第14話 8.paradox-2
「人身御供って失礼だなぁ。俺女性には優しいよ」
にっこりと女性受け抜群の笑みを浮かべる市成を一瞥してすぐに視線を逸らす。
女性に優しいのは褒められるべきだが、優しすぎるのも、惚れた弱みに付け込むのも問題である。
「その優しさのせいで、涙に濡れた女子社員が大勢いるんですよ!」
「うん、だから、もう誰とも遊ばないって」
安心させるように微笑む相手が違うと頭を抱えそうになる。
「それを私に言わないでくださいっ!」
「きみ以外誰に言うの?俺が誠実でありたいのは、九重さんに対してだけなのに」
「・・・・・・ご立派な口説き文句ですけど、流されませんから!信用して欲しいなら、不言実行でお願いできます!?」
耳に心地よい口説き文句を並べられてもちっとも心は揺れませんよと言外に告げてやった。
やれるもんならやってみな、とタブレットを手に勢いよく一人掛けのソファーから立ち上がる。
今日は戻ってから社内報の打ち合わせがあるし、原稿チェックもメールの返信も溜まっている。
こんなところで油を売っている暇はないのだ。
失礼します、と軽く頭を下げて追いかけてくる市成を振り切るようにドアへと向かう。
いつもより勇んだ歩き方になるのは、ここでしおらしくするのは癪に障るから。
と、がつがつ歩きすぎたのか、履いていたヒールがカーペットの隙間に引っかかった。
くん、とつんのめった身体を手をばたつかせてバランスをとろうとして、後ろから伸びて来た手に二の腕をつかんで引っ張られる。
背中が一瞬だけ男の胸に当たって、ふわっと煙草と香水の甘い香りが広がった。
彼は身に纏う香りすら甘ったるいのか。
一瞬だけ上がった心拍数を、気の迷いだと無視して、チラッと背後を確かめれば、嬉しそうな市成の顔が見えた。
俺がいてよかったでしょ、とその顔に書いてある。
物凄く憎らしい。
両足がカーペットの上に着地すると、手を解いた市成が何も言わずに足元にしゃがみこんだ。
ちょっとごめんね、とカーペットに食い込んだままのパンプスを押さえて、いずみの足をそこから抜き取る。
くるぶしに優しく触れる指の感触に、思わず悲鳴を上げそうになった。
市成のほうはというと、顔色一つ変えずにパンプスを掴んでいる。
勝手にバクバク大騒ぎする心臓を必死に押さえた。
こんなところ、元カレにだって触られたことはない。
「あれ、珍しく高めのヒール履いてるね。心境の変化でも?」
いつもの7センチヒールをお休みして9センチヒールに手を伸ばしたのは、負けたくない、と妙な闘争心が芽生えたから。
パンプスのヒールをカーペットの隙間から救出した市成が、にやっと笑ってこちらを見上げてくる。
これも市成を跪かせた、にカウントしていいのだろうか、いや駄目に決まっている。
迷うことなく自分の肩にいずみの手を導いて、支えになってくれる彼のスマートな身のこなしは、確かに百点満点だ。
女性のピンチにそつなく行動できる男は高評価間違いなしだろう。
本当に、これだけならいいのに。
ただの紳士的な男だったら、もうちょっと好感が持てるのに。
いずみがどうしても譲れないピースを、残念ながら彼は持っていないのだ。
「・・・・・・ありがとうございました・・・あったとしても市成さんには言いません」
冷たく言い放ったいずみを、それでも足がパンプスに収まるまで支えてくれた市成が、ゆっくりと立ち上がる。
再び見下ろされる格好になった途端、彼が不敵に笑った。
「ほんとにきみは手厳しいな」
「優しい女性がお好みでしたら、どうぞ他を当たってください」
だって一度も市成のことなんて望んでないし。
欲しいのは、誠実で真面目でいずみの事だけ大切に思い続けてくれる優しいアルファだ。
誰かれ構わず笑いかけて、無意識に点数稼ぎを怠らない薄利多売のアルファではない。
自分の理想と現在の市成を図にして横並びにすれば、現実を見てくれるのだろうか。
「嫌だよ。きみがいい」
目尻を柔らかくして微笑んだ市成が、タブレットを持っていないほうの手を掴んでくる。
退出を拒むように軽く自分のほうに引き寄せて、顔を覗き込んでくる。
わあ、イケメンに見つめられちゃった!
と、ほかの女性ならなるのだろう。
いずみ以外のオメガだったらあっさり
「取材の同席は、九重さんにお願いしたいな」
「ですから、私にも予定が」
「あとで課長に俺の方からお願いしとくよ」
「そういうのは公私混同・・・」
「課長、俺と九重さんが付き合うほうに結構な額賭けてるからね。一役買ってくれるはず」
「っな!か、賭け事のネタにされてるんですか!?」
人の気も知らないで好き勝手に盛り上がっている課長や顔も知らない他部署の社員を心の奥で盛大に罵っておく。
誰が胴元なのだろう、見つけたら絶対にただではおかない。
「うちの社員ってほんとこういうネタ好きだよね。ねぇ、緒巳さん」
市成がソファーでスマホを眺める西園寺に意味深な視線を向ける。
「まあ、社内が平和、ゆーことちゃう?ほんまに死ぬほど嫌になって仕事辞めたくなったら、そん時は俺が責任もってどないかするから、まあ、ちょっと考えてみてよ、市成のこと」
頼むわ、と西園寺から言われて、さすがに二回も叫ぶ気力はなくて、大人しくそのまま執務室を後にした。
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