第2部 第6章 決着

第73話 復活と反撃開始

 目覚めたセシルがまず感じたのは、押し潰されるような圧迫感だった。

 心理的なものでは無く物理的なものである。


 セシルは謎のブヨブヨしたピンク色の袋の中に閉じ込められていた。

 身体のラインに沿ってぴっちりと締め付けられていて殆ど身動きが取れない。

 しかも何故か知らないが、じわじわと力が抜ける感覚がある。


「くそっ! 何だよここ、どうなってるんだ。ここから出せ!」


 寝ぼけ眼のセシルは訳が分からず、必死に身をよじりながら喚いた。

 するとすぐ近くから音がした。


「ム゛ー」


 響くような音だったので分かり辛かったが、どうも音ではなく鳴き声のようだった。

 そしてセシルはその鳴き声に聞き覚えがあった。


「ひょっとして謎肉か? お前も近くにいるのか? なんか声変だけど大丈夫か?」

「ム゛ー……」


 再び間近から返事が聞こえたかと思うと、急に足元が明るくなった。

 同時に圧迫感が無くなり袋の中が広くなる。

 振り返って見てみれば、足側に大きな穴が開いていた。


「本当に何なんだ、ここ……」


 セシルは起き上がり謎肉を探そうとしたが、その時になってようやく袋の中に自分以外の誰かがいたことに気が付いた。

 そしてそのもう一人を見た途端、思わず身体を硬直させた。


 セシルの傍に倒れていたのはオルレアだった。

 しかも人形ではなく修道服の少女の姿。

 元のオルレアに戻っている。


「なんで……?」


 セシルは自分の身体が人形に戻っていることにも気が付いた。

 一気に眠気が飛び、自分たちに何が起きたかを思い出す。


 自分たちは『ケテル』に襲われて地獄の穴に落ちたのだ。

 それから一体何があったのだろう。

 何故こんなタイミングで『魂の交換』が発動しているのか。


「まさか、あの夢か……?」


 セシルの脳裏に不思議な夢の事が思い起こされた。

 夢というには奇妙なほど鮮明に記憶に残っている夢だった。


 セシルは真っ白な空間にいて、何故かもう一人のセシルと対面していた。

 そしてもう一人のセシルは姉からの伝言をこちらに伝えたあと、目覚めの時間だと言ってセシルを真っ暗な空間へ突き落したのだ。


 セシルはオルレアを見た。

 微かに息はあるようだったが、オルレアは顔面蒼白でぐったりしている。


 無事でよかった、とオルレアはセシルに伝言を残した。

 夢の中のもう一人のセシルはそう言っていた。


 ひょっとして――オルレアはセシルの正体に気付いていたのだろうか。

 あのもう一人のセシルが何者かはわからないが、オルレアはこうなるとわかっていて『魂の交換』でセシルと入れ替わったのだろうか。


「ティッタ姉ちゃん……」


 セシルは震える声で名前を呼びながらオルレアの身体を揺すった。

 だがオルレアに反応は無い。

 うわ言のように姉の名を呼び続けながら、セシルは尚もオルレアの肩を揺らした。


 完全に気が動転していた。

 出来ることならもう一度入れ替わりたかったが、やり方がわからない。

 散々迷惑を掛けたというのに、このままでは自分のせいで姉が死んでしまう。

 セシルの眼からポタポタと涙が落ちた。


 その時また声がした。


「モ゛ー」


 謎肉の声だ。

 そういえば先程から鳴き声は聞こえるのに姿が見えない。

 オルレアの事は気掛かりだが、謎肉も探さないといけない。

 袋の中にはいないようだが、外にいるのだろうか。

 セシルは涙を拭うとひとまず袋の外の様子を窺うことにした。


 だが、袋から頭を出し、周囲を見回して――セシルは唖然とした。

 謎の袋は巨大な肉の塊に包まれていた。

 さらに、袋の外側に目が付いていて、セシルをじっと見つめていた。


「モ゛ー」


 セシルと目が合うとその目は嬉しそうに鳴き声を上げた。


「まさかこの袋……お前だったのか?」

「モ゛ー」


 謎肉は正解と言うようにもう一度鳴いた。

 それから早く外に出ろと言うように口をパクパクさせる。

 セシルは戸惑いながらも外に這い出す。

 すると謎肉は口を堅く閉じてしまった。


「お、おい、待ってくれ。まだ中にティッタ姉ちゃんが――」


 セシルは慌てて言ったが、言い終える前に謎肉を包む肉がボコッと増えた。

 謎肉は得意げに笑顔を作る。


「ム゛―」

「ひょっとしてお前、俺たちの毒を抜いてくれてたのか?」

「ム゛ー」


 セシルは自分の身体を見た。

 『ケテル』の攻撃や地獄の穴に落ちて泥まみれになっていたはずなのに、何事も無かったようにすっかり綺麗になっている。


 ここまで出来るのなら、ひょっとしたらティッタ姉ちゃんも助かるかもしれない。

 セシルの心に希望が湧いた。


「姉ちゃんの事、任せても良いか?」

「ム゛ー」

「そうか。それじゃオレは、お前が姉ちゃんに集中できるようにあれをなんとかしてくる」


 セシルの視線の先には、先程よりもかなり広がった地獄の穴があった。

 そしてその中央には修道服を着た個体――『ケテル』が相変わらず立っていた。



 ※ ※ ※



 いよいよ不味いかもしれない、とウェンドリンは思った。


「ヒャヒヒヒッ!」


 修道服の個体がまた拳を飛ばしてくる。

 ウェンドリンは紐で軌道を逸らそうとしたが、逸らし切れず咄嗟に横へ飛び退いた。

 紙一重で泥の拳が顔の横をすり抜ける。


「キャキャキャッ!」


 修道服の個体は歓声を上げた。

 明らかに拳を放つ精度と威力が上がって来ている。

 このままでは処理しきれなくなるのも時間の問題だった。


 いっその事、相打ち覚悟で懐に飛び込むべきだろうか。

 追い詰められたウェンドリンにふとそんな考えが浮かんだ。

 地獄の穴に飛び込む事になるから自分は無事では済まないが、どうせ死ぬならあの個体と刺し違えて謎肉たちだけでも守らなければ……。


 だがその矢先、あらぬ方向から予想外の声が聞こえた。


「ウェンドリン!」


 思わず振り返ると謎肉の巨大な肉の山からセシルが降りてくる。

 しかもあの声の調子は……。


「セシル、気が付いたの!? っていうか、元に戻ったの!?」

「その辺はオレも良く分からない! ――それより前、前!」


 言われて顔を戻すと修道服の個体がこちらに腕を向けていた。

 ただ、あちらも突然のセシルの登場にどちらを狙うか決めかねている様子だった。


 事情は謎だが、セシルが元通りで復帰したのなら対抗手段はある。

 ウェンドリンは素早く手から紐を伸ばしてセシルを引き寄せた。

 そしてセシルを片手で抱くと長椅子の背もたれに隠れる。


 修道服の個体が拳を撃ち出して椅子がいくつか壊れる音がした。

 だが椅子の数が膨大なのでさすがにまだウェンドリンたちの場所までは届かない。

 物陰から物陰へ移動しながらウェンドリンは言った。


「セシル、私が囮になるからここから出て呪いの館に行ってちょうだい」

「何だって?」

「向こうの怪異たちに今の状況を伝えて応援を連れて来て欲しいの。この穴から這い出てる『この世ならざる者』の数が尋常じゃないから向こうも大変でしょうけど、さすがに私以外にもう一人はいないとどうしようもないのよ。私の攻撃じゃ穴の中央にいるあいつには届かないし」


 するとセシルは思案顔で言った。


「穴をどうにかなればいいのか?」

「まあ、それが出来れば一番いいんだけどね。でもマリアンデールは当分来れそうにないから難しいのよ」

「そうか……。ウェンドリン、ちょっと降ろして貰ってもいい?」

「え? ええ」


 セシルは床に降りると懐から小さな袋を取り出した。

 謎肉の燻製肉が入った小袋である。

 セシルがこれをひと欠片食べれば魔力が飽和して身体が赤く発光し、高速移動が可能になるのだ。

 ウェンドリンが不安そうな顔をする。


「確かに速く動けた方が良いとは思うけど……それ、食べれるの?」

「うん。多分いけるんじゃないかな」


 セシルは袋を覗き込みながら言った。

 服の中に入れていたお陰で無事だったのかそれとも謎肉が無害化してくれたのかは分からないが、燻製肉には泥も付いておらず食べても大丈夫そうに見える。

 特に変な匂いもしない。


「よし、それじゃ試してみるか」

「へ? 何を?」


 セシルは上を向き、あんぐりと口を開けた。

 そして小袋の燻製肉を一気に流し込んだ。


「ちょっ!? な、何やってるの!?」


 予想外の行動にウェンドリンは目を剥いた。

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