第九話 相性はサイアク
「おいっ! どういうことなんだよ、雑用兼見習いって!」
「……うるさいわね! だったらあの時、エルヴァールに頼めばよかったじゃない! ふん!」
もう時刻は夕方だ。
終業時間ということで半ば強制的に《正義の天秤》魔法律事務所を追い出されてしまった俺は、とげとげしくも渋々といった態度で指示されるまま、むっつりと不機嫌そうなエリナのうしろをとぼとぼついていく。が、ようやく口に出してぶつけた不満は軽くいなされてしまった。
「あの気取ったエルフにか!? 嫌だよ! っていうか、選べる状況じゃなかっただろ!」
「はぁ……。刑務官たちに拘束される時、説明されたでしょう? ちゃんと聞いてなさいよ」
「せ、説明……?」
首輪と手
「されてないって! そういえば、あいつら、何だか聞き取れない言葉でしゃべってたけど。 っていうか……ああ、糞っ! もっとゆっくり歩いてくれって、エリナ『様』ってば!」
すると、いきなりエリナは足を止めて振り返った。雪のように白い顔は首まで真っ赤に染まっていて、振り下ろした両拳はぷるぷると怒りに震えていた。
「こ、こんな場所で……
「な、なんだよ!? 自分で呼べって言ったくせに……」
「うるさいっ! 好きなように呼んだらいいでしょう、もうっ!」
そこで俺も、ようやくまわりの状況を見回す余裕が生まれた。
道行く人々――まあ、見るからに魔族というヤツもいれば、人間だって当たり前にいたりするのだが――が、激しく言い争いをしている俺たちを好奇の目で眺めていた。ともすれば、にやにや笑いまで浮かべているではないか。これにはさすがの俺も恥ずかしくなってしまった。
その一方で、俺の目に映った『魔族と人間』のカンケイには、微妙な一定の距離感みたいなものが感じ取れたものの、特段『差別されている』だとか『蔑視されている』だとかの嫌な印象がほとんど感じられないことに気づかされた。とりわけ仲がいいワケではないのだろうけれど、雑多な人種のひとつ、という程度のようだ。
「なんだ……。本当に負けた側の人間も普通に暮らしてるんだな?」
「あなた、疑っていたの? 所長もそう言っていたじゃない。……まあ、探せばそれなりに、
言外に含みを持たせたセリフを吐いてから、エリナはため息とともにようやく足を止めた。
すると、遅れて隣まで追いついた俺の鉄枷が
「さっき言ってたわよね? 本当に、あのオークの刑務官たちから何も説明されなかったの?」
「うーん……なんか言ってたけど、俺にはちっとも聞き取れない意味不明の言葉だったな」
「もしかして……こんなヤツ?」
眉をしかめるようにしてエリナは唐突に何やら早口でまくしたてた。けれど、あの時と同じように俺にはまったく理解できない音の羅列だった。似ているかと言われたらそんな気もする。
「……かもしれない。そんな気がするな」
「あいつら、
「凄いな……。エリナ――さ、様は、オーク語もしゃべれるんだ?」
「いいわよ、もう。エリナ、で」
エリナは居心地悪そうに白銀の髪をかき上げ、恥ずかしそうにわざとそっけなく告げる。
「本当はね? 拘束する前に、《
確か社会で習った気がする。
『ミランダ原則』とかって言うヤツ。この世界の物とは微妙に違うだろうけど。
「じ、じゃあ、違法逮捕で無罪……ってことには?」
「ねえ、ちゃんと聞いてたの? 罰を受けるのは刑務官の方。《咎人》の罪は変わらないわ」
そこまで言い捨ててエリナは再び歩き出す。
けど、さっきよりは手加減した速度になっていて、なんだかくすぐったい気持ちだった。
「な、なあ、エリナ?」
「なによ、《咎人》?」
「い、いや、そろそろ、それ、やめてくれない、かな? 一応、俺だって名前あるんだし……」
隣で肩を並べながらも俺の方をちっとも見ようとせず歩き続けていたエリナだったが、ようやくこっちを見てくれた。ただし、ジト目で。そして、溜息とともに肩をがくりと落とす。
「覚えたくないのよ。知りたくないの。どうせ……審問会では負けちゃうんだから」
そのか細い囁きは、エリナの掛け値なしの本音であるように聴こえた。
「あたしみたいな下っ端には、到底敵いっこないヤツなの、あのエルヴァール=グッドフェローは。まさに超一流! あいつがいる限り《正義の天秤》は業界一位になんてなれっこない。第三位だーなんて聴こえはいいけれど、魔法律事務所は三社しかないのよ? つまり、万年ビリってワケ」
「……だからなんだよ?」
「なにもかにもないわよ。このままじゃあ負ける、って言ってるの。どうあがいたって有罪。人間の勇者に下された判決なら腐るほど見てきたもの。いつも負け組の《正義の天秤》事務所所属だもの、それはもう嫌ってほどね」
「……だからなんだよ?」
「だったら、あんたの名前なんて知ったって………………つらいだけじゃない」
「だからなんだってんだよ!」
むかむかして。
かっとして。
俺はまたもや通りのど真ん中で大声を上げてしまっていた。
「……だから? だから、なにもしないうちにやる前から全部あきらめるって言いたいのか? あいつにあんなムカつく呼び方をされて、とことん頭にきてたんじゃなかったのかよ? だったら最初っから尻尾巻いて、ひっこんでればよかったじゃないか!」
「そ、それは――」
「なに言われてもニコニコ笑って傷つかないフリをして、プライドも意地も、自分のココロの叫びや哀しみさえも丸ごと無視して、空気みたいに存在感も消して生きてりゃよかったんじゃねえの? ハッ! 俺はまっぴらごめんだけどな、そんな生き方!」
あとから冷静に考えたら、この時の俺は形容し難い感情に揺り動かされるがまま激昂し、言葉を選ぶ分別すら失っていた。柄にもないと思う。けれど、言葉が勝手に飛び出してしまっていたのだ。
そうなると売り言葉に買い言葉。エリナの方も釣られて口調が激しくなった。
「あんたに……あんたなんかに一体何がわかるってのよ!」
「わっかんねえよ! わかんねえから聞いてるんだろ!?」
「こ――っ! これだから人間って大っ嫌いなのよっ!!」
「お前の半分は、その大嫌いな人間なんだろ? 違うか?」
しまった――!
イェゴール所長が言っていたじゃないか。エリナは自分の中に人間の血が流れていることを恥だと思っているのだ、と。じきに飛んでくるはずの平手打ちに身構えて――。
「――っ!」
ふと見ると。
エリナはぼろぼろと大粒の涙を流しながらくちびるを噛みしめ、無言で俺の顔を見つめていた。
そして、思わず差し出した俺の手におびえ、逃げるようにくるりと背を向けたエリナは一気に駆け出してしまったのだった。
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