第5章-2

 火のたかれた公女の執務室では、夜勤明けのソーレイが眠っていた。

 ソファに身を投げ出して、クッションに頭を沈め、首まで毛布をかぶって実によく眠っている。

 シャラは入り口でそれに気がついて、音をたてないように慎重にソファに近づいた。

 ソーレイは、決して穏やかとは言えない寝顔で転がっている。

 眉間に皺が寄っているのだ。

(また、難しい顔……)

 最近、シャラはそんなソーレイの姿を幾度か目にすることがあった。

 ソファに沈み込んでいたり、門扉の番をしていたり、テラスの手すりにもたれたり――ひとりきりの時に必ず、こんな顔をして何か考え込んでいるのだ。

 嫌な夢でも見ているのだろうか。

 そう思ってシャラがそっと顔を覗くと、ソーレイはその顔にシャラの影がさしたとたん、パッと目を開け身を引いた。

 まるで優秀な番犬のようだ。

 灰色の目が、刺すように鋭くシャラを見る。

「――なんだ、シャラか……」

 一瞬の間をおいて、構えた肩からゆるゆる力が抜けた。

 毛布が蔓模様の絨毯の上にすべる。

「あ、ご、ごめんね。おどかしちゃった」

「あ、いや……俺、ちょっと夢見てた。はは、ごめん」

 頭をかきながらソーレイが毛布を引きあげた。

 視線が、すれ違う。

 なんとなく居心地の悪い空気が流れた。

(やっぱり、怒ってるのかな……)

 半分ヤケで隠していることを全部ぶちまけて、三日。

 シャラはとても気持ちが楽になったけれど、ソーレイは反対に、ふさいだような表情をすることが増えた。

 声をかければ答えてくれるし、相変わらず笑みも見せてくれるけれど、ふとした瞬間に彼はあれほど豊かだった表情を一切消してしまうのだ。

 シャラはいたたまれない気分でソーレイの斜向かいにちょこんと腰を下ろした。

 持っていた小さな木箱を、丁寧に膝の上に載せる。

「なにそれ」

 まるで沈黙から逃れるようにソーレイが言った。

 彼の眼は、シャラの膝もとにいっている。

「雪貝のビーズだよ。公女さまが編んでるレースに縫い付けるの」

 言いながら、シャラは皿型のビーズをひとつ拾ってかざして見せた。

 カリブ国内に流れるだいたいの川で見ることができる「雪貝」の殻を磨いて作った白いビーズは、庶民でも手に入れやすい「身近な宝石」である。

 色つやの美しさは真珠に劣るものの、適度に光沢をもち、形成しやすいため服飾によく使用されるのだ。

 公女もベールの仕上げとして、シャラが当初苦労しながら編みあげた縁取りの部分にこのビーズを飾るつもりでいるらしい。

 どの大きさのビーズが最もベールを引き立てるか、昼前には公女が直々に確かめる予定である。

 シャラは丁寧にビーズを箱に戻した。

 庶民の宝石とはいえシャラには高級品なのだ。

「ベール……か。んなもん作ってる暇あったら手紙の方何とかして欲しいけどな」

 素っ気なくソーレイは言った。

 シャラも、事情のすべてを把握しているわけではないが、公女は今や本格的に幾人かの貴公子たちと文を交わしていて、その中には将来の花婿候補と目される人たちも含まれているらしい事を知っていた。

 気の早い使用人たちなどは「ロッドバルクかスーティーか」とすでに有力候補を挙げて賭けを始めているという。

 確かに、両家と交わす手紙の数がずば抜けて多い事を、シャラはよく知っている。

(――かわいそう……)

 シャラは細くため息をついた。

 相変わらず公女はシャラに手厳しいけれど、シャラは、少しだけ公女の事が好きになっていた。

 なぜなら、気づいたから。あの極寒の部屋のわけ。

 別に公女は、シャラに意地悪したくて寒い部屋でレース編みをさせるわけではないのだ。

 あれは単に、ストーブのすすでレースの白さを汚したくないから。

 そしてそれだけ大切に、ベールを編んでいるからだ。

 いじらしい人だと思う。

 自分は父を政界に繋ぐための生贄、と不満を言いながら、公女の立場から逃げずに運命を受け入れて、しあわせになる友人に嫉妬することもなく、ベールを編む。

 自分が同じ立場にいたとき同じことができるかと考えると、とてもできそうにない。

(そう言えば、今日はロッドバルク家からお客さまが来てるんだっけ……)

 詳しいことは聞いていないけれど、朝からガッタがバタバタしているのを見ていた。

「――シャラ」

 イナ公女がガッタと事務総官を従えやってきたのは、それからしばらくしてからだった。

 いつにも増して厳しい表情に、シャラは「は、はいっ」と背筋を伸ばす。

 ソーレイも、寝起きの不機嫌そうな顔を公女に向ける。

 もともとあまりいい雰囲気ではなかった室内に、ますます重い空気が流れた。

 公女はともかく、事務総官もガッタも、にこりともしないからだ。

「これ、あなたの字よね」

 差し出された紙を手に取り、シャラは素早く目を走らせた。

 薄く色をつけた、ステントリア家の家紋入りの上質紙。

 手紙の返事を書くのに使っていた紙である。

 そしてそこに整然と並んでいる文字は――。

「はい……そうです。わたしの字です。でも……」

 こんな手紙は書いてない、と、シャラは全文を読み終えたところで思った。

 今まで書いてきたどんな手紙よりも熱烈な言葉が並ぶ文章。

 社交辞令でかわすような内容ばかりだったこれまでとは違い、明確に、公子と結婚したい旨が書かれている。

「ロッドバルクの公子に届いた手紙よ。向こうはすっかりその気で、早速婚約交わす日取りを決めにやってきたの」

「えっ」

 反射的に顔をあげると、イナ公女のきつい目に睨まれた。

「あたしはもちろんこんな手紙を容認していないの。事務総官もガッタも、そんな指示は出していないと言うし。どうやら――偽造されたらしいわ」

 無理に感情を鎮めるような抑揚のない口調に、シャラははっきりと戸惑った。

 話がよく見えない。

 けれど、本能的によくない状況だということだけは分かる。

「――シャラが偽造したとでも言いたいのか」

 すっと、棍棒二番の騎士が公女の前に立ちはだかった。

 そのとおりよ、と、公女が恐ろしいほど冷たく吐き捨てると、いつものんきに笑っているソーレイの顔が瞬時に強張る。

「ふざけるな。シャラがそんなことするわけないだろ」

「でも現にこうして手紙は公子の元に届いてる。文字の癖はシャラそのものだし、紙もコレ用に特注したものだし、ペンもそこらへんで簡単に手に入るような代物じゃない。他に誰ができるのよ、こんなこと」

「あ、あの、わたしは……」

 シャラは何かを言おうとしたけれど、混乱しすぎてうまく言葉にならなかった。

 公女がシャラに一瞥くれ、すいと、鼻先を事務総官に向けた。

「シャラを連行して。徹底的に取り調べるわよ」

 ええ、と、年嵩の事務官がシャラへと手を伸ばしてきた。

 腕を掴まれ、ぐっと身体を引かれる。

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