大好きな彼女と付き合うのに、お互いの家族が邪魔すぎる件
Ab
第1話
昔から、俺と
町に一つしかないそれなりの大きさの本屋が自動ドアを開けて歓迎してくれるので中に入ると、俺は迷わず左奥の角に向かった。学生向けの問題集や参考書があるそこには、約束通り結衣がいた。
腰までの長い黒髪が空調の風で小さく靡き、ついさっきまで学校があったというのに結衣は私服に着替えていた。少し大きめ、それでいてスタイルの良さがはっきりわかるベージュのブラウスと、真っ白な足首をわずかに覗かせる紺色のフレアスカート。完璧な容姿の美少女が着て似合わないはずがない組合せの洋服達だ。
後ろ姿だけでもう可愛い。
俺は彼女の隣まで行って、興味のない本を一冊手に取った。
「ごめん待たせた。思ったより先生の雑用が長引いちゃった」
「ううん、全然平気。来てくれて嬉しい」
「そりゃあ来るよ誘ったの俺だし。……あー、あと私服、すごい似合ってる。マジで可愛い」
「……ありがとう。月に一度しかこうして隼人くんと会えないから、ちょっと頑張ってオシャレしてみました」
愛らしくはにかんで、俺が見やすいように少し手を広げてくれる。そんな姿もたまらなく可愛いのだからやばい。
できることなら今すぐ結衣の肩を抱きしめてその温もりを全身で感じたいが、そうもいかない理由がある。
一言で言うなら、家同士の仲が致命的に悪いのだ。
「
「トーストにジャムとバター塗ったやつ」
こんな他愛のない会話でさえ俺と結衣は人前で堂々とすることができない。それくらい、俺たちの家同士の仲が悪いのは町の常識なのだ。俺たちの家はそれぞれ有名な大手企業の株主らしく、経営方針に昔から相違があるらしい。なんの企業なのかも俺たちは知らないが、子を信用しないなら結衣との関係を制限しないでほしいものだ。
今みたく会話しているところを誰かに見られたら噂はすぐに広まって俺たちの親まで届いてしまう。俺は昔、初対面の結衣に笑顔を向けただけで一晩家に入れてもらえなかったことがある。
狂っているのだ。俺たちの両親は。
「いいね、美味しそう。昨日は?」
「トーストにジャムとバター塗ったやつ」
「一昨日は?」
「以下同文です」
「ふふっ、最近はパンばっかりなんだ。ちゃんとご飯も食べないとダメだよ?」
お互い問題集に顔を向けたままだが結衣は笑っているようだった。
正面から見れたらどれだけ可愛いだろう。
でも、周囲に人気がないとはいえ不用心なことはできない。どうにか会話するために俺たちが本屋を利用しているのは、バレた時に言い訳がきくからだ。誰にもバレないようにこそこそするのも考慮したけど、そんなことをしてもしバレたら言い訳のしようがなくお互い両親に叱責される。俺はともかく女子高生である結衣が家の中に入れてもらえないのは、特に十月になった今絶対に容認できない。
だからこその本屋。会うのは月に一度、何かしらのテスト前だけ。
学生だからこそ誰かに見られても言い訳のしようがある。
笑顔の結衣に俺も笑みを返した。
「気をつけるよ。結衣は? 最近の朝ごはん」
うーん、と過去を思い出すような声を出してから教えてくれる。
「昨日は梅のお茶漬けで、今日はツナのサラダとふりかけご飯。でも明日からはしばらくトーストにジャムとバター塗って食べようかな」
「ちゃんとご飯も食べないとダメだって俺の好きな人が言ってたぞ」
「少しくらい大丈夫。私の好きな人が食べてた料理だもん、食べない選択肢なんてないよ」
マジでこの子は……。
クイっと問題集で顔を隠すようにする結衣。
恥ずかしくても言葉にしてくれるのは間違いなく結衣の美点だと俺は思う。
「そういえば」
「ん?」
「今日もごめんな。酷い内容の手紙だっただろ」
本屋で会いたいことを伝えるために結衣の下駄箱に入れた手紙は、万が一他人に見られても大丈夫なように罵詈雑言を書くことにしている。
当然結衣の希望もあっての話だが、受け取る側もつらいだろう。
「全然ひどくなんてないよ。悪口全部、透明なペンで否定してくれてたじゃん。『可愛くない(わけがない)』とか、『大嫌い(になれるわけない)』とか。ブラックライト当てながら笑っちゃったよ私」
罵詈雑言をそのままにして手紙を渡すなんてこと俺にはできない。なので俺は、本屋に集まる時間も書いている透明なペン(ブラックライトを当てると文字が光って見える)で悪口は全部否定することにしている。
「そう言ってもらえると助かる」
あんな手紙、できるだけ書きたくないけどね。
そうでもしないとこうして本屋で結衣と話せないのだから仕方がない。
「隼人くん」
「ん?」
「……大好きだよ」
「俺も大好きだよ。いつか必ず俺たちの両親を説得してみせるから、もう少し待ってて」
「うん。私も頑張るよ。あの人たちに認めてもらえるように」
それからしばらく雑談したあと、俺たちは互いの家に帰った。
また一カ月の我慢期間。
大学生になったらもっと二人で一緒にいられるようになるかな。
「ただいま」
家のリビングにはすでに父も母も揃っていた。家政婦さんがご飯を運んできたので軽く会釈すると、彼女はただ腰を低くしてテーブルにつく二人に夕ご飯を出した。
「遅かったな。勉強か?」
父が聞いてくる。
「うん、そんなとこ」
「
この男には自分の世界しか見えていない。
家の問題なんて俺には心底どうでもいいというのに。
「わかってる。そのために勉強してきた」
「大丈夫よあなた。うちの子があんな家の子に負けるはずないじゃない。ねえ、隼人?」
「うん」
無機質に、感情を捨てて母に答える。
結衣がどれだけ勉強しているかも知らずに適当なことをペラペラとよく言えるものだ。周りを見ようとしない二人の目をみると、どうにも俺は気が立ってしまう。
「ご飯は食べてきたからいらない。部屋行って勉強する」
「そうか。頑張りなさい」
「頑張ってね隼人」
俺は家政婦さんにもう一度会釈してから二階にある自室に移動し、カバンを置いてベッドに転がった。
「……結衣」
無意識に呟いてしまう。
「いつか必ず……例え家族を捨ててでも」
覚悟を持って口にして、俺は瞼を閉じた。
明日がその日になるとは知りもせず。
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