7-公爵令嬢
王都最高の学術機関ロビン学園の入学式が行われたのは二週間前のことで、貴族や豪商を初めとする多額の学費を収められる令嬢令息が足並みをそろえて新入生として迎えられた。
しかし、この日、彼らから少し遅れて、新たに入学する生徒がいるということでウワサになっていた。
「ねえ聞きまして? 今度の編入生、国王様の推薦らしいですわよ」
「執事はあの、プレゼンツ家に仕えるリヒト様なんですって!」
「キャー! あの超絶イケメンのリヒト様!? もしお会いできたら私、嬉し死んでしまいますわ!」
「彼が仕えるべき人と認めたなら、さぞ優秀なお方なんでしょうね!」
学園の生徒の多くは、編入生が気になっていた。
ウワサ話に花を咲かせ、その人物がやってくるのをいまかいまかと待ちわびている。
「来たぞ! プレゼンツ家の車だ!」
広大な敷地面積を誇るロビン学園。
その南端、校庭からさらに一キロ離れた校門に集まった生徒が、身を乗り出して車道をのぞき込む。
そこに、庶民からすれば高級な、貴族からすればお手頃な価格の車両がやってきた。
「シルヴィお嬢様、足元にお気を付けください」
まず最初に降りたのは、執事のリヒトだった。
黒のタキシードを着た細身の男が、風格のある立ち振る舞いでシルヴィと呼ばれたお嬢様をエスコートする。
「キャー! リヒト様よー!」
「こっち向いてぇぇぇ!」
「うちの執事とトレードされてぇぇぇ!」
「横顔ですら目がくらむぅぅぅぅ!」
校庭中に黄色い声援が響き渡った。
この執事人気者なんだな、と他人事のように思いながら、話題の渦中にいる少女が足元をうかがいながら降車する。
まず最初に生徒たちの目に映ったのは、桔梗の髪飾りを差した黒髪のショートボブだ。
ヒールで地面をこつんと鳴らし、ロビン学園に降り立った少女が顔を上げる。
吸い込まれるような黒い瞳が、特定の誰かを見たわけではないのに、全員の視線と交差する。
「キャー、むすっとしたお顔がとってもキュート! お人形さんみたいだわ!」
「わ、私、目が合っちゃったかも!」
「腕ほっそーい! いったいどんなダイエットをしたらあんな体型を保てるの!?」
リヒトが持てる技術のすべてをつぎ込んでおめかししたシルヴィは、一瞬でその場に集まった全員を魅了した。
生徒が口々に、彼女の愛くるしさをほめたたえる。
だが、当のシルヴィはそれを鼻にかける様子もない。
ただあどけなさの残る顔に必死さをにじませており、そのしぐさがまた生徒たちのハートを射抜く。
『シルヴィ、シルヴィ、大人気ですよ』
(ちょっと喋りかけないで! 姿勢が崩れちゃう!)
生徒の多くはロビン学園への転入に緊張しているのだと思って愛でていたが、当の本人はリヒトに言われた事を実践するのに必死なだけだった。
理由は簡単。
(ケーキケーキケーキケーキ)
編入初日の今日をうまく過ごせれば、ご褒美にケーキを作ってくれると言われたからだ。
シルヴィは甘味が好きだ。
中でも人生で初めて食べたケーキへの思いはひとしおだ。
言われたことを完ぺきにこなし、おいしいケーキを食べる。
シルヴィの頭の中はそれで埋め尽くされていた。
人の目や評価を気にしている余裕などない。
「ま、待ちなさい!」
シルヴィの前に、バターブロンドヘアの少女が立ちはだかった。
背丈はシルヴィより指の関節一本分大きいくらいでほとんど同じ。
二週間前に入学を終えたばかりの新入生だ。
シルヴィとは同級生になる予定だが、シルヴィがそこまで思考を巡らせる余裕はない。
いつもであればこの時点で不機嫌MAXの表情を向けていただろう。
だが、この日はわけが違う。
――問題を起こしたらケーキは無しですからね?
内心で、わたしの前に立ちはだかるな! と喚きながら、シルヴィは笑顔を向けた。
向かい合う二人を、まわりの生徒が野次馬する。
「まぁ、あのお方、モノグラム公爵家のご令嬢じゃなくって?」
「妙ね、公爵家と男爵家とでは爵位が違いすぎるわ。いったい何をお話しなさるのかしら」
「もしかして、かねてご交友があったり?」
「だとしてもこんな公衆の前でそれをアピールする必要ありますの? モノグラム家がプレゼンツ家に肩入れしていますと周知することに何の意味が?」
さて、シルヴィに笑顔を向けられた少女、レイツェル・ディーネ・モノグラム公爵令嬢は困っていた。
(あああああ! 私は何をやっておりますのぉぉぉ!? そんなつもりなかったのに、つい声をかけてしまいましたわぁぁぁ!)
端的に言えば、ひとめぼれだった。
金髪の少女レイツェルは、この時、家柄も、爵位に格差のある相手へ声を掛けるリスクも忘れていた。
それを思い出して後悔したのは確かだが、やっぱりお近づきになりたいという欲望もあった。
「聞きましてよ、あなた、養子入りした元平民だそうですわね」
レイツェルはこう言いたかった。
困ったことがあれば私に相談しなさい、と。
平時であればそこまで口にしたはずだ。
だが、あまりに可愛らしい子が目の前にいたことと、現在進行形で失態を起こしているという焦りから思考が少々ショートしていた。
だから、気付かなかった。
これではただの嫌味である。
「ま、まあ! もしかしてモノグラム公爵家とプレゼンツ男爵家は不仲なのかしら!」
「ええっ、プレゼンツ男爵令嬢は国王様の推薦なのでしょう?」
「もしかして、王家とモノグラム家の間にも
まわりにいた生徒たちはレイツェルが編入生を差別していると推測した。
あっという間に話に尾ひれがついて広がっていく。
相手の意図をくみ取る余裕の無いシルヴィも、周囲の声に耳を傾ければ、目の前の少女の態度の意味を理解するくらいはできる。
(ソフィア、わたしこの人嫌いかも)
『態度に出さないようにしてくださいね? ケーキをもらえなくなってしまいますよ?』
(くっ、我慢だわたし……というか、なんでこんなに嫌われてるの?)
『公爵家の私が声をかけてあげてるんだからあいさつくらいしなさいよ、などでしょうか?』
(ああ! そういうことか! 早く言ってよ!)
シルヴィが流れるような動作であいさつをこなす。
重心線を真下に保ったまま左膝を曲げて重心を落とし、もう一方の足をクロスさせてふくらはぎに乗せる。
腰はボウリングをするようにしなやかに曲げ、軸足で体重をしっかり支える。
「シルヴィ・プレゼンツと申します。どうぞお見知りおきを」
体が先に沈み、遅れて顔が下げられる。
片方の腕は胸の前に、もう一方の腕はスカートのすそをつかみ、時間をかけて敬意を示す。
指先は三番四番が少し曲げられており、指の先まで意識が行き届いた素晴らしい礼だ。
シルヴィがその逆動作で顔を上げる。
あまりの美しさにレイツェル・ディーネ・モノグラムは言葉を失った。
公爵家に生まれ、英才教育を施された彼女だからわかる。
この平民生まれだという少女がこなした礼は、非難する点が一切無い完璧なものだ。
シルヴィがそこまでして礼を極めたのは、もちろんリヒトの指導がよかったからである。
主に、ケーキというエサがよかった。
食欲は偉大だ。
(ソフィア、わたしのお辞儀なんか変だった?)
『いえ、リヒト様の教え通り、完璧な礼でした』
(じゃあ単純に自己紹介もしたくないほど嫌われてるわけだ。ふんだ。どうせわたしは貧民街出身ですよーだ)
『ええ……? 何かすれ違ってると思いますが……』
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