第四章 ~『医務室のティアラ』~


 教会の医務室に運ばれたティアラは、白いベッドの上で寝息を立てて眠っていた。薬品の匂いに包まれながら、マリアは傍で回復魔法をかけ続けている。


(僅かでも私の魔法が力になるなら……)


 ただ座って時間が過ぎるのを待つより、少しでも力になりたい。リーシェラは無駄な努力だと言い残して、寮へと帰ってしまったが、マリアは必ず想いが通じるはずだと信じていた。


「怪我をしたと聞いたんだけど本当かい⁉」


 医務室の扉を開き、ケインがやってくる。彼はマリアのパートナーでもあるが、ティアラの担任でもある。事態を聞いて駆けつけるのも当然だ。


「ケイン様、ティアラが……」

「これは酷い傷だね。呪いを帯びているということは霊獣の仕業か……」

「シロ様が間違って襲ってしまったのですわ」

「なるほど。事態を把握できたよ……」


 一を聞いて、十を理解したのか、悩ましげに天を仰ぐ。


「私の回復魔法では治せなくて……」

「仕方ないさ。回復魔法は万能じゃない。大きな病気や肉体の損失のように治せない傷もある。霊獣の呪いもしかりさ。限られた者にしか治せない症状なんだ」

「それはつまり――治せる人がいるんですの⁉」


 回復魔法の限界を聞かされてもマリアは落ち込まない。むしろ治せる者がいることに朗報だと目を輝かせるが、彼は首を横に振る。


「神父の頂点――大司教様なら治せると聞いたことがある。でも大司教様は大聖女に匹敵する権力者だ。公爵令嬢の傷を癒すためとはいえ、動かすことは容易ではない」

「そんな……」

「でも可能性はゼロじゃない。僕の人脈を使って、協力を引き出せないか動いてみるよ」

「あ、ありがとうございますわ!」


 さすがケインは頼りになると、感謝で頭を下げる。可能性が生まれただけでも、心理的な負担が楽になった。


「なら僕はさっそく動くよ。ティアラくんは頼んだよ」

「任せてくださいまし」

「あ、そうそう。僕の友人にもお見舞いに来るように声をかけておいた。彼もきっと君の力になってくれるはずだ」


 それだけ言い残して、ケインは医務室を去る。静かになった空間で眠るティアラの手をギュッと握りしめる。


「必ず、治してみせますから……」


 語りかけるが返事はない。寝息だけが静寂に広がっていた。


「ティアラ! ここにいるのか⁉」


 しかし静寂は勢いよく開けられた扉によって崩れ去る。現れたのはマリアも面識のある男――アレックス王子だった。


(ケイン様の友人とはアレックス様のことだったのですわね)


 ベッドで眠っているティアラに気づいたのか、アレックスは口を閉じて、マリアの隣に置かれていた丸椅子に静かに腰掛ける。


「ケインから聞いてやってきたんだが、事情は知らないんだ。どういう状況か教えてくれ」

「実は……」


 マリアは起きた出来事――マリアの霊獣が傷つけたことや、回復魔法では治療できないことを包み隠すに伝える。


 耳を傾けていたアレックスの顔色が見る見るうちに悪くなっていく。すべてを聞き終えると、彼は血走った眼でマリアを見据える。


「ティアラの傷を治す方法はあるんだよな?」

「ケイン様から大司教様なら治せると聞いていますわ」

「大司教ならか……それ以外の方法は?」

「今のところ分かっていませんわ」

「クソッ……」


 無力感を噛み締めるようにアレックスは膝を叩く。彼の身体は小刻みに震えていた。


「大司教では俺の力は役に立たない……」

「アレックス様の権力があっても、大司教様に頼めませんの?」

「大司教は旅に出て行方知れずだからな。それに気難しい男で、王家の権威が通じるような奴じゃない」

「ならティアラの傷は――」

「完治は絶望的だ……」


 希望を打ち砕く一言に、マリアの視界は真っ白になる。そんな彼女を横目に、アレックスは立ち上がる。


「もう帰られるのですか?」

「俺にもできることはあるからな。それにケインの奴なら僅かな希望を形にできるかもしれない。俺もサポートするつもりだ」

「アレックス様……」

「ただ手を尽くして、もしティアラが一生傷を負ったままなら、俺はお前を許さない」


 マリアに悪意がないことは知っていた。だがアレックスはやり場のない怒りを抑えることができなかった。


 悔いるように、そのまま医務室を後にする。嵐が去ったように、再び静寂を取り戻したかと思えたが、眠っていたティアラが目を覚まし、身体を起こす。


「ここは?」

「教会の医務室ですわ」

「そうか、マリアが運んでくれたのだな。ありがとう」

「お礼を言われる資格なんてありませんわ」


 ティアラの顔に刻まれた爪痕は、灯りの下で見ると際立っていた。罪悪感で目を合わせていられず、視線を背ける。


「もしかして誰か見舞いに来てくれたのか?」

「ケイン様、それに……」

「まさか王子が⁉」

「は、はい。アレックス様が来てくれましたわ」

「そ、そうか、アレックス王子が……」


 期待していた答えと違ったのか、ティアラは肩を落とす。どこか悲し気な表情で窓ガラスに映った自分の顔を見つめる。


「この傷では嫁の貰い手はないだろうな……」

「……っ――わ、私が必ず救ってみせますわ」

「ありがとう。気持ちだけで十分に救われているさ」


 友人に心配をかけさせまいとするティアラは笑みを浮かべる。その笑みを受けて、心に刻まれた罪悪感が闘志へと変わる。


(ケイン様もアレックス様も頼りになる人たちですわ。ですが……ティアラを助けるのは他の誰でもない私ですわ!)


 親友を救うのだと決めたマリアは動き始める。彼女の目から迷いは消えていた。

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