3月30日 計画と目標
3月は毎日更新に挑戦してみよう! と思い立ち、このエッセイを書き始めた。初めの構想は、ごく簡単なものしかなかった。とにかく春が好きだから、春についてを書こう。その程度しかなかったように思う。
では、30日間書き続けてきて、それなりの「芯」のようなものが生まれたかと言われると、そんなこともない。相変わらず無計画に、書きたいことを書いている。
昔から、計画を立てるという行為が異様に苦手だった。夏休みの宿題は、7月のうちに全て終わらせてしまう。なぜなら、計画を立てて取り組めないからだ。8月末になってヒイヒイ言うのが目に見えているので、さっさと済ませてしまおうという魂胆だ。自分の、そういった特性をよく理解できていたことは、幸いだったと思う。
目標を定め、それを達成するための計画を立てる。計画通りに出来なかったときは、なぜ出来なかったのかをフィードバックし、今後の課題とする。
人生において何らかの成功をおさめている人たちは、計画を立てる能力が特別優れているように思う。よほどの実力やバイタリティがあれば、場当たり的に生きていてもそれなりに成功するだろう。しかし凡人に多少毛が生えた程度の人間は、とかく目標や計画(そしてもちろん努力)がなければ成功し得ない。
私はと言うと、計画性もなければ何らかの実力もバイタリティも、ついでに言えば「成功してやるぜ!」という気概すらもないので、ご察しである。そのことをこうしてネタにしているほどなので、もう救いようがない。
この辺りで「しかしこんな無計画な生き方も、生存戦略のひとつなのである!」と、虫か植物あたりを引き合いにして解説できればなあ、なんて思う。しかし、良い喩えが思いつかないので、この計画はなかったことにする。
なんとなーく虫を見ているのが好きだ。昆虫のことを勉強しようとか、研究しようとかは特に思わない。虫が、というかセスジスズメの幼虫が、一心不乱にコマツヨイグサの葉を齧っているところを見ているのが好きなのだ。
セスジスズメの幼虫を見ていると、これが生命として最も正しい姿だな。としみじみ思う。食べて、寝て、ちょっと動いて、食べて、寝て、大きくなる。生きている。
私にちょっかい(指でつんつん)を出されたときは、じっと身を縮こまらせてちょっかいに耐える。たまに、頭をぶんぶん振って反撃したりする。(私はこれを芋虫の「いやんいやん運動」と呼んでいる。前にも書いたっけ?)
至極シンプルな命だ。私よりもずっと正しい命だ。充分に大きくなったら蛹になって、やがて成虫になって飛び立っていく。繁殖をするためだ。ああ本当に、私なんかより、ずっと正しい。
私は、彼らをずっと見ていたい。命が生きている様子を、見て、楽しんでいたい。それが私の、目標と言えば目標だろうか。そのために立てる計画も何もないし、はたから見れば無意味かつ無価値なのかもしれないが。
しかし「はたから見れば」なんて、考えても仕方のないことだ。虫や地衣類の写真を撮る私は、「はたから見れば」不審者だ。しかしはたから見なければどうということもないし、手元には素敵な写真がしっかり残る。
今は、それだけでいいや。と思っている。
いずれ何か、より大切にしたい人生の何かが見つかるかもしれない。見つからないかもしれない。何にせよ今は、虫ちゃんの写真いっぱい撮れたなあ、とほくほくするのを、目下の目標にしたい。
このエッセイは明日で終わるが、春はまだまだ続く。春が終われば夏が来る。そうしたらいよいよ、セスジスズメの季節だ。
やるべきことは多い。計画は、特にない。
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