第5羽
「…………」
境内にある真っ暗な物置小屋で、有栖は独り卓上の鏡を覗いていた。何をする訳でもなく、側面についた小窓から差し込む燈色の光を背に受け、自らの顔の奥に延々と続く暗闇をただじっと見つめている。
「……ひとりー?」
有栖は吸い込まれるように卓上の鏡へと手を伸ばした。しかし、その指同士が触れ合おうとぐっと近づいた所で、立て付けの悪い小屋の扉はガラガラと音を立てて開いた。
「あー! やっぱりここにいたー!」
む~、と口を尖らせる銀髪の女の子。涼芽はずかずかと有栖に近寄ると、鏡へと伸びた手をつかんで自分に引き寄せた。
「ここは暗くて危ないから近づいちゃだめって、おじーちゃんたちが言ってたでしょー!」
「……うんー」
「ほら、はやくでよ、ね!」
言われるがまま、腕を引かれるがままに小屋を出た有栖。茜色の空ではかぁかぁとカラスの鳴き声が飛び交い、母屋で陰る鹿威しの透き通った音が哀愁を感じさせている。
二人の過ごす畳部屋へ戻り、やっと涼芽は有栖の手を離した。
「……あめちゃん?」
「そうだよー、今日おまいりにきたおばちゃんがくれたのー! ありすちゃんにもって!」
「……ありがとー」
可愛らしい花の絵が印刷された紙で包まれた、みるく味の丸い飴。これは祖母が有栖を連れてきた際、彼女が手にしていた物だ。二人で感じたあの甘い味は、涼芽にとって感慨深い思い出である。
「んー、おいしー!」
ひょいと飴を口に放り込み、ころころと舌の上で転がす涼芽。有栖は表情をぴくりとも変えず、ただゆっくりと、丁寧に包装を解いていた。
「……んー、おいしいー」
無表情だが、噛みしめるように頬を膨らましたり、顎を上下させたりする有栖を見るのが涼芽は大好きだ。自分の銀色に染まった髪を煙たがらず、対等に接してくれる存在。涼芽にとって、有栖に心酔するのは必至だった。
長いようで短い時間が過ぎる中、音も立てずに開いた襖から、桃色の着物を着た涼芽の祖母が姿を見せた。
「二人とも、ご飯の時間ですよ。今日は涼芽ちゃんの好きな、カレーライスです」
「わーい!」
魚やたくあんばかりが並べられる食卓だが、今夜は久々の好物だ。それが嬉しくて、涼芽は一目散に居間へと駆け出していった。
美味しそうな香りを前に、おばあちゃんは笑顔。わたしも笑顔。ありすちゃんは……ありすちゃんは?
いつもなら服の袖を掴み、ちょこちょことついてきていたはずの有栖がいない。
直感が、二人の別れを告げていた。
「ありすちゃん?」
あらあら、と目を丸くする祖母の横をふらふらと歩き、先程まで二人で飴を食べていた畳部屋を目指す。が、襖は開きっぱなしで、中に有栖の姿はない。
涼芽はサンダルに履き替え、縁側から物置小屋へと歩いた。何度も連れ戻してはいるが、有栖はいつも、そこにいる。何かとつけて、そこにいる。
ほら今も、立て付けの悪い扉を開ければすぐそこに――――
「それで、有栖は涼芽を置いていなくなったと」
「そうです。有罪です」
涼芽と有栖。二人は随分前から知り合っていた……いや、
「その割には二人とも仲良さげじゃないか?」
「まあ、涼芽はアリスを恨んでるとかじゃないですから。でもいなくなったあの時は、三日三晩食事が喉を通りませんでした」
「ふーん。有栖がいなくなった日のカレーは?」
「本当に、全く味を感じませんでした。それももう、ほっぺたが落ちるくらいには、です」
「しっかり感じてるじゃねえか」
錬磨はやれやれ、と肩を落とした。これから気まずい暮らしが始まると思えば、本質は違っていた。しかし、有栖が涼芽のことをどう思っているのかはわからないが。
それに、今と昔では二人の性格が真逆な気がする。
「……有栖はどうして急にいなくなったりしたんだ? やっぱり居心地が悪かったのか?」
「そんなことないよー、私も涼芽のことは好きだし」
「だそうだが」
「はいです。お金として、冷房として好きらしいです」
「えへ、ばれちゃった」
少し、歯切れが悪いな。しかし、この件を深く掘り下げるのは今ではない気がする。
会議なんて大層な名目で始められた昔話だったが、なんだか拍子抜けしてしまった。錬磨は呆れた後に二度手を打ち鳴らし、解散を告げた。
「あ、そうだ。ちなみに有栖がいなくなった後はどうしてたんだ?」
「普通にじーばーの神社で育ったですよ。巫女になるのは嫌なのでこっちに出てきたですが」
「そうか」
錬磨は涼芽の話に引っ掛かりを感じながらも、さっさと自室に戻った。彼女らの過去、育ち、そしてバケモノになった経緯――――。錬磨にとって、それはどれもどうでもいいことだ。彼は考えることから逃れるように、ぐっと目を瞑った。
「錬磨、寝ちゃったね……しょうがないから、どっか食べにいく?」
「確かに昼時ですが、お金はどこからでるですか」
リビングに残された二人。涼芽の痛い質問に、有栖は口角を上げたままじっと涼芽を見つめていた。
「目が怖いです。……まあいいです、今日は再会記念に奢ってあげるですよ」
「やったー! やっぱり涼芽ちゃん、大好き!」
そう言って涼芽にむぎゅ、と抱きつく有栖。涼芽にとって有栖との再会は複雑な思いではあったが、それよりも嬉しさ、愛情が上回った。だから、有栖の心の声は聞かないことにしておいたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます