3.最高顧問はとても黒幕
3-1
マクミラン商会が本社としている建物は王都の一等地にある、王城に次ぐ立派な建物である。
その目が眩むほど豪奢な建物に足を踏み入れたヴィクトリアたち三人は、特に約束を取り付けていたわけでもないにもかかわらず、明らかに常用ではなさそうな建物の奥、貴賓用らしき応接室に通された。
マクミラン商会は、この国の流通、その大半を一手に握る商社である。
社長を始めとした役員の他、名ばかりのものも含めキャロル侯爵家及びドッドソン侯爵家に連なる者が席を埋めている。
その商会を裏で牛耳っているのが、最高顧問のセオフィラス・キャロル。ヴィクトリアとダンテの八歳年上の従兄である。
最高顧問の秘書だという女性によれば、セオフィラスはどうやらヴィクトリアが訪ねて来ることを見越していたらしい。
少し外出するがすぐに戻るし、もし出かけているタイミングでヴィクトリアが訪ねて来たら待たせておいて、とあらかじめ言われていたという。
そろそろ戻って来るはずだ、と聞かされ微妙な気持ちにはなった。見透かされているようで面白くはない。
だが、その程度でどうこう言っていてはセオフィラスを相手にはできない。
隣ではダンテも「これだからセオフィラスは」とでも言いたげな、微妙な表情をしている。
応接室には、つま先が沈み込むほどふかふかな絨毯が敷かれ、見るからに上質な布が張られた応接椅子があり、マホガニーのテーブルの上には美しい陶磁器の茶器。部屋の全てがこれでもかと商会の隆盛を誇っている。
ヴィクトリアとダンテの前に置かれた、金彩で蔓草模様が描かれた繊細なカップからは甘い香りが漂っていた。
「こちらで少々お待ちくださいませ」
二人分のカップを置き去りにした秘書が退室すると、部屋の中には甘い香りと共に微妙な沈黙が落ちた。ヴィクトリアの背後では、ヘンリエッタがいつも通り気配を消して控えている。
隣に座ったダンテがカップの中身を確認し、物言いたげにヴィクトリアを見る。
甘い物はあまり好きではない、というダンテの嗜好の話ではおそらくない。言いたいことはなんとなく想像がつく。
言いたいこと、いや、心配されているのだろう。でも、これくらいはなんでもない。他意あってのことでもないだろう。
ヴィクトリアはカップを持ち上げ口を付けた。
甘い香りの中に、カカオの苦みとスパイスがほんのりと効いている。粉末状のカカオとミルクを混ぜ、砂糖や蜂蜜で甘さを足した流行の飲み物だ。
流行ものなのだから、この場で出されても別に不思議なことではない。
本当に、こんなことはなんでもないのだ。
リデル伯爵家が起こした事業。そこで扱っていた珍しい粉末カカオ。リデル伯爵の急逝と共に、リデル家が、ヴィクトリアが失ったもののひとつ。
混乱に乗じて事業を買収した相手がマクミラン商会だった。
ただそれだけのことだし、今ここで出されたカップの中身には関係ないことだ。
初めて口にした時と同様に、むしろ子どもだったあの頃に比べ成熟した味覚はより深くカカオの風味を感じ取ることができる。
まだ何も持っていなかったあの頃から、ヴィクトリアを取り巻く状況はずいぶんと変わってしまった。
でも、どのような経路を辿りこの口に入ろうとも、カカオ自体の味は変わらない。ヴィクトリアの手からは離れようとも、その味が損なわれることはない。
今も変わらずにちゃんと美味しい。
きっとこれを口にする多くの人が、そう思ってくれるに違いない。
痛い沈黙の中、扉の向こうで誰かが何かを言い立てる声と、足音が近付いてきた。
ノックもそこそこに扉がやや乱暴に開かれる。
無遠慮に部屋へと入って来た人物に、隣のダンテが注意を向けたのが分かった。口に残るカカオの苦みを呑み下し、ヴィクトリアも顔を上げた。
恐らくセオフィラスとそう変わらない年頃だろう。二十代の後半から三十代の前半ぐらいの男性。
身形は悪くない。仕立ての良いものをきちんと着ている。黙っていれば品がないこともないだろうが、その辺りは本人がどうこうというよりも使用人や周囲の人間の努力によるものだろう。
折角見目良く飾り立てられているというのに、当の本人に落ち着きが感じられない。
その男性はダンテを一瞥し、ヴィクトリアを見た。
鼻を鳴らすその姿からは、隠しきれていない慢心と蔑視という感情が伺える。
「リデル伯爵の娘だな」
どうやらダンテ・ドッドソンについては相手にする価値が無いと判断したらしい。
ドッドソン侯爵家の、母親の身分が低い末子、いわくのある出自とその扱いについては社交界においてわりとよく知られている。
そのため、ダンテが軽く扱われることはよくある。その血統が何よりも重んじられる貴族社会においては、近衛騎士にまで上り詰めたその努力や能力よりも、決して覆すことのできない別の何かでその人の価値が計られる。
特にダンテ自身が気にする素振りも無いけれど、決して楽しい気分になるものでもない。
ましてや貴族ですらないこの人物までもが、侮る態度を見せる。
それもこれも全て、生前ドッドソン侯爵が日頃周囲に憚ることなく見せていたダンテへの態度によるその結果である。どうかしているとしか思えない。
「ヴィクトリア・リデルと申します。その節は母がお世話になりました、副社長」
ヴィクトリアは立ち上がることをせず、その場でカップを片手に持ったままマクミラン商会副社長に目礼だけをした。
副社長であるこの人物は貴族ではない。よって、儀礼的なことで言えばヴィクトリアにとって礼を尽くすべき相手とは言えず、心情的には挨拶などよりもう少し物騒なものを向けたい気持ちしか湧いてはこない。
まあ実際のところ、現在のヴィクトリアも貴族とは言えないが。
副社長は自分の肩書を知っていてのその態度か、という不満をありありと浮かべ、ヴィクトリアとダンテの向かい、その空席にやや乱暴に腰を下ろした。
リデル家への仕打ちを覚えていないのか、それでいて尽くす礼儀があろうはずがないと思うのだが、どういう面の皮の厚さなのだろう。理解しかねる。
思うことは色々ある。だが、聞いていた話の通りの人物だということがよく分かった。
こうして対面するのは初めてだが、この僅かな時間のその挙動だけで十分理解できた。
「何しに来た。ヴァンホー商会の件は既に終わっている。今さら話すことなどない」
不穏な気配を膨らませながら背後に控えているヘンリエッタを片手で制し、ヴィクトリアはもう一口、ゆっくりとカップの中身を口に含んだ。
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