戦う料理人グリエの成り上がり ~いわれなき罪で追放された料理人、隣国の女王に見初められて名を上げる。特殊食材の調達も調理もお任せあれ。戻って欲しくても、もう遅い~
第7話『料理人グリエ、知らない間に伝説になっていた』
第7話『料理人グリエ、知らない間に伝説になっていた』
アントレが重責に押しつぶされそうになっていた頃、グリエは魔獣の森でフランと二人きりだった。
一日の狩りを終えたグリエが樹上の小屋に戻ると、フランが「お帰りなさいませ」とニッコリ笑って出迎える。
その彼女を前に、グリエは呆れるばかりだった。
「女王陛下さんよぉ……。この小屋が安全だと言え、危険な魔獣の森について来るなんて、どうかしてるぜ……」
「この小屋の魔物避けはグリエさん特製の物。それにグリエさんがいらっしゃるのですから、それだけで護衛は十分ですわ。……それにわたくしのアイテムボックスは役に立ちましてよ」
「……確かに獲物をすぐに貯蔵できるのは助かりますよ。新鮮さが維持できるのはマジでありがたい」
「でしょう? グリエさんの役に立ちたい一心ですの!」
その屈託のない微笑みを前に、グリエは大きくため息をついた。
「はぁ……。そのよだれさえなければ信じるんだがな。……とれたて新鮮なヤツを食べたいだけだろ?」
「そ……そんなハシタナイ理由ではありませんわ!」
そう言いながらも、彼女はすでにアイテムボックスから一つの果実を取り出している。
それは以前からこの森の奥地で成熟を見守っていた『ユグドラシルの実』だった。
本来ならテルミドール帝国領にしか生らない貴重な果実だが、魔獣が種を運んできたのか、この森の奥地で生っているのをグリエが見つけたのだ。
そろそろ熟しそうだとフランに伝えたところ、ソワソワしながらついて来たのである。
「ユグドラシルの実はタルトがピッタリだ。ちょっと待ってな」
グリエはユグドラシルの実を手に取ると、皮をむき始めた。
この実の皮のむき方はアルベールさんにも教えたが、彼はついに習得できなかったとグリエは思い出す。
とにかくこれは皮をむく手順が複雑なのだ。一見すると花のつぼみのように見えるが、パズルのように入り組んだ皮を順番通りに取り外していかなければ、実の全体が一瞬で渋みと臭みに包まれてしまう。さらに個体差も激しく、手順が一定ではないことも加工を難しくしている原因だった。
とはいえ間違った皮に力を入れればかすかな異臭が鼻をつく。
獣以上に鋭敏な嗅覚を持つグリエにかかれば、実に渋みがまわってしまう前に手を止めることが出来た。
グリエは嗅覚を頼りに手を動かし、あっという間に皮をむき終わる。
すると中からは真珠のような美しい実が現れる。
「素晴らしいですわ……! まるで輝きが虹のよう。香りだけで……あぁ……」
フランはもうよだれを隠す気もないようで、うっとりとしている。
「この技能を他の奴らも使えると、もっとたくさんの奴らが上手い飯にありつけるんだがな……。俺の鼻を貸せないのが悩ましいよ」
グリエは嗅覚のお陰で労することもないのだが、そのぶん他者に技能を伝えられないのも悩みの一つである。
ただ、その悩みは今は忘れて調理を始めようと、グリエは腕まくりするのだった。
◇ ◇ ◇
……しばらくの時がたち、
グリエはユグドラシルの果汁を練り込んだタルト生地を焼き上げ、その上にクリームとみずみずしい果実をふんだんに盛り付ける。
フランはそれを見るだけでソワソワと肩を揺らしている。
こんな時は女王ではなく、ごく普通の少女のようだ。
グリエは微笑ましく見つめながら、彼女の前に切り分けたタルトを置く。
「ユグドラシルのタルトだ。さぁ召し上がれ、女王陛下」
「い……いただきますわ」
フランは緊張の面持ちでスプーンを口に運ぶ。
そして次の瞬間、彼女の表情は幸福に包まれたようにうっとりとするのだった。
「陛下は本当にうまそうに食ってくれるな」
「美味しい……その言葉だけでは魅力を語り尽くせませんわ。自分の語彙力の乏しさが悔しくなります。……このタルトの素晴らしさは各国の王も認めるものですわ。……んっ。……はむっ」
その柔らかな唇に真珠のような果実が運ばれていく。
一口ごとに身もだえするので、グリエの方が何だかイケないことをしている気分になってしまった。
「ありがたいけど褒めすぎだ。……俺はただ食材が求める形に調理してるだけで……」
「褒めすぎなんてとんでもない! 例えばグラッセ王国が他国から一目置かれているのは、このタルトをはじめとする素晴らしい美食の数々の存在があってこそ。そのレシピの考案者たるグリエさんが私の前に居てくれる! この出会いに感謝しかありませんわ……」
「だ……だから褒めすぎだって。……困ったなぁ」
フランの言葉によると、グラッセ王国は美食の殿堂として各国の貴族の羨望の的になっていると言う。そのおかげでまとまる交渉も数知れず、美食外交とまで言われるほどらしい。
宮廷料理人の一人は生きる伝説として、周辺国に名が知れ渡っていたとのことだ。
「まさか伝説の料理人がグリエさんだったなんて……。どうしましょう。わたくし、あなたを独り占めしていて許されるのかしら……」
一気にまくしたてるフランを前にして、褒められ慣れていないグリエは照れるしかできなかった。
ただ、一つだけ訂正せずにはいられずにグリエは口を開く。
「確かにそのタルトは俺が考えたものだけど、『伝説の料理人』って称号は俺のものじゃねぇんだ。師匠であるアルベールさんのものなのさ」
「あら。わたくしは間違えてはいませんわ。もちろんアルベールさんはシェフとして料理人たちを率いられた素晴らしい方だったのでしょう。かつては彼の名が轟いていたことも存じております。しかし今現在において注目を集めていたのは『グラッセ王国の料理
フランが『長』にアクセントを置いたことにグリエは首をかしげる。
「ん……? アルベールさんじゃ……ない?」
「ええ。その名こそグラッセ王国から聞こえては来ませんでしたが、グラッセ王国の宮廷料理が新時代を迎えていたことぐらい分かります。だって魔獣を使った美食なんて、料理人アルベールの時代にはありえませんでしたもの!」
魔獣が美味の宝庫という事実は歴史的に明らかだった。
しかし一般的に出回っていないのは、ひとえに魔獣が強すぎるため。そして加工難易度の高さのためだった。
フランは立ち上がると、グリエの両手をギュッと握りしめる。
その美しい銀髪の間からロイヤルブルーの瞳がグリエを映した。
「あなたと過ごしてよくわかりました。その神がかった嗅覚と狩りの御業。そして培われた料理の腕。……グリエさん。いえ、グリエ様! あなたこそが真の『伝説の料理人』だったのですね……!」
フランは目を輝かせて、まるで神に祈るかのようにグリエを見つめている。
その視線に射抜かれて、グリエはますますどうしていいかわからなくなった。
「……あー。……あのなぁ陛下。……なんていうか、そんな大層なものじゃないぜ」
「何を仰います! あなたの功績を知れば誰もが納得しますわ! あぁ……もうわたくしは嬉しくてどうにかなりそうです。むしろ、この気持ちを打ち明けたいばかりに狩場についてきたのも同然ですのよ……」
「……いや、本当に勘弁してくれよ……。参ったなぁ……」
グリエはフランの手をそっと離すと、困り果てた様子で頭を掻いた。
「とりあえず、俺にとっての現実はただ一つだ。フラン陛下のキャセロール王国が居心地よくて、みんなの笑顔のために今後も腕を振るいたい。……だから特別視されるよりも、もっと親しみが欲しいんだ。『伝説のなんとか』なんていう目で見られるとやりづらいし、いつも通りに接してくれると助かるよ」
実のところ、ちょっと気合いを入れるだけで英雄視されるのには困っていた。
なぜならそれはもう、対等な関係とは言えないからだ。
一方的に蔑まれるのも敬われるのも嫌だ、とグリエは思う。
食事というものは気心知れた連中とワイワイ食うのが最高に旨いと、そう信じていた。
しかしフランの方も、そう簡単に敬意をひっこめられずに困ってしまう。
「そう……ですか。……しかしグリエ様……」
「その『様』ってのもやめてくれって~! 今度そう呼んだら、飯を作らね~ぞ?」
「あうぅ……。いけずですわ……」
その一言が食いしん坊のフランには効いた。
しばらくの葛藤の末、彼女は女王としての凛とした
「……失礼いたしましたわ。グリエさん、これからも美味しい食事を作ってくださいましね」
そしてゴクリと唾液を呑み込む。
そのギャップのある様子に、ついグリエは微笑んでしまうのだった――。
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