第24話 主人不在
エリザがバナージュの寵姫になってより、あっという間に半年もの時間が過ぎた。
その間、二人の仲はより育まれ、どこへ行くにもほぼ一緒と言う状態にまでなっていた。
また、読み書きの練習のデナリの教え方が良かったのか、一人で平然と本を読むようになり、今では史書や哲学書にまで手を出すまでになっていた。
礼儀作法の方はバナージュが直に教えるようになり、これもまた見違えるほどに上達した。
エリザの前歴を知る者以外は、まずどこぞのお嬢様と言っても通用するほどにまでなっていた。
「ねえ、アルジャン、ソル姉様は今日も別件のお仕事?」
バナージュの手解きを受けながら史書を読み込むエリザを遠巻きに、デナリがアルジャンに尋ねた。
ソリドゥスはバナージュの別邸に顔を出すのが珍しくなり、週に一、二度くらいしか姿を見せなかった。はっきり言って、やる事がなかったからだ。
エリザとバナージュは煽るまでもなく、すでにアツアツの状態のため、こちらから仕掛けるような真似は必要がなかった。
読み書きや礼儀作法についても、念入りに教育した甲斐があって、教えることもなくなってきていた。
そのため、なにやら別件で動くことが増えており、誰より姉を慕うデナリとしては別行動が面白くなかった。
「まあ、現段階で特に動く必要もないからな。強いて言えば、今やるべきことは、待つことだ。今、二人は幸せで、それで満足してしまっている。だが、それを否定する者が現れたら?」
「あの二人の性格なら、妨害に屈することなく突き進みそう」
「おそらくはそれだ。お嬢様の狙いはそこだろう。だから、今は動かず待ち続ける事。何かしらの情報の拡散はやっているかもしれないが、まあ、こちらは言いつけ通りに、エリザさんの見守りをやっていればいいさ。大きな動きがあるまでは」
アルジャンとしては気楽でよかった。ただ、あの御転婆なお嬢様が妙な策を巡らせて、ややこしい事でも持ち込まなければいいなと考えつつ、イチャつく二人を静かに見守った。
「そう言えばさ、アルジャンはソル姉様の言う別件の内容、把握している?」
「さてね。最初の頃は鑑定の仕事とか、出資者へのご機嫌伺いだったんだけど、他にも何かやっているみたいだな。その辺はよく分からん」
「よく分からなんだ」
「まあ、資金の都合を付けているのは間違いなさそうだよ。前に帳簿とにらめっこしながら、唸っているのは見かけたし」
なにしろ、身分違いの恋愛の成就のために、色々と工作を仕掛け、今に至っている。
開始当初は金貨にして千枚を出資してもらっていたが、開始一日目にして、婚姻無効の工作費として二百枚、エリザの服飾代などで五百枚を消費してしまっている。
その後も追加の経費でどんどん目減りしていっており、半年たった現在ではどの程度まで残っているのか分かったものではなかった。
なにしろ、デナリもアルジャンもあくまで従者であり、ソリドゥスのような経営者ではないので、帳簿の中身は見せてくれてないのだ。
「ならさ、あたし達が手伝ったりした方がいいんじゃない?」
「それはダメ。お嬢様の商人としての矜持を傷つける。こちらはあくまでソリドゥス商会(仮名)とやらの従業員として振る舞う事。もし何かしら必要な案件があるなら、
「ぶ~。そう言われると、アルジャンの言う通りなんだけどさ。どうにも落ち着かないわ」
何もしないと言うのは、デナリとしても役に立たないと言われている気がして、どうにも体がソワソワしてくるのだ。
今まではエリザの読み書きの先生役を引き受けてきたが、今となってはお役御免の状態で、出かける際に付き人として同行する程度しかやっていなかった。
それはそれで重要な役目であるし、時折バナージュから貰える“お小遣い”も嬉しいものなのだが、やはり大好きな姉と一緒に行動するのが何より一番であった。
「結局、待つしかないのか~。ソル姉様、何でもいいから、お仕事回してよ~」
などとぼやきながら、デナリは左手の薬指に嵌められた指輪を撫で回した。
以前、祭りで勝った安物の指輪(庶民感覚なら十分高い)ではあるが、デナリにとっては何よりの宝物であった。値段などよりも、誰から貰ったかが重要であり、姉からの贈り物と言うのが何よりも嬉しかったのだ。
「わざわざそこに嵌め込む意味は何なんだか」
「ソル姉様が言うには、『左薬指に指輪をはめておけば、悪い虫が寄り付かなくなる』って言ってたよ。あたし、虫って苦手だし」
「悪い虫か。なるほど、確かに寄り付きにくくはなるな」
少女の無邪気な言葉に、アルジャンはついつい笑みがこぼれてしまった。“悪い虫”の意味を誤解しているようだが、まあそれはそれで面白いかと、敢えて訂正を入れるのを止めておいた。
「アルジャンは貰った帽子を被らないの?」
「あれか? その指輪と同じ店で買ったやつか。まあ、あれからずっと貴人に侍っている状態だし、室内での活動も多かったりで、被る機会がなかったからな」
「お姉様からの贈り物が埃かぶるわよ」
「あの帽子には特に固執はしないさ。もっと素晴らしいものを貰っているからね」
ドヤ顔で言い放つアルジャンに、デナリは嫉妬を覚え、プクッと頬袋を膨らませた。
「ぶ~ぶ~、なにそれ。教えてよ」
「デナリも受け取っているよ。普段使いしているじゃないか」
「はて~。ソル姉様から貰っていて、普段使いしているものってなんだっけ?」
アルジャンの言葉の意味を理解できず、デナリは首を傾げて考え始めた。
そんな他愛無いひとときを過ごしながら、ソリドゥスからの声がかかる“その時”を待つアルジャンであった。
~ 第二十五話に続く ~
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