃくちゃ可愛い。
今口を開くと可愛いしか言葉が出てこない気がして、スッと視線を横に流して窓の方を見た。
「さっきから思ってたんだけど、曇りガラスの向こうに何が見えるの?」
曇りガラス、というワードで自分に向かって話していることが分かって聖夜に向き直ると、そのくりくりした瞳がまっすぐに俺を見つめている。そこにはからかいや嘲りは感じられなくて、単純に不思議そうだ。
「可愛い」
「え? いや、もう!」
「ふっ」
窓の外を見ていたわけじゃない。そう言おうと思って口を開いたし、そう言ったつもりだった。だけど耳に聞こえた言葉は思っていたものとは違かった。見えた景色も想像とはかけ離れたもので、聖夜は顔を赤くして頬を膨らませているし、会長は堪えきれなかったようで口元を片手で抑えて噴き出していた。
「いや、すみません。自分でもびっくりしています」
徐々に顔に熱が集まってきたからまた窓の方を向いてしまって、勝手に焦って俯いた。聖夜は俺たちに可愛いと思って欲しいと言っていたけど、俺だって聖夜にはかっこいいと思って欲しいし、会長のことも態度には出さないけど尊敬してるから幻滅されるようなことはしたくないと思っている。
マイナススタートという負い目があることは自覚している。でもだからこそ、頑張りたいと思っていたんだけどな。
「鬼頭くん?」
聖夜の可愛らしさとはギャップのある低さと、よく似合っている柔らかさと甘さが含まれた声に呼ばれて顔を上げると、聖夜は心配そうに眉を下げていた。でも視線がぶつかった瞬間にパッと微笑んでくれて、その顔には既視感があった。
それは俺たちが出会ったあの日に見た聖母のような微笑みだった。勝手に涙腺が緩みかけたけど、グッと目を閉じて堪えた。
もう1度目を開けたときにも聖夜は同じ微笑みを浮かべていた。その顔を見ていると今度は少しずつ気持ちが落ち着いてきた。本当に、不思議な人だ。
「それで、何が見えるの?」
「まだ聞く?」
会長がもう声を出して笑っているのはとりあえず無視して聖夜と向き合う。そのキラキラした目を見ながらなんと言えば良いのか考えていると、何も見えないのとは何か違うかな、なんて思ってしまった。
「えっと、自分?」
「そうなの!?」
心底驚いた様子で窓をじっと見始めた聖夜の隣りの椅子に腰かけた会長はクスクス笑いながらその姿を愛おしそうに見つめていた。
決して自分の中での正解が出たわけではない。まだ途中解でしかない。だけど、それでも今の俺にとっては精一杯な解答だ。
「ところで、今日は勉強はしていなかったみたいですけど、何をしていたんですか?」
そういえば、と言った会長は聖夜の机に置きっぱなしにしていた雑誌を手に取った。
「ん? これは、金沢の『ぶぶる』ですか?」
「あ、はい。粋先輩たちって再来週の修学旅行の行先金沢ですよね? どんなところか気になって」
粋先輩の手元を覗き込みながらほわほわと笑っている聖夜。本人は無意識にあの距離に入り込んだんだろうけど、俺はあの会長が一瞬だけ、微かに身じろいだのを見た。
「あ、俺はお土産何買ってもらおうかと思って」
「え、ああはい、武蔵くんはそうだと思いましたよ」
慌てたように俺の方に意識を向けた会長は、聖夜の目が向いていないことを確認してから俺に向けて親指以外の4本の指を立てた手を振った。そして口が『ありがと』と動かされた。意識を逸らさなかったら何をする気だったんだ。まあ、分からないこともないけど。
「粋先輩と1週間も会えないんですよね」
視線を雑誌に向けたまま、ぽつりと呟かれた声に粋先輩は緩く眉を下げて聖夜の丸い頭を宥めるように撫でた。会長がいる方とは逆側、壁際の陰になる方の手が目元を拭ったのが見えて、胸の苦しさを感じた。
聖夜が泣いているからだけじゃない、もう1つの気持ちには今は眠っていてもらおう。いつもは2人といるとすぐに口に出てしまうけど、今だけは、グッと堪えたい。今この気持ちを口にしたら何かが消えてしまいそうな、そんな予感というか、直感。俺はこれを無視できない。
「僕と会えないのは寂しいですか?」
「そりゃあ、もちろん。でも、鬼頭くんがいてくれるから不安ではないですよ」
小さく顔を上げて上目遣いに俺の目をまっすぐ見据えながら紡がれた言葉には、1ミリの迷いもない。手を強く握りしめて何とか堪えた気持ちがふわっと軽くなって、はらはらと消えていった。
こんなことは初めてで不思議な気分だ。気持ちを抑えること自体はよくあるどころか、聖夜と会長と一緒にいるとき以外はずっと気を付けている。ただでさえ悪い評判を自分のせいで悪化させることは避けたいし、家では中1の妹と小5の弟の手前感情的になりすぎてもいけないし。
「そうですか。なんだかか悔しい気もしますけど、聖夜くんが不安にならないならそれで良いですかね」
ふふっと笑った会長はポケットからスマホを取り出した。それを軽くちょいちょいと操作しながら会長は下唇を人差し指の第2関節でトントンと叩く。
「んー」
会長が漏らした声にパッと顔を上げながら会長の方を見た聖夜は、今更ながらに顔を赤くすると思い切り身体を引いて壁にゴンッとぶつかった。
「いったぁ」
聖夜はぶつけた後頭部を抑えながら身体を丸めた。
「大丈夫か?」
「え、えぇ?」
現場が見えていなかったらしい会長は何があったか分かっていない様子で聖夜を見ていたけど、俺が肩を叩くと振り返った。人差し指で壁を指さすと納得したように何度か頷く。愛おしさの詰まった眼差しが聖夜に向けられて、その口元は小さくほほえんでいる。
聖夜が頭を上げると会長の顔からはその色は消えて、心配そうに思い切り眉が下げられていた。自分の見たものが幻想だったんじゃないかと思うほどの変わり身の早さ。器用な人だ。
「窓じゃなくて良かった」
その声に聖夜の方に視線を移すと、聖夜は頭を抑えながらもほっと目尻を下げて窓を眺めていた。
「何で?」
普通に気になって聞くと、聖夜は眉を顰めてムンっと口を窄めた。
「壁は割る自信ないけど、窓は割れそうで怖いでしょ」
「割ったことがあるんですか?」
「ないですけど、長女と長女の旦那さんがぶん殴って割ったところを見たことはあります」
「……ワイルドですね」
「バイオレンスすぎるだろ」
想像を超える話に絶句している間に発せられた会長の言葉に影響されて、また勝手に口が動いた。
ヤバい、と思って口を抑えた瞬間、聖夜くんのムンっと窄められていた口が緩んだ。ふんーっと少し長い鼻息が漏れたと思ったら肩が震え始めて、声を出して笑い始めた。
足をじたばたさせながら笑っていた聖夜は、ぽかんとしている俺たちに気が付くと何度か深呼吸を繰り返して笑いを堪えると目に浮かんでいた目元を拭った。
「いや、たった一言なのに2人の個性が出ているのが楽しくて。やっぱり、2人といるの大好きです」
そう言って笑った聖夜の大人びた艶やかな、それでいて桃色から赤色に移り変わっていく頬の色が彼の純粋さを表しているようだ。なんて、かっこつけすぎだな。
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