第16話 9.paradox-2
「考えてあげてくださいって何なのよ・・・・・・どいつもこいつも市成教か!信者か!」
ぶつくさ言いながら一人になれる場所を探して施設内をウロウロしていたら、結局エントランスを出て駐車場まで来てしまった。
広報セクションは、経理や総務などの管理セクションと並んで、他部署連携が多いので、どこに行っても知り合いに会うのだ。
男性社員は、遠巻きにしてくるだけだからまだいい。
問題は女子社員である。
いずみを見つければ、まるで鬼の首を取ったように質問攻めをして、それが終わると市成の売り込みをかけてくる親衛隊ならぬ信者たちの勢いと熱さには本気で参った。
市成の幸せを本当に願っているのなら、そっと見守るという選択肢がありそうなものなのに。
全員が、いずみにどうか市成をよろしくと言いながら、うまくいかない場合は、私が彼の傷を癒して・・・と虎視眈々と次の座を狙っているとその顔に書いてある。
女子の強さと意地汚さと必死さを目の当たりにして、余計疲れた。
どうして恋する乙女はあんなにパワフルなんだろう。
昔の自分の恋愛を振り返ってみても、あそこまで熱くはならなかったはずだ。
三十路を過ぎて、色んなことが落ち着いてしまったせいなのか。
それとも、いずみにはそもそも恋愛の才能が備わっていないのか。
もう少し行けば誰が要請して作ったのか謎のバスケットのハーフコートまでたどり着いてしまう。
ここは、イノベーションチームの人気社員である氷室と、人事総務の折原の憩いの場、いわゆるデートスポットなのだ。
二人とも学生時代バスケ部だったらしく、付き合う前から昼休みシュートを打ったり、1ON1をしたりしていたが、付き合い始めてからは待ち合わせ場所にもなっているらしく、何となく他の社員は近寄りがたい。
邪魔するのもアレだし、万一いい雰囲気のところに鉢合わせしたら、気まずい思いをすることになる。
人事総務の折原には、毎月のように勤怠の締め処理でお世話になっているので、仕事に支障が出ても困るのだ。
この辺りで引き返したほうが良さそうだ、と梅雨が近づいてきた湿気の多い空を見上げたところで、じわっと胸の奥に嫌なざわめきが広がった。
どこか懐かしいそれは、初めて
体調不良とは少し異なる、熱を孕んだ何かが足元から這い上がってくる感じ。
急な環境の変化や体調不良がトリガーになって
これまで自分が仕事以外のことでさほど頭を抱えてこなかったことを今更のように思い出した。
仕事はきちんと努力してこなせば結果はついてくる。
けれど、プライベートは、自分の気持ちは、誰かの心は、違う。
いつでも抑制剤はカバンに入れて持ち歩いているので、すぐに薬を取りに戻れば間に合うだろうか。
一瞬迷って立ち止まってしまったのは、懐かしいあのもどかしさが一気に押し寄せて来たから。
甘痒い快感を求めて肌が火照って粟立つ。
触れていないのに、あられもないその場所がじゅわりと潤む感覚に、視界がぐらっと歪んだ。
「なんで・・・こんな・・・・・・」
立っていることが出来ずに駐車場の片隅でしゃがみ込む。
薬が無い以上、残るは二択だが、いまのいずみに選べるのは一つだけ。
こんな場所で・・・・・・
歯を食いしばってこみ上げてくる愉悦を唾液と共に飲み下していると、車のエンジン音が近づいてきた。
駐車場の片隅でしゃがみ込むいずみの存在は否応なしに目立つ。
どこかに移動しなきゃ、いや、無理だ、もう一歩も動けない。
濁った頭で太陽が照りつけるアスファルトを掻きむしる。
お願い・・・・・・・・・誰か助けて・・・・・・
祈るように心の奥で叫んだら、すぐ近くで車が停まって誰かが近づいてきた。
「九重さん!?どうし・・・・・・
途中で歩みを止めた市成が低い声で尋ねる。
滑らかな響きに、ぞくりと背筋が震えた。
彼の声を官能的だなんて思ったことはなかったのに。
重たい身体を手をついて支えているいずみの前までやって来た彼が、いつかと同じように間近でしゃがみ込んだ。
顔を赤くして浅い呼吸を繰り返すいずみの様子を確かめてくる。
「・・・・・・フェロモンが・・・まずいな・・・薬は持ってる?」
「・・・・・・カバンの・・・なか」
取り戻る余裕がないことを、市成はその返事で悟ったらしい。
「ここにいるのは良くない。少し、抱えるよ」
労わるように肩を撫でられたと思ったら、背中を膝裏を掬われる。
ぐらっと視界が揺れたと思ったら、真上に憎らしいくらいの青空が見えた。
真っ直ぐ車に向かって歩いていく市成は、一度も腕の中のいずみを見ようとはしなかった。
彼のわずかに赤くなった耳たぶで、自分がどれくらいオメガのフェロモンを放っているのか理解する。
アルファである彼が、どれくらい、必死に堪えているのかも。
「俺の車で待ってて。
慎重に後部座席にいずみを寝かせた市成は、車を駐車場に停めると、エアコンを強くしてから車を降りた。
ドアが閉まる寸前に、彼が着ていたスーツの上着を着せかけられて、命綱のようにそれを握りしめてしまう。
遠ざかっていく彼の背中に手を伸ばしそうになって、慌てて市成のスーツを抱きしめた。
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