第16話 遠出

 朝。

 小さな岩塩の欠片を見て、思わず眉をひそめてしまった。


「む。……やばいかな。このペースだと塩が無くなりそうだ」


「あら、もう?」


 ミスティアが横からのぞき込んでくる。


 そんな話をしていたら、塩水浴をしていたムスビが、ぴたりと動きを止めた。桶から飛び出て、すっとこちらへ差し出してくる。


「いやいや、大丈夫だよ」


 ムスビはベッドシーツを作ってくれたり、動物の毛皮を鞣して服をくれたり、草を編んで麻布っぽいものも作ったりと、布から皮革まで織物を一手に担ってくれている。

 とても塩水を取り上げていいような働き手ではない。


 それはそれとして、やっぱり塩が無くなると困る。


「ミスティア、塩ってどこで手に入れてるんだ?」


「下流の方で採集してるわ。でも、お塩以外も揃えちゃうのが良いと思う。っていうか、お塩を採りに行く時には、いつもそうしてるのよね」


「塩以外も?」


「うん。岩塩のあるところからもうちょっとだけ行ったところにね、人の町があるのよ。だから、ついでにね」


 ミスティアとしては今回もそうしたい、ということだろう。


「人の町か……ってことは、つまり交易とか、物々交換とか?」


「そうなの。森で採れた物を売ってたわ。色々だけど、魔石はもちろんだけど、魔獣とか薬草とかもねー」


「買ってたのは?」


「そうね、染料とかインクとか――」


 インク。

 なるほど、それは俺も欲しい。


「――胡椒とか」


「行こう!!!!」


「わっ、反応良すぎ。顔やば」


 ミスティアが俺の反応に笑っている。


 調味料があるなら先に言ってくれ。レシピの幅がどんと広がる。


「そうね。ソウジロウが拠点を作ってくれたから、マツカゼも魔石をたっぷり食べてしっかり走るようになってきたし。遠出するタイミングとしては、ちょうどいいかも」


「あ、でも売る物が無いとダメか……。困ったな」


「んー、それは大丈夫だと思う。ソウジロウならね」


「そうなのか?」


「うん、案内は私に任せてください。そうしたら、欲しいもののところに連れて行ってあげちゃいます」


「お任せするよ」


 というわけで、町へ向かうことになった。





 ムスビが作ってくれた革のリュックに荷物をまとめて、出発準備をすぐに終えた。


 しかし、渡されたリュックが大きい。〈クラフトギア〉とミスティアの魔法で荷物は最小限にできるので、リュックはかなりすかすかだ。

 まあ、これから買ってきたものを入れるには必要なのかもしれない。


 それと、小さくても魔獣なので人里に気軽に連れて行くのはダメ、ということで、マツカゼはお留守番。ウカタマに子守り役を任せた。


「よろしく頼む。畑のために、野菜の種とか持って帰るからな」


 そう約束すると、ウカタマは腕を振って見送ってくれた。


 俺とミスティア、それにムスビのメンバーで町へ向かう。


「ソウジロウも足は丈夫だし、町までは三日くらいかな。四日の朝くらいに到着でいい?」


「けっこうかかるな……」


 荷物も少なく軽装で、それでも三日も歩き通しは、なかなかの距離だ。


「これでもエルフ基準なんだから、普通の人間よりずっと早いのよ? 私たちがいるのは、神樹の森の奥ですから」


 自分からそんなとこに居を構えた俺が、文句は言えない。


 先導してくれるミスティアのすぐ後ろについて、進んでいく。

 鬱蒼とした森の中を、まったく迷う様子も無く歩いていくミスティア。その姿を見るに、確かに森を歩き慣れているようだ。


 俺はと言えば、右も左も同じような光景で、今から自分一人で拠点に戻れと言われたらちょっと無理かもしれない。いやきっぱり無理だな。


 それに、ただ歩いていればいいわけでもない。


「思ったより大変だよな、これ」


 モンスターの襲撃があるからだ。


 森を歩いていると、角付き兎が急に現れて、俺に突撃してきたりする。


 そんな時は事前にミスティアが教えてくれる。

 それに兎くらいなら、突撃してきた瞬間に、ムスビが糸弾で撃ち落としてくれた。糸の弾は空中で兎を絡め取りながら吹っ飛ばして、そのまま岩に貼り付けてしまった。


「霊獣って強いのね……」


「モフモフなのにな」


「ねー」


 俺とミスティアは、びっくりしてついそんなことを囁き合ってしまう。


 先導者のミスティアが運ぶ荷物や鞄は、俺よりずっと少ない。

 それは敵の気配や森の状態を察知するセンサー役であり、突然の遭遇にも対応することになる先頭だからである。


 毎回ミスティアが警告してくれるし、不意打ちで襲われることは無いにせよ。たびたび足取りを慎重なものに変えたり、迎え撃たなくてはならないので大変だ。


「あ、ソウジロウ。いよいよ大物がいるかも」


「了解」


 ミスティアについていった先に、頭が二つあって牛でも丸呑みできそうな大蛇がいた。


 ミスティアが頭を一つ切り落として魔法で焼いた。俺も〈クラフトギア〉でもう一つを粉々にする。

 頭が無いのに近づいたら尻尾が襲ってきたので、拾っておいたその辺の枝を盾にして当たると同時に『固定』してやる。

 うねる胴体に鳶口を引っかけて押さえつけ、地面と『固定』して動けなくする。ミスティアが「頭を無くしても動く」と事前に忠告してくれてて良かった。


 びっくりしたのは、いつの間にかミスティアが切り落とした方の首が再生していたこと。

 その時にはすでに動きを封じてあったので、びっくりするだけで済んだ。

 毒を吐くタイプの蛇もいるので、新しい首も〈クラフトギア〉で砕いた。しばらく胴体がビクビクしてたが、幸いにして二度目の再生は無しでそのまま死んだ。


「やったわね、ソウジロウ! 頭以外無傷で奇毒双蛇ストレイバイパーが倒せるなんて、信じられないわ!」


 興奮して飛び上がるミスティアだった。すごいのかこれ。


「無傷の魔石と胆が、高く売れるの!」


「あ、これってそういう目的のやつだったのか」


「それもある、ってところかな。避けると大回りになるけど、こっちが近道だから」


 そういえばミスティアは”俺なら大丈夫”って言ってたな。

 途中で交易物資を集めればいいって意味だったか……。


 ともあれ、大蛇の魔石と胆を取り出して、ついでに、肉も必要な分だけ切り取っておいた。


「あともう何回か、同じくらい手強いのがいるからね」


「分かった」


 まあ、俺は〈クラフトギア〉でやってるので、実のところ手強いのかどうか分からないんだが。





 道が少し険しさを増して、四度目の魔獣の襲撃を撃退して進み、野営地を決めた。


 軽く穴を掘って焚き火をしつつ、〈クラフトギア〉で支柱を立てて、ハンモックを設置する。

 森の中で簡易な寝床を作るのに、ハンモックはとても便利だ。持ち歩く時は、小さく丸められて荷物にならない。寝るときには冷たい地面から離れられ、木に結んだ張り綱に虫除けを塗れば、地を這うタイプの虫全般から、寝ている自分を守れる。


 そしてついでに、ムスビの織ってくれる布で作れば、肌触りも折り紙付きだ。


「ソウジロウは、凄腕の冒険者にもなれそうねー。この森を、お散歩みたいに歩けるんだから」


「神様の加護があるおかげだ。……それに、冒険は性に合わないな」


 焼いたヘビの肉と拠点から持ってきた香草のスープで簡素な食事をしながら、俺とミスティアはそんなことを言い合った。


 ちなみにヘビは、ちょっと匂いにクセがあるけどすごく美味かった。歯を押し返すような弾力で、滋養はありそうだが。

 これもいずれ、ちゃんと調理してやりたいところ。


 ちなみに寝てる間の見張り役は、ムスビがやってくれた。


 霊獣が夜寝るのかは知らないが、日中はほぼ俺のリュックのてっぺんに止まってるので、実は寝てたのかもしれない。


 夜でも見えるのか、と聞いてみた。

 周辺に細い糸を張っていた。なるほど賢い。





「もうそろそろ道があるから、そこに出たら人間の町まで一時間かからないわよ」


 と言われたのは、三日目の朝だった。


「出発前に言ってたのより、早く着いたな」


「まあ、普通はこんなに早くは無理だもの」


 そういうものらしい。


「森もだいぶ違う気がするし」


 進み続けているうちに、だんだんと森の木々が細く低くなっていることに気づいていた。

 なんとなくだが、植生が変わっている気がする。


「あ、気づいた? さすがねー。この辺りだと、だいぶ普通の森に近いのよね」


 ミスティアの反応からして、当たっていたらしい。


「それでも魔力は濃い方なのです。他の地域と比べたらね。だから、この辺にも魔物はたくさん住み着いてるし、人間たちも苦労してるわ」


「たとえば?」


「森を切り拓くたびに、兵士を募って魔物と激闘」


「それはファンタジーだな……」


「あと森から出てくる小物に畑と家畜が狙われるって」


「それは農村だな……」


 どうやら自然の方が強い地域では、悩みはわりと共通らしい。


「でも、小物とはいえ魔物だからね。けっこう激戦らしいわよ」


「戦ったら魔石が手に入るから、稼ぎにはなるんじゃ?」


 俺もそういう感じで、森の危険なところを突っ切るコースを歩いてきたのだが。


「よく分かんないけど、ならないって言ってたわ。ま、兵士を百人単位で雇わないといけないし、そのお給料で消えちゃうんじゃないかな」


「うーむ、どこも大変だな……」


 そんな話をしているうちに、街道に出た。

 獣道ではなく、人が均して踏み固められた地面だ。


「あっちの方が町よ」


 と、ミスティアが指差した道の先。

 『ブラウンウォルス』という人間の町が、そこにあった。

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