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◆エヴァーン王国 国境近くの寒村
「ここから先は一人になります。良いですか」
アリスは、護送団の隊長の言葉に小さく頷いた。
「……はい、わかりました」
王都から国境まで、徒歩の道のりだった。
囚人の護送でありながら、奇妙な旅路だった。
通常の囚人であれば格子付きの荷台に乗せて馬車で引き、晒し者にするものだ。
しかし今は、荷台どころか馬さえもない。
みすぼらしいローブを羽織り、徒歩で移動していた。王はアリスを信奉する人間によって奪還されることを恐れたのだ。他にも偽の馬車を四方八方に走らせ、当の本人には旅人に偽装させるという手の入れようであった。
「しっかし、見送りにさえ誰も来ねえ。騙された連中はともかく、村人は怖がって木戸を降ろしてやがる。まったく寂しいことだな」
護送の兵の一人が、アリスをせせら笑った。
「おいよせ」
「なんでこんな小娘にみんなびくついてるんだ。理解できねえよ」
アリスは、特に動じることもない。
この程度の嘲笑で動かす心など、とっくに持ち合わせていなかった。
むしろ慌てたのは護送団の他の兵士や護送隊長だ。
「馬鹿野郎が……見たことねえのかお前」
護送隊長の問いかけに、兵士は素直に尋ね返した。
「何をですか?」
「せい……いや、アリスの力に決まっているだろう」
今やアリスを聖女と呼ぶことは禁じられている。
部下をたしなめようとした隊長は、慌てて言い直した。
「力ぁ? 祈りや応援を力に変えるって言ったって……それがどうしたんですか。魔王を倒したのだってディオーネ様じゃありませんか」
隊長は、アリスを侮る部下の愚かさに溜息を付いた。
魔王にまつわる話は、十年前に遡る。
死霊術師ゼラフィーという男が邪神と契約し、リッチという高位種族に転生した。そして数多の死霊を使役してエヴァーン王国に宣戦布告。国土を荒らし、数多くの人間の命を奪い取った。
エヴァーン王国の国教、聖水教は死霊術師ゼラフィーを『人の世に仇なす魔王である』と認定し、聖戦宣言が出された。
聖戦宣言とは、聖天水素教と国が力を合わせて「必ずや魔王を討つべし」と誓う宣言である。そのために国中の村や町から若者が兵として集められ、同時に「聖人選抜」という儀式がなされた。
魔王と認定されるような邪悪な存在が生まれるとき、人間の間にも聖なる力を宿す者が現れるためだ。男であれば聖人と呼ばれ、女であれば聖女と呼ばれる。たがそこには身分や性別、血筋などの法則性のようなものはなく、聖職者がひたすらに多くの人間を調べるしかない。
その調査の結果、三人の聖人が選定された。
一人目は「天の聖女」。
天候、気象を操る権能を与えられし者。
あるときは雲と風を操って嵐を巻き起こし。
あるときは温かな陽光で町を照らし雪を溶かす。
そして太陽の光を集めて魔物や亡者を灼き尽くす、自然の猛威の化身。
ディオーネ=エヴァーン=トレアス
二人目は「地の聖女」。
大地を操る権能を与えられし者。
あるときは土と水を操って川の氾濫や地のゆらぎを鎮め。
あるときは鉄と岩石の砦を作り出して人を守る。
そして農地に滋養を与えて麦や薬草を芽吹かせる、自然の恩恵の化身。
セリーヌ=エヴァーン=ウェストニア。
三人目は「人の聖女」。
人々の心を繋ぐ権能を与えられし者。
地の聖女や天の聖女のような多岐に渡る異能は持たない。
与えられたのはたった一つの力。
多くの人々の祈りを結集することのみ。
アリス=セルティ。
聖戦に関わった者は三人を惜しみなく称賛する。
もっとも多くの人が褒め称えるのは天の聖女ディオーネだ。彼女の必殺技『聖光滅』は聖なる気と太陽光を何千倍にも増幅して照射する強力なもので、誰よりも多くの死霊兵を倒した。
その次に称賛が多いのは、地の聖女セリーヌだ。彼女の秘技『
そして、最後にアリスだった。
アリスの権能は、同じ戦場にいた者にしか理解できない。だが聖女たちと共に戦った兵士であれば誰もがアリスを一番と褒め称える。一人一人の称賛の強さは、アリスがもっとも大きかっただろう。
理由は単純だ。
アリスだけは兵士たちと共に、同じ戦場に立っていたからだ。
アリスは祈りや応援を集めて増幅し、力に変えることができる。そして自分自身を大きく強化したり、あるいは共に戦う仲間や軍団の力を大きく向上させることができる。
だがそのためには、戦場にいる兵士たちすべてがアリスの姿を見て、祈りや応援を捧げる必要があった。空を飛び敵を討つディオーネや後方で食料や物資を増産するセリーヌとはそこが違っていた。
戦争において、すべての仲間が目に見える場所とはどこか。
それは、最前線だ。
アリスは、数万の軍勢と軍勢がぶつかり合う瞬間、一番先頭に立って歩かなければならなかった。
アリスの背後に控える親衛隊が命がけでアリスを守る体制にはなっていた。だが開戦の瞬間、アリスの隣には誰もいない。ぽつんと、たった一人で、一番前にいた。一度戦争が始まれば、数万の死霊兵がまっさきにアリスに襲いかかってくる。アリスは、そんな地獄のような光景を乗り越えてきた。
しかも兵士たちから祈りの力を集めたところで、アリスが元々使えない力が宿るわけではない。腕力や体力が大きくなることはあっても、剣術や弓術をいきなり習得できるわけではない。火を放つ魔法を他人の百倍、万倍の力で撃てるとしても、まず自分自身がその魔法を覚えていなければ意味がなかった。
だから、もっとも訓練が必要だったのはアリスだ。
聖女であると認められる前は、人よりちょっとだけおてんばな、ただの村娘だったアリスだ。
アリスは戦いのない日、早朝も夕方も剣を振り、魔法書を読み、自分を鍛えた。「お前みたいなチビが聖女だって? どんなペテンを使ったんだ?」と鼻で笑う陰険な兵士もいた。「きみのような少女が死ぬのは忍びない。厩舎の鍵を夜中開けておくから、馬を奪って逃げなさい」と諭す優しい兵士もいた。
それでも必死に続けた鍛錬と、誰よりも前を歩く勇気は、やがて兵士たちの心を掴んだ。
有象無象の敵兵を倒したのはディオーネであっても、絶大な力を持つ魔王や魔王の側近を倒したのは、ほとんどアリスとその仲間たちであった。
共に戦った兵士は「アリスこそ勝利の女神」、「真の聖女だ」と褒め称える。
戦場にいなかった人間とは深いところでわかりあえない感動であり、それこそが王が警戒したものだった。事実、アリスの醜聞と追放刑が伝えられても、信じない兵士は多かった。
しかしアリスの件で抗議する者に王は容赦なく罰を与え、そしてアリスを脅迫した。大人しく刑を受けないのであれば、お前に味方するものをことごとく殺してやると。
「……ともかく、囚人が誰であろうが、俺達に与えられた任務は無事に国境まで彼女を送り届けることだ。罰を与えるのは俺たちの仕事じゃない。先に休んでて構わんから宿に戻ってろ」
「ちっ……」
たしなめられた兵士は不満を隠しもせず、この場から立ち去った。
だがそのおかげで、安堵の空気がこの場に流れる。
「申し訳ない……聖女様。俺たちには止めることができなかった」
護送隊長が、アリスに向き直って詫びた。
だが、アリスは首を横に振る。
「お互いに聖戦を生き延びて拾った命、無駄にしてはいけません。私も……ここまで来たならば未練はありませんから」
アリスは、さっぱりとした顔で言った。
「諦めてはなりません! きっと、セリーヌ様がいずれは……!」
「セリーヌは、来てくれませんでした……。きっと、もう生きてはいないのでしょう。ならば私も潔く諦め、やるべきことをやるしかありません」
アリスの心残りは、地の聖女セリーヌの安否であった。
セリーヌは傍系とはいえ王族の一人であり、多大な功績を上げた聖女だ。公明正大であり慈愛に溢れた人格は誰もが褒め称え、きっとダモス王の圧政を打倒してくれるだろうと誰もが信じた。
アリスが投獄されるときもセリーヌは「みんなを救ってみせるから、私を信じて待っていて欲しい」と告げた。
しかし、あるときを境に、セリーヌの消息はぷっつりと途絶えた。
恐らくは、暗殺された。そして王族殺しが広まることを恐れたダモス王が情報を隠蔽したのだろう。投獄された者はそのように諦め、そして自分の末路を受け入れざるを得なかった。
「……それで、この先が幽神大砂界なのですね?」
「は、はい。間違いありません。ここから先はもはや人間の支配地の外です……。この程度の物が助けになるかはわかりませんが……」
護送隊長が、アリスに旅の道具を渡そうとした。
だがアリスはそれを見て眉をひそめた。
「これは……いけません」
アリスは食料と水、そして胸当てなどの防具や靴を確認して大事そうに受け取る。
しかし剣だけは受け取ろうとせず、首を横に振った。
「ご心配なさらず。名剣や魔剣ほどではなくともお役に立てるかと思います」
「そういう意味ではありません!」
剣は、明らかにこの護送隊長の好意だった。
王による嫌がらせで、本来アリスには粗悪な剣を渡されるはずだ。
アリスは王都の牢獄にいる間、その話を看守から聞かされていた。
だが、今目の前にあるものは傷一つなく、よく研がれている。
新品であり、そして上質な剣だ。
「私を助けようとしたことが王に知られれば、あなたまで……!」
「良いのです。むしろ王の命に従って粗末なものを渡せば、私が戦友から恨まれましょう。……それに、私自身が心苦しいのです」
「私は、私にできることをしただけです。気に病むことはありません」
「それでも、恩を仇で返さねばならない自分が恨めしくてなりません。私が言う資格もありませんが、どうかお気をつけて」
アリスはついに折れて、剣を受け取った。
今からたった一人で、国境から目的地へと旅立つ。
目指すは幽神大砂界。
今いる国境からまっすぐ北に進み、三週間ほど歩けば着くはずだ。
おそらくアリスは、このときの施しがなければすぐに首を吊るか手首を切るかしていただろう。
ほんの少しの優しさが、彼女の足を動かした。
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