第2話 Hero(正義の味方)

「助けてください、迦具夜かぐやセンパイ!」


 いつものようにそんな声が響いたのは、日本のとある海沿いの県に建つ進学校、『県立天星てんせい高等学校』の、放課後のことだった。


 チャイムとともに電子黒板が暗く沈黙して時刻だけを告げる2年7組の教室の中、聞く者の脳に危機感を一瞬で理解わからせる甲高いアニメ声が響いたことで、帰り支度や部活の準備をしていた生徒、あるいは個人用情報端末スマホで画面を開いていた者達が、一瞬だけ静まりかえる。

 だが声の主の正面にいた男子生徒を見て、すぐに生徒達は『ああまたか』、と理解しつつ、日常に戻った。


「……何? どしたの?」


 使い込んだ学生鞄を片手で背に回した男子生徒は眠気が抜けきれないのか、気だるげに言った。

 平均より少し高い背と、硬質なのがひと目でわかる跳ねた髪、そして妙に鋭い目つき以外には特に特徴もない男子生徒の前に、アニメ声の小柄な女子生徒が一人という構図の中、向かいにいる女子生徒がはっ、と何かに気づいた顔をして、


「お、お願いします、センパイを止めて欲しいんです!」


 かなりの速度で、深く、頭を下げた。

 その勢いで彼女のボブカットが揺れて、ついでに息を切らしているのか、小柄な体にそぐわない豊かな胸も揺れている。


「……あ、ごめん。頭を下げろってわけじゃなくて。キミ、一年生だよね?」

「は、はい……」


 男子生徒は眠そうな瞳のまま彼女の頭を上げさせ、胸元の赤色のスカーフで学年を確認する。

 そしてそれと同時に電子音が二度響いて、ちらりと男子生徒は自分のスマホを見ると、すぐに視線を女子生徒に戻した。


「急ぐみたいだし……大体理解したけど、話は歩きながら聞くよ。僕が玄関に着くまでに話せる? それとも先生も呼んだほうが良い?」

「え? い、いえ、先生はちょっと、その、まだ……」

「だろーね。んじゃ行こうか」

「えっ、あっ、良いんですか? っていうより、まだ何も……」


 そう言われながら、何も聞かずにその男子生徒、迦具夜 彦善(かぐや ひこよし)は彼女の横をすり抜けて、扉に向かう。


? 分かってるよ」


 そう言った彼は、てのひらの自分のスマホから……『校舎裏!!』という文字と、怒る猫のスタンプを女子生徒に見せながら、面倒そうにため息を一つついたのだった。


 ――そして、校舎裏。


「来やがったなカグヤ!」


 そこにいたのは、近隣の不良高校生5人組だった。

 手には木刀、服はわざと汚したような制服、周りにはタバコの吸い殻、髪は3人が金髪で1人は金髪の黒髪混じり、何故か最後の1人は赤髪にモヒカンという、不良になるにしてももう少し他に何かあっただろ、と言わんばかりの格好で、現れた彦善に凄む。

 その中で金髪と茶髪混じりの、一番背の高い男が怒りもあらわに彦善の眼の前に歩み寄り、視線が重なった。が、


「邪魔するなヒコヨシ! いい加減我慢ならん、私がこいつらを叩き直してやる!」


 そこに、女子の声がもう一つ。


紅ヶ原べにがはらセンパイ! 無事だったんでずねぇ!?」

「ん? おっと、なんだ川中か。助けを呼んでくれたんだな、ありがとう」


 泣いて自分に抱きつくアニメ声の女生徒の頭を安心させるように撫で、黒髪ポニーテールの凛とした女生徒――紅ヶ原 静べにがはら しずかは、竹刀を手に堂々と言った。

 女子剣道部の部長だけあって、鍛えられたしなやかな肉体と堂々とした声、何よりその整った顔立ちはそれだけで男女を問わず魅了しそうだが、それは同時にこの場の不良達の下劣な視線をも集めている。


でずぅ! でもよがっだ、ゼンバイ、帰りましょうよぉ!」

「すまん、しかしバカを言うな、コイツラを始末してからに決まっているだろう」

「嫌ですダメです止めてくださいいい」


 ぶんぶんぶんぶん、と胸に埋めた顔を横に振って、否定を現す涙目の女子生徒。


「しかしな、コイツらはこの前、私とそこのヒコヨシとの買い物帰りに公園で……」

「えっ?」

「面白半分でホームレスの人達に花火を撃ち込んでいたんだぞ、許せないだろう。しかもあの時の成敗だけでは反省し足りないようじゃないか」

「……えっと、気になる情報がありましたが、この際流します! 今は……」

「オイ何をゴチャゴチャ言ってんだ、落とし前つけさせて貰うぞカグヤ!」


 金髪と茶髪混じりの不良が拳を固めるように鳴らして凄むが、


「落とし前ねぇ……つまり、僕にパンツ姿で帰れってことか?」


 彦善にそう言われると、不良達は目を見開いた。


「パンツ?」

「なっ……テメ……」


 たじろぐ不良のリーダーらしき男子生徒。が、すぐにその動揺は怒りに変わり、顔が赤く火照ほてる。


「ど、どういう意味ですか?」

「いや、後で報復されても面倒だからな、コイツのSNSのidを預かったんだ。ズボンを取り上げて写真を撮ってな」


 事の次第を説明するように、首を傾げた女生徒へ静は言った。


「昨日のパンツは白地に赤のハートマークのトランクスだったっけ? お前はどっかの大泥棒三世かよ」

「だ、黙れ! 昨日ヤられたことそのまんま……いや、十倍にして返してやるよ! ついでにそこの女にもだ!」


 リーダーの男が言い、後ろの不良達も厭らしく嗤う。が、


「いや……パンツならお前らもう、見たんだろ?」

「は?」


 言葉に、場の空気が止まった。


「だってここ、だろ。じゃあコイツら、ココに僕らが来るまで何してたのって話じゃん。実際にそこの壁見てみろよ、穴空いてるから」

「!?」


 そう言われた瞬間、不良達は全員、壁の穴を探した。

 ついうっかり、食い入るように、期待を込めて、何一つ疑うことなく、探してしまった。


「バカだ……」

 

 察して、川原と名乗った女子生徒が呟く。そして次の瞬間には、彦善によって二人、静によって別の二人がほぼ同時にぶちのめされて一人残った。

 顎を正確に撃ち抜く拳と、乾いた音ともに響く竹刀の音。

 声も出す間もない気絶と、声も出せない痛みの悶絶。

 それらを見た、一人残ったモヒカン頭の不良生徒は、


「や……やってやルァ!!」


 果敢にも、仲間を見捨てることはなかった。しかしその美しい友情が実ることはなく、1秒後にモヒカン頭の意識は飛び、全員が不法侵入+覗きの犯人として警察に通報されたのだった。


「……まったく、本当にお前といると退屈しないな」


 ――かくして面倒事は片付き、時刻は5時。

 校門前にやってきたパトカーに乗せられていく不良達を背後に、こっそりと帰ろうとしていた彦善は、静に声をかけられた。

 盗撮で他校の生徒が捕まったうわさに、部活中の生徒すらも人だかりを作ってカメラアプリを向ける中、その人混みから外れたところに二人はいる。


「本当にあいつらも頭が悪いな、侵入した時点でとっくに監視カメラでられていたろうに、今どき報復で乗り込んでくるカチコミとは」


 古い言い回しに彦善は苦笑しながらも、


「……あ、一応言っとくけど、覗き穴の話はハッタリだからな?」


 ふと思い出したように、言った。


「あっはっは、わかってるさ。私がそんな下劣な視線に気づかないわけがない」

「なら良いけど。じゃ、帰るわ」

「ん。すまなかったな、ウチの後輩がおしかけて……私のスタンプも見てくれたんだろ?」

「ああ……でも気をつけろよ、僕だって心配なんだから、あんま無茶すんなよ」


 そう言う彦善の手には、不良生徒の通報ついでに職員室で受け取った黒いクリアファイルがある。静はそれを悲しげに見て、少しためらいながらも口を開いた。


「ありがとう。それ……いつものか?」

「そうだよ。ボランティア部にも多少は仕事があるってわけ」


 ファイルをひらひらと揺らしてからカバンにしまう彦善に、静の顔は見えていない。


「流石、ボランティア部部長様だな」

「僕以外は幽霊部員しかいねぇよ。でも面倒は見なきゃだからな……つか『部長様』ならお前も同じだろ」


 ため息をついてそう笑った彦善に対して、静が僅かに目を伏せる。


「……確かにそうだが、私は……」

「え?」

「いや……なんでもない。じゃ、私は練習に戻るよ。先日の買い出しといい……いつもありがとうな、ヒコヨシ」

「いつも……? よくわからんが、僕が手伝えるならいつでも言ってくれ。じゃな」

「ん」


 そうして、腕時計を気にしながら小走りで去る幼馴染の背を見て静は、


「……お前と同じやつなんて、どこにもいないよ」


 ぽつりと呟いて、踵を返した。

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