2-聖女の片鱗

 シルヴィを襲い損ねた三つ首の獣が次に狙ったのは、彼女と行動を共にしていた二人の少年だ。

 優れた嗅覚でみすぼらしい少年たちの体臭を嗅ぎ取った魔物は、小走りに追いかけた。

 全速力を出さなかったのはスタミナを惜しんでではない。

 先ほどの少女の電撃を警戒し、無鉄砲な突撃を自制しただけだ。


 ほどなく獣は追いついた。

 小走りと言っても、少年二人が走るよりずっと早く、また、少年たちはシルヴィをおとりに逃げ切ったと思い、走るのをやめていたからだ。


 獣の黄金色の瞳が、少年たちの背中をとらえた。

 同時に、少年たちもまた背後に迫る気配に気づく。


 満月のような三対の瞳と目があった。


「ギイィィヤァァァァァァァ!」

「くそがッ! シルヴィを追いかけたんじゃなかったのかよ!」


 少年たちは走り出した。

 三つ首の獣は、二十歩ほどの距離を保った速度で追い回す。

 距離はその気になればいつでも詰められた。

 だが、そうはしない。

 先ほどそれをして、電撃の雨を浴びる羽目に陥ったからだ。


 魔物は自身のスタミナに絶対の自信があった。

 獲物が疲弊して、走れなくなるまで追い回し、それからじっくり仕留めるつもりだった。


 いまのところ、目論見通りに事は運んでいる。

 少年たちは、食事も睡眠もろくに取っていない。

 持久力は乏しく、すぐに足は棒のように重くなる。


「ハァ……ハァ……」


 血管が破裂しそうだ。

 肺が張り裂けそうだ。

 空気が全身を巡らない。


 止まりかけの思考は、たった一つの答えを繰り返し提示し続けている。


 死。


 結末はすでに定められた。

 この運命からは逃れられない。


 だったら、どうして走り続ける。

 意味の無いことをなぜ続けている。


 そんな弱音が顔をのぞかせて――

 二人の少年は、ほとんど同時に足を止めた。


 ざっと、土を踏みしめる音がした。

 振り返ればそこに、黄金色の瞳が浮かんでいる。


 次はもっと幸せな時代に生まれますように。


 祈りを込めて、目をぎゅっと閉じる。

 わずかな月明かりさえまぶたに遮られ、完全な暗闇が広がった。


 刹那。


聖閃せいせん


 まぶたさえ貫くまばゆい鮮烈な光が網膜を焼いた。

 目を閉じていたのに、目がくらむ。


 痛みはいつまで待っても訪れなかった。

 少年たちはおもむろに目を開いた。

 何も最初は見えなかった。

 長く暗い森にいて闇に慣れていた目が光にやられ、どうやってもピントが合わなかったのだ。


 だが、次第に、視覚が正常を取り戻すと、少年たちの前に立ち、小さな背中を見せている人影に気づく。

 その後姿には、見覚えがあった。


「シルヴィ……?」


 小さな背中の主が、小さなため息をついた。

 彼女が振り返る。

 むすっとした表情の、黒色の目が少年を見下ろしていた。


「シルヴィ! なんでここに!? ケルベロスは!?」

「ん」


 シルヴィはぴっと指で地面を指した。

 そこに、三つの首が落ちていた。

 先ほどまでと同じ満月色の、だが、生気を失った目で、驚愕の表情を浮かべて虚空を見上げている。


 否、虚空ではなかった。

 それぞれの頭の視線の先は、ある一点で交差している。

 彼らが死ぬ間際、見つめていたのは、一人・・の少女。


「や、やっつけたのか!? すげえ! すげえよシルヴィ! どうやったんだ!?」

「チッ」

「ありがとう! 俺、もうだめかと思って、でもシルヴィが助けに来てくれて――」

「勘違いしないで」


 命拾いしたことに安堵した少年は、自分が深刻な見落としをしていた事に遅まきながら気づいた。

 黒目の少女は、怒っている。


「あんたたちを助けたのは、助けるだけの理由があったから。友情とか絆とか、仲間だからなんて理由じゃない」

「シ、シルヴィ」

「わたしは、わたしをおとりにしたあんたたちを絶対に許さない」


 シルヴィの光の無い目が、少年をその場に縫い付けた。指一本、動かせない。


「シルヴィ……? なにしてんだ?」

「見てわからない? 持ち帰るのよ。魔物討伐ギルドにでも持っていけば、それなりの額になるでしょ」


 魔物討伐ギルドとは、交易路などの魔物を間引く人員で構成された組合だ。

 魔物の遺体を持ち込めば、安全に貢献したとして報酬が支払われる。


 シルヴィは血だまりを作る魔物の懐に潜り込むと、血まみれにながら獣のわきに腕を通してどうにか持ち上げようとしていた。

 だが、悲しきかな。

 彼女の腕は貧弱で、せっかく倒した魔物を持ち上げることも引きずることもできそうにない。


「シ、シルヴィ」

「なに」


 短い言葉が、彼女の苛立ちを如実に表していた。


「俺たちも運ぶの手伝うよ! いや、勘違いしないでくれ! 分け前が欲しいんじゃねえ! ただ、命を救ってもらった恩返しがしたいだけだ! 金は全部シルヴィが持って行っていい! な? 一人じゃ持っていけそうにないんだろ?」


 少年は早口にまくしたてた。

 少女の不機嫌が臨界点を突破するより早く言い訳を重ねなければ、自分もそこの魔物と同じ末路をたどる気がしたからだ。


 そして、その機転が功を奏した。


「ふん。勝手にすれば」


 ぶっきらぼうにシルヴィが言う。

 その瞳には、再び光がともっていた。


(た、助かった)


 少年は、やっと一息ついた。

 どうにか機嫌を取りなせたことに安堵した。


 それからようやく、他事に思考を巡らせる。


(結局、なんだったんだ、あのめちゃくちゃな光は)


 思い返すのは、まぶたを閉じたままでも目がくらんだ強烈な光。


(そういえばその直前に、シルヴィが何かつぶやいてたような)


 シルヴィの声がして、鮮烈な光がほとばしり、目を開ければ三つ首の獣が息絶えていた。


(シルヴィ、お前、何者なんだ)


 同じ、貧民街の子どもだと思っていた。

 だが違う。

 彼女の本質は、もっと、別の何かだ。


(なんて……関係ねえか)


 難しい顔をしていた少年の頬が、ふっと緩む。


(お前が何者だろうと一緒だ。お前は俺たちを助けてくれた。なら俺は、救ってもらった命で報いるだけだ)


 一生許してもらえないのなら、死ぬまで罪滅ぼしをし続けよう。

 少年は胸の内で強く決意した。


  ◇  ◇  ◇


 少年が重い誓いを立てている一方で、思い人の少女は困惑していた。


(なに、あの聖閃せいせんって奇跡の威力。光の柱が星空まで届いてたんだけど)

『ふふん。どうです、聖女の力は素晴らしいでしょう?』

(明らかにオーバーキルだったでしょ。無慈悲にもほどがある)

『痛みを感じる暇すら与えない、それもまた一つの慈悲だと思いませんか?』

(やだこの聖女こわい)


 少女は再びため息をついた。

 なんだかとてつもない厄介事を拾った気がした。

 欲に目がくらんだ自覚があった。


(まあ、人助けするだけの価値があった、ってのは否定しないよ)


 先ほどの一撃もそうだが、何よりシルヴィが気に入ったのは、聖女から伝授された技術の中に、聖結界せいけっかいが含まれていたことだ。

 森の中であるにもかかわらず、魔物を気にせず歩き回れる。


(何よ)


 白髪の霊が隣でニコニコしていた。

 シルヴィは不機嫌を装って問いかけた。


『いいえ? でも、悪くは無かったでしょう? 人を助けるっていうのも』

(……ふん)


 シルヴィは口を尖らせた。

 白髪の霊がますます上機嫌になる。


(ええい! 勝手に人の気持ちを決めつけるな! 今回助けたのは、助けるほうがメリットがあったから! 無償の人助けなんて絶対しないんだから!)


 シルヴィがふんすと鼻を鳴らす。

 後ろでは少年二人が萎縮していた。


(そういえば……二人にはソフィアの姿が見えないみたいだけど)

『そうですね。どうやら私のことは、シルヴィにしか見えないようです』

(ええー!? やだよ! もう力も受け取ったし、さっさとわたしから離れてよ!)

『あれ? 言ってませんでしたっけ?』


 白髪の霊が、きょとんと首をかしげる。


『シルヴィに渡した力は私そのものですから、これからはずっと一緒ですよ』

「は?」


 シルヴィが足を止めて、虚空を見上げる。

 見上げた先に、白髪の霊の笑顔が浮かんでいる。


『立派な聖女を目指して、一緒に頑張りましょうね! シルヴィ!』

「き……」


 シルヴィは胸を張って、大きく息を吸い込んだ。


「聞いてなぁぁぁぁぁいぃぃ!!」


 後に大聖女と呼ばれる少女の産声が、夜の森に響き渡った。

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