第20話 11.paradox-2
「い、いえ・・・・・・急に呼び出してすみません・・・」
こちらを見つめるいずみの表情に、あからさまな動揺が走った。
市成の記憶が正しければ、ここに市成を呼び出したのはいずみで、呼び出されたのは市成のほうである。
それなのに、どうしてこんなにびくびくしているのか。
視線を逸らしたら負けだとでもいうように、どれだけ流し目を向けても、微笑みかけても、微動だにせず受け流して来た彼女の視線は、さっきからずっと泳ぎっぱなしだ。
昨日の自分は、いずみが望む通りどこまでも誠実で紳士的な男だったと思うのだが、何か怖がらせる要素があっただろうか。
「体調は落ち着いた?」
「はい・・・・・・市成さんが届けてくれた抑制剤のおかげで、
「一通り検査はして貰ったの?あ、訊かないほうがいいのか」
彼女の体調が心配で思わず質問を投げてしまった。
バース性はセンシティブ情報で、それに付随する情報も当然センシティブ情報である。
治験参加しているいずみのオメガ性は、ノーマルタイプで、
以前図書館勤務の司書オメガと知り合いになったが、彼女はトランスタイプらしく、いずみよりもずっと線の細い印象を受けた。
触れるのもためらうような繊細さは、見ている分には楽しいが、懐に招き入れるとなると話は別だ。
適度に肉感のあるいずみには、触れることをためらうどころかもっと触れたくなってしまう。
そのうえあのいい香りだ。
間近でその肌の匂いを嗅いだら、本気で理性が飛んでしまうかもしれない。
オメガ採用枠を設けるにあたって、社員にはオメガバースの研修が行われているので、市成もある程度の知識を持っていた。
そのおかげで、
あくまで表向きは、だが。
あの時の自分の頭の中身をさらけ出せと言われたら、見たことの無い神様に本気で土下座するかもしれない。
「数値も安定しているので・・・大丈夫です・・・・・・・・・あの・・・本当に、ありがとうございました」
どうしよう、史上最強にしおらしい九重いずみが目の前にいる。
信じられない現実に、一瞬思考回路が完全に停止した。
「いや・・・・・・俺はなにも」
そう、なにもたいしたことではないのだ。
同僚として当然のことをしたまでだ。
渇いた声で返して、いつもどんな風に彼女と会話していたのかを必死に思い出す。
基本的に噛み付かれて受け流すことばかりして来たので、それ以外のレパートリーが残念ながらほとんどないのだ。
ここで大々的に口説いていいならそうするが、こうも怯えられてしまっては手も足も出せない。
「
「うん・・・助けられて良かったよ」
「あと・・・・・・スーツ・・・・・・お借りしたままですみません・・・・・・クリーニングに出しておいたので」
差し出された紙袋に入っているのは、確かに昨日市成がいずみに被せたものだ。
「わざわざ悪いね」
「いえ・・・・・・あの・・・・・・・・・ちゃんと・・・綺麗になってるので・・・・・・あ」
「別にそのまま返してくれて良かったのに」
「そ、そんなわけにいきませんよ・・・・・・皺くちゃにしちゃったし・・・」
どんどん下がっていく視線がとうとうカーペットの上までたどり着いた。
是が非でも市成とは目を合わせないつもりのようだ。
受け取った紙袋を足元に置いて、半歩彼女へと近づく。
拒絶にも受け取れるこの反応はなんなのか。
「俺のスーツ、役に立った?」
無理やり彼女の視線を覗き込めば、いずみがぎょっとなって目を見開いた。
「~~~っ」
息を止めて唇を引き結んだ彼女が、市成の顔を見つめ返して、瞬時に顔を真っ赤に染める。
こういう反応は、これまで何度も見たことがあった。
意図的に視線を絡め取った市成を見つめ返すオメガたちの反応だ。
「・・・・・・わ、わたし・・・・・・な、なにも・・・・・・」
震える唇で言葉を紡いだいずみが、逃げるように後ろ脚を引いた。
彼女は怯えているんじゃない。
ここにきて初めて市成をアルファとして意識しているのだ。
今更のように、自分の匂いが移ったスーツを彼女に差し出していたことを思い出した。
市成がいずみのフェロモンに惹かれたのだから、
彼女は俺のスーツで・・・?
踵を返そうとする華奢な肩を掴んでもう一度視線を合わせる。
「ねえ、俺のスーツでなにしたのかな?」
「~~~っ」
耳まで赤くしたいずみが唇をパクパク開いては閉じている。
返す言葉が見つからないのだ。
市成に図星を突かれたせいで。
アルファのフェロモンを感じながら、抑制剤が効いて来るまでの間、彼女が自分の車の後部座席でどんな風に過ごしていたのか。
勝手に湧き上がる妄想が止まらない。
色恋は無縁に見えたいずみが初めて見せた女の顔に、ごくりと唾を飲む。
「どうせなら、本物のほうが良くない?」
固まってしまった腰をそっと抱き寄せて耳元で囁けば、いずみが渾身の力で突っぱねて来た。
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