第3章-5
きれいな服を着せてもらい、流行りの髪形にしてもらうと、なんだか妙に気持ちが引き締まった。
年明けの夜に近所の人たちとともに神殿で森の女神に祈りを捧げる、あのときと同じような感覚だ。
粛々として、心が凪ぐ。
そんなふうだったから仕事は非常にはかどった。
誰の邪魔も入らない公女の執務室で、ガッタが用意した定型文を、ひたすら紙に写していく作業。
簡単そうに思えて実は難しく、触ったこともなかった硝子ペンも、混ざり物のにおいがしないインクを使うのも慣れなかったし、何より、一級の職人が手漉きした、家紋入りの紙に文字を記していくのが貧乏人にとっては手が震えるほど恐ろしくて、
(一枚書き損じただけで一日の食事代くらいのお金を無駄にしちゃう――)
と、初日は力が入りすぎて逆に失敗した。
しかし今日はもうすっかり慣れて、すいすいと筆が進む。
あなたさまの心のこもったお手紙に深く感銘を受けました――
また是非お目にかかりたく思います――
ガッタが紡いだ社交辞令ばかりの言葉を、シャラは懸命に書き記していった。
「おやー?」
ひとまず与えられていた分をあらかた片付け、間違いはないかと見直していた時だった。
不意に執務室の扉が開いて、ガッタが顔だけ覗かせ大きく目を見開いた。
「ガッタさん。お疲れさまです」
急いで席を立ち、会釈をするシャラに、なにやら箱を抱えたガッタはびっくりした顔のまま「あーうん」と曖昧な返事をした。
「……どうかしましたか?」
「うん。それこっちの台詞。どうしたの、そのかわいい格好」
「え――あ」
仕事に集中するあまりすっかりなじんでしまっていた服と髪形。
シャラは今さら思い出してあたふたとした。
「あの、えと、エージャさんがくださったんです。制服にしたらって。あの、ごめんなさい。ガッタさんがエージャさんに贈ったものなのに」
たっぷりのスカートを叩くように、シャラは深々と頭を下げた。
「別にいいよ。僕だってかっぱらってきたものだし」
「え。かっぱ……?」
なんだかよくない言葉を聞いて思わず顔を上げたシャラ。しかし、
「ねえ、ソーレイ。来てみなよ。シャラがかわいいよ」
ガッタがソファの上に箱を置き、廊下に向かって声をかけた途端、シャラは飛び上がり、さながら地揺れに襲われたようにとっさに執務机の下にもぐりこんだ。
「んー? シャラがなんだってー?」
寝起きのようなソーレイの声がする。
やや間があって、
「――いねーじゃん」
「いや。いるよ。――何してるのさ、シャラ」
机の傍でガッタが腰をかがめてきて、シャラは火をつけられたように慌てた。
「ああああの、いえ、わたし、やっぱり、着替えます!」
「なんで」
「ん? シャラ、そんなとこにいるのか?」
ソーレイの声が近づいてきて、シャラはますます縮こまった。
が、「ほらほら、おいで」と、ガッタに腕をとられたら、もうダメだった。
抗う間もなく引きずり出されて、否応なしにソーレイの正面に立たされる。
お……と、ソーレイの口から声が漏れた。
まん丸の目が、シャラの姿を上から下まで眺めまわす。
その目の動きに合わせるように、シャラの頬に熱がのぼった。
「に、似合わないのは分かってるの。でもやっぱり着古した服でお屋敷来るのは失礼だし、エージャさんが貸してくれて、うれしいんだけど、やっぱり、着替えて、うん、そうする」
もはやしどろもどろで自分で何を言っているかも分からないシャラに、ソーレイは不思議そうに首を傾け、言った。
「似合うぞ?」
へっ、と、失敗したしゃっくりみたいな声を出して、シャラは目の際まで熱くしながらソーレイを見つめた。
こぼれだすように笑みを見せる、彼の顔を。
「いいじゃん。お嬢さまみたいでさ」
ソーレイは「おはよう」と言うときとまったく同じ声音、同じ口調でそう言った。
ガッタも目じりを下げながら「そうだね」と相槌を打つ。
「そうしてるとイナ公女よりシャラの方がよっぽど育ちがよく見えるね」
「はっは、確かに。公女は見習うべきだな」
小さくなるシャラとそんな彼女の前で朗らかに笑う二人の公女付きの従者たち。
辺りはなごやかな雰囲気に包まれた――が。
「――何を見習え、ですって?」
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